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できるところから一つずつ

1991年-1995年

*1991年

*コスモス掲載歌

1月号 

日本の土産

日本の下宿に戻る吾娘の背に「いつてらつしやい」と夫は言ひやる

娘の住まぬ部屋に残れる抱き人形足投げ出して宙見つめをり

過ぎ行きし嵐のあとの水溜り覗き込むがに赤とんぼ飛ぶ

檜葉の上に山葵一本そつと載せ「日本の土産」と友は賜びたり

溜まりゐし書類をやつと片付けてワープロのスイッチ音立てて切る


2月号 

おかはりをするは旨しといふ合図褒むるを知らぬ夫の場合は

テーブルに置かれし夫の眼鏡越し新聞の文字モワッと歪む

風邪気味の喉を宥めて通り過ぐそつと啜りし生のウイスキー



3月号 

「私の目まずまず確か」と苦笑する気に入る服は値段高くて

風邪をひき熱を出したる夫は欲る「おふくろんちの井戸の冷や水」

洪水の後濁りたる水道の水に醤油を混ぜて飯炊く



4月号 
日本・カナダ

早朝の豆腐屋の前ほかほかとバケツのおからが湯気たててをり

「バカ」といふ一語に愛も軽蔑も笑ひも込めて君は言ひ分く

老眼鏡かけずに新聞拡げゐる年上の義弟目の隅に見つ

門も塀も無き学校に生徒らは八方より来て校舎に向かふ

ホテルにも重装備の兵見かくるとアルジュベイルゆ友の便り来



5月号 

サウジより逃げ出すわけには行かぬとふ合弁会社に働く友は

地上戦近しと聞ける今開く「山西省」は別の顔見す



6月号 

寮を出て初めてアパート借りし娘がごみの分別生真面目になす

娘に宛てる手紙の結び太き字に「親父」と署名し夫はペン置く



7月号 

「最善は戦ひなどにさせぬこと」シュワツコフ司令官省みて言ふ

ともすれば子に纏ひつく我が思ひほぐし宥めて受話器を置きぬ



8月号 

一陣の風吹き過ぎて目の前の舗道捲きゆく桜はなびら

創世記と古事記の冒頭が似てゐると夫は並べて読み比べをり

白樺の若葉を透かす茜空ふぢ色になり徐々に暮れゆく



9月号 

ガラス窓磨き上げつつ夏を見る緑深まる白樺の葉に

白鳥の雛を見やうと近付きてその父鳥の強き目に合ふ

ふはとして毛玉の如き灰色の白鳥の雛母鳥に添ふ



10月号 

テレビ消すきつかけ逃し姑と我「嫁と姑」のドラマ見続く

「抱き癖なんかついてもいい」と友は抱く四十二にして得し嬰児を

家中の回転軸が変つたと児を得し中年の友は笑まへり



11月号 

