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私は、あまりに無力だ。
そんなことは分かってる。 けれど、大きなことがしたい訳でも、大きな望みでも無いと思う。 「普通」で居たかった。 私も、お母さんも。 「普通」のままで、良かった。 それを手に入れるためには、想像も出来ないほどの力が必要だった。 母の口数は、少しずつだけれど確実に少なくなっていった。 顔には、疲れがくっきりと現れていた。 それは、病のせいじゃ無い。 繰り返される「検査」と言う名の人体実験。 いかにこと細かに説明を受けようとも、 医学なんてこれっぽっちも身につけていない私には それが何の意味であるとか、何のために必要なのか理解できず、 拒否はもちろん、質問すら許されない状況だった。 母は、死なない。 けれど。 けれど。 「あの花は、なんて言うんだろうね」 凍てつく寒さだと言うのに、母が外に出たいと言ったその日、 車椅子を押す私のほうを振り向かずに指を差して尋ねた。 この季節に、花なんて咲かない。 ましてや、花壇や植え込みではなくて、茶色くなってしまった芝生の中に、 自生で咲く花なんて。 でも、母の指差す先にひとつだけ、白くて小さい花があった。 「ううん、知らない。こんな季節に咲く花なんて」 珍しそうに花を見ている母と違って、私はそれに興味を惹かれなかった。 「枯れ方を、忘れたのかな」 母はつぶやき、私は、はっとする。 季節外れに咲いた花に、意味や理由は無くても。 私が何も感じなくても。 母にだけは特別な意味があった。 そのとき、どんな顔をしていたのかは、後ろにいた私には見えなかったのだけれど。 花は風に揺れた。 風は、車椅子を握る指に痛かった。 スイスで、同じ症状の患者が発見された。 そのニュースを私と母は病室のテレビで見ていた。 少し驚きもしたが、安堵も正直あったのかも知れない。 これで母の「検査」も少しは落ち着くかも知れない。 どこまでこの病の研究が進んでいるのか、見当もつかないけれども。 何より、変な話かもしれないけど。 「仲間」が出来た、そんな感覚があった。 ひとりきりじゃない。 それは海を、大陸を越えたはるか遠くの国の話であっても、 どこか心強さを感じた物だった。 そして、私と母は、新しい年を迎えた。 たぶん、それからひと月も経たないうちだったと思う。 次々と世界中で同様の報告が発表されていった。 連日報道される中で、ひょっとしたら報告もされていない患者もいたのかも知れない。 日本でも。 その頃には、私だって気付いていた。 何かが、起きている。世界中で。 ベトナムの小さな村で20数名の「集団発症」が報告された報道を見ながら、 スイスの患者が報告されたときの安堵は、すでに私の中には無かった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.10.25 01:29:58
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