テーマ:週末の遊び下手。(36)
カテゴリ:その他
オッサン、もっと自分と向き合いな。 更新が滞り気味ですねえ。 最近ありがたいことに、仕事が多くなり、段取りで頭がいっぱいでくだらないネタがサッパリ浮かんできません。 しばらくはこんな状態が続きそうです。 それにしてもねえ、最近ヘンな事件が多いと思うじゃないですか。 恐らく、調べれば事件っていうのは昔から発生件数はそれほど変わっていないのかもしれないですけど、「ヘン」と感じる事件というのはやっぱり多くなっている気がしますよねえ。 違和感があるっていうの? なにせ、毎日のように理解に苦しむ新たな事件がニュースで流れるんですからねえ。 最近では痴漢をした元教授なんかも、一見理解に苦しみますよね。 まあ、無意識とか抑圧とかっていう言葉を使ってそれらしい説明も出来ますけど、そんな説明で済まされたら被害者は納得いかないでしょうから、そう簡単には断定できないわけですよね。 ただねえ、「無意識」っていうのは意外と無視できないのかなって、最近思うんですよ。 今日ね、帰り道に読書をしたくて喫茶店に入ったんですけど、隣の席に座っていたオヤジがちょっと違和感を出してた。 年端0代後半と思われる小柄な人だったんだけど、まず一番奥の席ではあるけど通路からよく見える席で両足を靴を履いたまま2人がけのソファーに乗せて新聞を読んでいたんですよ。 最初は、マナーは悪いけどリラックスしてるんだろうな、って思う程度だったんですけどね、そのうちに段々と(あれ?)と思うようになりまして。 あのさあ、10代の頃って誰かに気づいてもらいたいときとか気を惹きたい時なんかに、「わかりにくい微妙なアピール」をすることってあったじゃないですか。 例えば、オヤジでいうと「わざと大きな音を立てて新聞をめくる」とか「意味もなく靴をゴツゴツと鳴らす」とか、「鼻歌をずっと歌っている」とか。 パッと見は、地味な格好をした分別のあるおじさんなんだけどねえ。 そんなおじさんが、やっていることはどれもこれもマナーの悪いことばかり。 でね、このときに思ったのが、「自我が満たされていないんだろうなあ・・・」ってことなんだよね。 50代くらいだとさあ、バブル以前の高度成長期の家族的な会社制度で、年功序列で定年まで確実に勤められるという心配の少ない社会人生活が約束されていたはずなんだよね。 でも、今の世の中は年功序列も定年制も崩れ去り、平均的でもかまわないけど最低限の給与ね。たくさん欲しければたくさん工夫してたくさんアピールしなさいよ。って世の中になっちゃったわけですよ。 今までのアイデンティティは、もろくも崩れ去った人が多かったんじゃないかなあ。 でも、50代にもなると、今さらそんな社会になられてもアイディアなんて出て来ないし、アピールの仕方だってわからないですわなあ。 だから、「上司を蔑ろには出来ないだろ」っていうセリフで、自分が動かない理由を言い続けている人がいますでしょ? でも、仕方がないと思うんですよね。 そりゃあ、今さらどうしていいかなんてわからないのが当たり前ですよ。 それでもなんとかしたくて、不安を解消できるかもと思って脳を鍛えるゲームとかに夢中になるわけでしょ。 でも、ゲームでいい点が取れるようになったって、アタマの中に閃くための知識のストックがなければ会社では相変わらずなわけですよね。 で、結局鬱々と平日の昼間が過ぎていくと、それこそ意識で必死になんとかしたいと思っている分、無意識にすり込まれた「アピールしたい・・・」という自我の部分がこの歳になって首をもたげてきちゃうのかなあって。 でも、いかんせん無意識でしょ。 すると、「最近の若者は・・・」って小言を言っていたことを無意識に自分がやっちゃってるみたいなね。 考えてもみるとさあ、若い子が行儀が悪いとわかっているのにコンビニの前に座り込んでカップラーメンを食べるのも、他人の目も気にせずに電車の中で化粧をし続けるのも、若者特有の自立したいとか注目されたいっていうアピールなところが多分にあるわけじゃないですか。 それと同じですよね。 本来なら、中年以上が若者に良くも悪くも道を示せたのが、今は道を示さなくてはいけない年代が路頭に迷っているから、若者にも不安が広がるのかなあ。 ゲームのせいだとか、インターネットのせいだとか、そんなのは理由にならなくて、一番大事なのは中年以上が早く自我と真剣に向き合うことなんじゃないかなあ。 と思いましたとさ。 人の心はどこまでわかるか 無意識の構造 縦糸横糸 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.10.01 00:55:42
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