雲見れば総ての悩みは忘るると友はさばさば言ひ放ちたり

今日こそは首かけて言ふと息巻きし友が会議の席に噤めり

今日こそは早く寝ねむと心決めそれを一大目標となす



12月号 

政変をいかに見ますやソヴィエトの旅の半ばにゐる筈の友

夏の陽を確と反して咲き揃ふ向日葵の花の黄の色激しい



水甕掲載歌


9月号

「ジャップ」とふ声聞き咎め振り向きて無邪気な幼の碧き目と合ふ

朝食に納豆を出せと夫は言ふ異国に住むを忘れしごとくに

恐らくはもう逢ふこともなかるらん君はこの街を去りたりといふ

いつしかに吾娘と我との会話より夫は外れて黙しがちなり


10月号

草陰の土より蚯蚓這ひ出でぬぬるりぬらりと身をすべらせて

もう終りここが尻尾かと見る内にまだまだ長く蚯蚓出て来る

たんぽぽの綿毛を散らし芝を刈る何処かに又咲く花想ひつつ

試着室の鏡に映る我がウエスト睨みつけても細くはならぬ


11月号

笑ひ皺白く残して日に焼けたる顔に手遅れのクリームを塗る

何時よりか疎遠になりし君に向くる想ひは風の中を漂ふ

結婚指輪外しし指の白き跡日を経て徐徐に目立たなくなる

重げなる乳に吸ひつく仔らの背を母山羊は首を巡らせて舐む


12月号

仕方なくミュージカル見に来たる夫拍手の度に目を覚ましをり

女二人別別の愛に同じ程愛すと言ふなり妻有る君が

中中に効果出ぬまま飲み続く中国製の「保健美減肥茶」

寒いのはもう沢山と老いたる友さつさとハワイに引越をなす




*1992年

*コスモス掲載歌

1月号 

ピットにてふと垣間見るレーサーの顔は血の気の失せて険しも

青空の色を映して藍深き湖面に白き波頭立つ

免許証忘れしことに気のつきて制限速度を頑固に守る

・・・間島定義氏評(選者小言より)
      「頑固」はもうお蔵入りの言葉なのに、こうして使われてみるとすかっとする。それもカナダという異郷の地で。古語もあたらしい出番を得て光る。
  ・・・作者感想  「まあ!頑固が死語だなんて、思いもしませんでした。やはり、言葉の流れからようです。


2月号 

そこを是非何とかと言はれついついに今夜も徹夜の態勢に入る

二つ三つ星消え残る空の下白き息吐き子は出勤す

柵越しにふと目の合ひて黒き牛番号札を耳につけをり



3月号 

飛び立ちしばかりの雁がたちまちに鉤をなしゆく声交はしつつ

約束の決まりゐしごと鉤形のそれぞれの位置雁は占めゆく

鉤形に連なり遅れし雁を待ち群れは大きく空に輪を描く



4月号  (この号より、「その一集」に昇級)

醤油用と豆腐用とを植ゑ分けて大平原に大豆の畑

軽食堂開ける友が街角に縫ひぐるみ着てちらしを配る

まだ馴れぬ松葉杖ややに持て余し子は階の上にためらひて佇つ

松葉杖使ひ始めて一週間子の掌は固くなり来ぬ



5月号 

「十二月は身を小さくしてゐました」とハワイの日系老人が言ふ

大き波白く砕くる高みよりサーファーは今宙に浮きたり

高まりしエンジンの音ふと変はる機体が地より浮きし瞬間



6月号 

地図開きアルベールビルを探し出すフランスとしか知らざりし町

夫も子も我も同時に声を呑む伊藤みどりの転ぶ瞬間

急斜面落下するかに滑降す新幹線よりも速きスキーヤー

席を立ちベランダに出て夫の吸ふ煙草の煙闇に消えゆく

枝を切り花器に挿す間もほろほろと床に零るる桜のはなびら



7月号 

二度三度羽ばたきて後ゆつたりと身体を浮かせ青鷺が翔つ

十センチ我の目よりも位置高き子の目に映る異次元世界

岩の上に身を横たへし「とど」の群とろとろとろと春の陽を浴ぶ



8月号 

母鴨の泳ぎて残す扇形の内に庇はれ雛ら従きゆく

水を切り泳ぎ着きたるビーバーが岸辺の草をせかせかと噛む

南より戻る途中のスノーギース飛沫のごとく波を掠むる

赤き頬母の背中に押しあてて幼はこちらを覗くがに見る



9月号 

山頂ゆ見下す広き草原に浮雲の影ゆつくり動く

競走馬一団となり走り過ぐ轟く如き地響きたてて

四本の脚が皆浮く瞬間の重き馬体はしなやかなばね

走り終へ鞍外されし馬の背にほはりと白く湯気立ちのぼる



10月号 

しつとりと体を包む日本の空気吸いつつバス停にをり

幾筋も人工芝に影曳きて選手は走り球に飛びつく

応援団敵にまはして退きぬ押し出し点をやりたる投手

見えてゐし田が薄雲に隠れゆき飛行機は日本を離れてしまふ



11月号 

「コラソン」と心を呼ばふスペイン語熱き憶ひを語るに相応ふ

スペイン語学びし昔を共にする人との別れはアスタ・ラ・ビスタ

無駄なもの全て捨てたる身体なり有森裕子走りに走る

しなやかな背の筋肉を光らせてリングに跳ねる黒人ボクサー



12月号 

たどたどと入力さるる情報をコンピューターが黙々と待つ

いくへにも花びら重ねぽつたりと牡丹がわづか傾きて咲く

夜更けて船の往き来の絶えてよりブラックホールのやうな湖

朝光に染みて翔びゐし百合鴎貝掘る人の傍に降り立つ




*水甕掲載歌

1月号

問診票埋めゆくうちに段段と病人のごとき心地して来る

疑へば癌の兆候いくつかの無しとは言へず夫も私も

ゴルビーのロシア語は少しも解し得ねど語調に押され頷けて来る

たつぷりと氷入れたるアイスティーのグラス忽ち曇りて白し


2月号

日本にて慣ひとなりゐし浄め塩十年カナダに住みても用ふ

ピーマンもトマトもレタスも輸入物に変りて冬の近づく気配

夫に似てどこか憎めぬ酒呑みの出て来る落語に何度も笑ふ

ゆつくりと捩子緩むごと力抜け今にも眠りに落ちゆく予感


3月号

不孝者余程に多き頃ならむ孔子が「孝」を説き諭ししは

久久に床並べ寝る老い母は昔はせざりし鼾かきをり

血糖値、血圧、ドック、医師の癖、母の話題の行き着くところ

ばらばらと飛び立つと見えし雁の群上がりつつ忽ち鉤形をなす


4月号

クラス会の幹事なりとふ老い母の電話連絡夜半まで続く

セピア色の写真の母は生真面目に大き目をしてこちら見ませり

夕暮れが寂しきものと気付かずに夕餉の支度繰り返し来ぬ

これでもうお別れですか君宛の賀状に付箋つきて戻りぬ


5月号

頼りつつ生きねばならぬ歳なりと老母は時折人に言ふらし

「お母様にお一人はもうご無理です」母の主治医は柔らかく言ふ

ケアホームに入ると母の決めしこと謝りたくて父の墓に来

ケアホームの庭にぽつりと雪だるまバケツの帽子を被りて立てり


6月号

冷たさが痛さとなりて手に伝ふアルミニウムの松葉杖より

子の怪我は順調に癒えレンタルの松葉杖今日店に返しぬ

優勝の賜杯を渡す二子山受くる貴花田共に渋面

息詰まり紫の顔になれる夫が目に合図する「背をひっぱたけ!」


7月号

夫の父と我の母との出会ひしとふ初節句前の人形売り場

忘れ得ぬ夫君の命日暗証に定めて友は鍵を開けます

さつぱりと自由に生きゐし五十二の従姉が突然婚を決めたり

重すぎて疲ると姉の愛を言ひ義兄の去りて三十年経つ


8月号

零れさうな涙湛ふる丸き目が我を見つめて瞬きもせず

一文字に結びし口を見る見るにへの字に曲げて児は泣きだしぬ

せつかちな夫とペースを合はす為我が腕時計五分進ます

癌なるを知らずに逝きし姉を想ふ癌を知らされ泣く友とゐて


9月号
(行方不明になってしまいました)


10月号

死ぬのなら死を見極めると言ひたりき癌と知らずに戦ひし姉

手の震へおして描きたる薔薇の絵を入院の日に姉が呉れたり

変哲の無き骨壷に収まりぬ好み激しき姉にありしが

男の子生さざりしこと恥ぢてゐし母を慰め姉勁かりき


11月号

濁りつつ淀みて暗き堀に来て白鷺一羽佇ちつくしをり

かまぼこにマヨネーズつけて美味といふ若者は我と違ふ舌持つ

過ぐる儘時を遣らむと外したる時計をバッグの闇に納めぬ

いつよりか背中まがりて小さき母もう大声にどなつたりせず


12月号

「最高の友達でゐよう」と出来もせぬ約束交し人と別れき

耳たぶに紅させば顔の華やぐと聞きつけ早速鏡に向かふ

僅かなる頭の動き拡大しイヤリング揺れきらりと光る

従容と車の列の待つ前を子連れの鹿がゆつくりと行く




*1993年

*コスモス掲載歌

1月号 

夫の言ふ嘘をそのまま受け入れて今日のところは騙されておく

若き日の夫の表情そのままに息子がじつと思ひに沈む

君の目に反射させつつ判断す我に解らぬわれの実体

五十分の一秒の倖焼き付けて写真の我がいつまでも笑む



2月号 

牧師の目確と見返し花嫁はYESと誓ふ挑むごとくに

結婚は互ひの我慢とスピーチし夫はちらと我の目を見る

「母はバカ」を大前提に話しをり二十代なる子ら三人は

鳥の声止みて静まる一瞬を待ちゐしごとく驟雨走り来



3月号 

手の力そのまま伝へ濃く薄く2Bの鉛筆線を描きゆく

枯れ草を引けば蔭より転び出づ夏の名残りの蝉の抜けがら

「これからが女は勝負」と言ひ合ひて女同志の乾杯をなす

いつしかに動じぬ女となりぬらし初恋の人と子らの話しす



4月号 

マニキュアの乾く間の二分間爪を眺めて心を解く

東京に育ちし性か人混みに埋もれてどこかほつとしてをり

駅前の呉服屋本屋履物屋皆が「佐藤」の亡き舅の故郷

日本より戻りたる日の夫と我真夜を目覚めてラーメン啜る



5月号 

病状の説明しつつ涙ぐむ死には慣れたる筈の婦長が

朝よりの雨がみぞれにかはる午後姑はたうたう息をひきとりぬ

哀しみに向かひ合ふのを避くる夫その母の死を語らうとせず

枝の先細かに別かるるもみぢの樹レースの如き樹氷を纏ふ



6月号 

本気とも戯れともなく夫の言ふ「死に際までも煙草を吸ふぞ」

悩みごと七つ八つは人並みと少し酔ひたる夫が笑へり

まだ冷ゆる夕闇に浮き並び咲く灯火の如きらつぱ水仙

一年に数日微かに見ゆるとふ南十字を岬にて待つ



7月号 

波白く騒立つ海を渡り来て貿易風が椰子の葉を打つ

ハングルの看板めつきり増えてをり久々に来し夜の赤坂

旧札の聖徳太子が混りゐつ姑の遺しし箪笥預金に



8月号 

昨夜ひと夜桜の下に停めおきし車の屋根に花びらあまた

五月五日五十五歳の誕生日夫は仕事の旅先にあり

枝を張りあまた並べる林檎の樹同じ高さに花咲き盛る

あなたとの間にガラスのある如く言ひても言ひても心届かぬ



9月号 

「山ひとつ丸ごと輸入してみたい」ロッキーを見て商社員言ふ

白鳥の番が砂地を行きし後やや内股の足跡並ぶ

結論の出ない会議をなすごとく烏が未明を鳴きたててをり

眠さうに語尾を流して応答す国際電話の向かうの吾娘が



10月号 

カプチーノの熱きを啜り思はずもひと口ごとにため息をつく

「苦力のやうに激しく働いた」若かりし日を陳さんは言ふ

後輩の結婚式のスピーチを頼まれて吾娘は少し不機嫌

どの人も同じ笑顔を前に向けエアロビクスのクラスに並ぶ



11月号 

蕗の葉にくるみて深く埋めやりぬ巣の下に死にし燕の雛を

無限大∞の記号を宙に描きつつ晴れたる午後を燕飛び交ふ

決心の動機は親の別居だと弁護士を目指すアマンダが言ふ



12月号 

誰かさんと携帯電話に話す君我が前にゐて我とは居らず

野分すと夫に言はれて共に聴く白樺の葉を吹き抜くる風

見下ろせる谷の底ひに潜みをり樹々に隠るるやうな涌き水

存分に煙をたてて焼き上ぐるあだ目の澄みて身のしまる鯖

焼き上がり焦げ目つきたる鯖の上に落ちて醤油がじゆつと音立つ



*水甕掲載歌

1月号

けだものの目のみが光る真暗闇タンザニアより友の書き来る

何もなきただ何もなきタンザニア歩めばそこが道となるとふ

幸せな日の買物の請求書別れの覚悟決めたる日の届く


2月号

全開の熱めのシャワーの下に立ち一生分を思ひ切り泣く

治らぬと承知の上で介護士が姑には辛きリハビリをさす

止まれる治らぬを承知の上のリハビリに物言へぬ姑が目もて抗議す

一人では泣くなと言へる兄の目に我より深き哀しみのあり


3月号

マンションのごみ捨て場より拾ひ来て推理小説読みて寝に就く

満ち潮と河の流れの押し合ひて止まれる辺り鴨の群れをり

歌殻は全て焼きたり今日よりは違ふ自分になりたき私

いつかきつ日本に帰ると信じつつ我はカナダに死ぬのだらうか


4月号

子を五人生して育てて何一つ趣味すら持たず姑は老いたり

病みて臥す姑よりむしろ白きもの目立ちて夫の髪は薄しも

鉛筆を時間をかけて削りつつ想ひが形となるを待ちをり

天窓の光を受けて三体の菩薩像の影それぞれくろし


5月号

旅先の夫より入るファックスの字はいつもより少し乱暴

声太き男となりて挨拶す二十年前の我の生徒が

震ふ手に匙を掴みて粥掬ふ老には遠し口までの距離

搭乗の最終案内聞こえきて君との電話の受話器を置きぬ


6月号

延ばしたる尻尾を幹に沿はせつつ栗鼠が素早く走り降り来る

何本も傘に垂氷を光らせて街灯」が雪の道を照らせり

鴨が二羽土橋の影に寄り合へり雪降り止まぬ二日目の午後

樅の樹の葉先を揺らせ止まりたる雀がぶるると雪を払へり


7月号

「女房への誕生祝ひにやめたんだ」煙草を吸はぬ友の言ひたり

俺宛の手紙は会社に呉れといふ君には少し疾しき我か

行き違ひ宙に浮きたる約束を伝言板が受け止めて立つ

丸み帯び輪郭鈍き軍用機空港の隅に鳴りを潜むる


8月号

来む夏の水の不足を覚悟して雪融け早き山を見放くる

易易と浮かびし故か易易と逃げてしまひぬ歌の一首が

紅茶碗揺りつつ飲める母の癖厭へど我が同じ仕草する

「俺を詠め出来れば褒めて詠め」と言ふ夫よきつとその内いつか


9月号

東京の活気と独りの静けさをガラスが仕切る母のマンション

もうあまり栗鼠らしくない黒栗鼠が冬眠もせず窓より覗く

どれもみな陽を一杯に受け止めて林檎の花が薄紅に咲く

唇に雨粒当たり一瞬をひやりと我の甘えを覚ます


10月号

夕空にふた重に懸かりし大き虹消え去りて又もとの青空

杉の香をしつとり含む風の中木漏れ陽を縫ひりすの駆けゆく

「全然良い」と言ひて思はず口覆ふ我の日本語かくのごとしも

ダンディーを気取りゐし友が父となり児のこぼしたる飯粒を食む


11月号

病苦より解き放たれてお今日よりは大姉となりぬ病みぬきし姑

わが裡の少女に再会する心地三十六年ぶりの級会

いつしかに古くなりたるわが家に水回りドア宥めて住まふ

会堂の空気みながら震はせてパイプオルガン響き渡れり


12月号

旧友がカラオケバーに歌ひ呉るる共に行き見し映画の主題歌

出発の四時間遅るる飛行機を待ちつつ分厚き小説を買ふ

東京に日日の買物なす時に額面ほどには価値のなき「円」

何日も母の描きゐる画のモデル黄色きピーマン干からび始む





*1994年

*コスモス掲載歌

1月号 今村選

松葉杖頼りに歩む青年を追ひ抜きそびれ後に従きゆく

退社後を待ち合はせたる夫の見す職業用の建前の顔

「落石に注意せよ」とふ標識の下を過ぎ来てややに汗ばむ

霜の置く朝の牧場に放たれて影絵のごとく馬が佇む



2月号 鈴木選

選挙権持たざる我の身のめぐり仲間外れの投票日過ぐ

「自らが自分の嘘を信じ込む」政治家になる必須条件

缶詰のキャットフードに育ちたる猫のラッキー魚を嫌ふ

日に一度山と町とを結ぶ汽車煙吐きつつゆつくりと行く


3月号 田谷選

若き日は農に励みし人ならむ車椅子より田を見渡せり

I know Tankaにつこり笑ひアンが言ふAfter HaikuにSeven Sevenね

又一つ我を老いしむる誕生日肩迄の髪耳ちかく切る



四月号  宮選

鵜呑みにて文語の讃美歌唄ひゐき姉が八歳私は五歳

不満げに「また二人か」と夫が言ひ子らの揃はぬ食卓につく

馬は馬羊は羊の群れにゐてそれぞれに喰む冬の青草



五月号  今村選

「壮大にあがいてきつと切り抜ける」友が不況を嘆かずに言ふ

ドン・キホーテの心意気だと友は言ふ不況の中のオイル会社に

凍てつきて音を断ちたるボー・リバー道路のごとく広く平らか

桟橋に立ちて視線を遊ばせる眠りそびれし冬の黒熊



六月号  鈴木選

評価額昨年の二倍に上がりたるわが家に昨年と同じたんぽぽ

飛行機の窓の高さの青空にほんはり白く満月は浮く

硬き雪スキーのエッジに削りつつ選手は」鋭くカーヴ切りたり

ジャンプ台すつと離れて宙を飛ぶウルトラマンの如き選手ら



七月号  田谷選

売り声をテープに流しゆつたりと焼き芋売りが煙草をふかす

三年の論議の末に高校が産制器具の自販機を置く

ほんわりと煙草の煙に乗りて去れわけの分からぬ今日の憂鬱

父親の五十回忌に帰国する勝子は今年四十九歳

戦勝を想ひて父がつけし名の「勝子」を形見に友は生き来ぬ



八月号 宮選

マンションが建ちかけのまま放置さる我の育ちし家の跡地に

山茶花の垣根の中にひつそりと夫の育ちし古き家あり

行きたくて心にかかるバーンズ展つひに見ぬまま東京を発つ

雨霽れて仄かに甘き土の香が寒さ和らぐ闇を満たせり



九月号  今村選

機関車の鳴らす汽笛を遠く聞く十八輛目の寝台車にて

日本への飛行時間の倍かけて鈍行列車がロッキーに着く

午前四時真夜と違はぬ闇の中夜明けを覚る鳥の啼きだす

さざ波を透す光のよろけ縞浅き湖底にゆらゆら動く



十月号  鈴木選

ゴルファーがエルクに襲はれ怪我せしと風のごろくに噂届き来

コヨーテを全速力に追ひかけて子育ての鹿道を横切る

子育てのエルクも熊もコヨーテも皆気の立ちて春は爛漫



十一月号  田谷選

「今までで一番ビールの旨い夏」酷暑の日本を友が書き来ぬ

今の表情(かほ)ふと知りたくて鏡見る失策続きの夏の日盛り

「ごみの日」の街に出て来る狸たち追へばとぼけた視線を返す



十二月号  宮選

枝先にしがみつきつつ身を揺らすリスもろともに青葉が騒ぐ

樫の樹のに枝に隠るる巣に潜みおもちゃのやうな仔リスが二匹

輝きて動き鋭き蛇の子が草の根を縫ひすいと消えたり

青空が俄かに大きく広がりぬポプラ並木の斬られたる午後




*水甕掲載歌

1月号

なりすぎのトマトの青き実をもげばほつとするがに茎の上向く

とどのごとのたりと床に寝ころびて過ごしてゐたい真夏日の午後

支柱より高く伸びたる豆の蔓途方に暮るるごとく揺れをり

思ふほど仕事のとれずに終はりたる今月分の請求書書く


2月号

反動に細き体を弾かせて裕子はライフルの引き金を引く

「熊を撃ち毛皮も剥いだ」と友が言ふ肉3ポンドを届け呉れつつ

前うしろ二ヶ所を昆虫ピンで止め男はターバンを被り終りぬ

お詣りはご遠慮しやうと母が言ひ延命地蔵の前を避け来ぬ


3月号

焚火する周りの雪がごくわづか潤みて湿める零下二十度

満天に輝く星を掻き消してオーロラの翠と白が渦巻く

ピシッピシと鋭き音を放ちつつ冷たき夜空を渡るオーロラ

天空ゆ白・碧・翠の光降る晴れたる極地の夜の氷原


4月号

山の端に沈む夕陽を母と見る明日は当然来るものとして

画面には渋い男が低く言ふ「幸せになんてしがみつくなよ」

脈拍と同じリズムにドラム鳴りトランペットとサックス誘ふ

父さんに戻りて子等に起こさるる疲れ気味なるわが家のサンタ


5月号

風に乗りぐいぐい上がる角凧の手応へ強く手元に伝ふ

雪もやふロッキーの峰いただきは烟りて白き雲に紛らふ

凍てつける滝を見上げて立ち竦む小山のごとき氷の隆起

寒さなど感じぬ牛か雪原に僅かに覗く草を喰みつつ


6月号

頭垂れ崩れむばかりに居眠れる母の眼鏡が少しずれをり

唇を少し突き出し居眠りすめつきり小さくなりたる母が

天窓のガラスに次々落ちて来てじわりと広がる昼の雨粒

もう既に我とは違ふ価値観に身を武装して吾娘は語らず


7月号

客観に多少の主観は混じるらしフィギュアの審査結果別るる

スキ―板大きく傾けカーブ切る滑降選手を雪煙が追ふ

両膝を胸まであげてジャンプするスピードに乗るモーグル選手が

大雪の警報出てゐし夜更けて突き抜けるごと星のきらめく


8月号

深みゆく闇を集めて黒々と森がひと足先に寝につく

暮れ残り仄かに青き西の空夕星ひとつ輝きを増す

虚無感をふわりと風に乗せるごと細くゆつくり紫煙をはきぬ

自らを若き部類に組み入れて母は嘆きぬその姉の老い


9月号

聞きてゐし通りに二分二十秒かけて夕日が海に消えたり

うつうつと心の晴れぬ日曜日夫の煙草を戯れに吸ふ

内面は外面に従くと読みし夜何はともあれにこりと笑ふ

澄みきれす朝の空の青き色ハ長調なる今日の始まり


10月号

ストップしゆつくりドアが開くまでをエレベーターがふっと沈黙

ロッキーの雪が赤みを帯び始むそろそろ日の出を迎ふるらしも

まず一羽飛べば次次飛び立ちぬ羽音高きカナダ雁達

Uの字に浸食の谷広がりぬ中学の理科に習ひし通り


11月号

夏の間をカナダに過ごすと来し母が朝の連続ドラマを恋ふる

噴水の傍らに立ち我を待つ母は微かな虹を纏へり

家具が皆大きすぎると母は言ひ学童用の机を買ひぬ

二つづつ連なりて成るチェリー見て母は一人の寂しさを言ふ


12月号

何をしてもしなくてさへも暑き日に覚悟を決めて庭の草取る

雲さへも日本と違ふと母が言ふカナダに来てから十日目の朝

テレシコワが「わたしはかもめ」と言ひし頃はじめて夫に逢ひしを思ふ

選択肢並べて次を決めさせるパソコンの思考我と似通ふ





*1995年

*コスモス掲載歌

1月号 

エンジンの止りて船は揺れを増し水平線が窓を上下す

船室の窓枠過よぎる水平線高さも角度も変へつつ揺らぐ

漂流のクルーズ船に寄りて来し漁船の男が何かを叫ぶ

大きさを恥じ入る如くおずおずと故障の船が曵かれて進む



2月号

カナダでは花を持てない朝顔か蔓伸びやまず秋に入りゆく

葦の間を泳ぎ抜けたる雁の群れ羽音高く飛び立ちて行く

「今わたし残業成金なのよ」とふ吾娘の電話の眠さうな声

ダンスなど出来ない筈のわが裡をサルサのリズム揺さぶりてゆく



3月号

「ヘンシーン!」の間は絶対攻めて来ぬ怪獣たちのいくさの仁義

リストラの最中も企業を襲ひ来る業績不振といふ怪獣は

バンクーバーの日系書店に見付けたり亡き父の著の『会社経営』

亡き父の著になる本を立ち読みす書きゐし頃の姿浮かべて



4月号

ひらがなの「ね」の字のやうに背を丸め狸が二匹鼻を寄せ合ふ

一席を語り終へたる噺家がさつと自分の素顔に戻る

何度でも全く同じに演奏すロビーの隅の自動ピアノが

わが膝に蹲りたる黒猫の我よりややに高き体温


5月号 

八年に一万四千キロ走りわが日本車は依然快調

手の動きはつきり見せる黒無地の服に着替へて手話を教はる

内海と山との間に展けたる神戸の地勢は我が町と似る

本棚に忘れられつつ黄ばみをり小松左京の『日本沈没』



6月号

薄暗き照明のもとびつしりと地下駐車場に車がならぶ

倒産の公告を今日は翻訳す奉仕のなるかもしれぬ二頁

雪の夜をジョギングなすと出でゆけり普段は散歩もしない息子が

ハスキーな低き声して物憂げにボサノバうたふブラジルの歌手



7月号

切り火してパトロールカーを送り出す高井戸警察婦人警官

選挙権持たぬ我とも握手して都知事候補は終始笑顔す

不可思議な活気溢るる東京を任はむ都知事の候補が揃ふ

停車せぬ浜松駅を過ぎてより「うなぎ」の加はる車内販売



8月号

旋回し降り始めたる飛行機の窓に大きく海が傾く

透き通るごとく仄かに浮かびをり晴れたる空の昼の半月

花びらの先を僅かに綻ばせ露に湿れり今朝の白薔薇
                       


9月号

大陸の五月を走り子の遭へるテキサスの雹・コロラドの雪

帰省せし息子の作るスパゲッティ夫も私もおかはりをする

夜半の雨屋根打つ音の優しくてゆつたりとした眠りを誘ふ



10月号

サリン禍のほとぼり冷めしか六月の駅のごみ箱封を解きたり

円高にめげず買ひたり縦横の比率が吾に相応ふジーパン

半年も先なる姪の披露宴メニューも席も決まりゐるとふ

一枚がジーパン百本分ほどの値の付く和服をマネキンが着る

幾重にも緑濃き葉を繁らせて夏の浜木綿力漲る



11月号

波音の記憶を杳く持つ山かロッキーは貝の化石を抱いだく

寝そびれて夜空に繊き月を見る北緯五十度の熱帯夜なり

コンピュータずらりと並ぶオフィスにコーヒーの香のかすか漂ふ

時差、暑さ、殺風景に苦しむとリヤドに行きたる友のファックス


12月号

新築のビルのガラスに映りをり碧き秋空白き浮き雲

コンピュータ使はず資料を整理する歯科医の事務がむしろ速やか

十歳も我より若き上司なり時に私に敬語を使ふ

消息の久しく絶えゐし友を待つ長距離バスの終着駅に




*水甕掲載歌

1月号 

皆が皆同じ方むく牛の群れ揃つて何かに耳澄ましをり

なだらかなすそ野の起伏に見え隠れ赤牛の群れゆつたりとをり

根方より徐徐に姿の現はれぬほのぼのと立つ夕方の虹

水分の少なき土に根を下ろすアロエは豊かな液を蓄ふ蓄へをり


2月号 

一万年遅れの光のメッセージ届けて高く星の瞬く

水平線くらくら搖るる荒海に星が動かず高く輝く

日本より訪ね来し友つくづくと「カナダの空はでつかい」と言ふ

八十五歳心奮はせ郭さんが英語クラスに通ひ始める


3月号 

国際化標榜すれば殆どの稟議が通ると友は自嘲す

五百年かけて届ける光なりアンタレスより今宵輝く

母と我N極同志か近づけばよく似た気質がふいと反発

アメリカと日本とカナダに分れ住む子らそれぞれにそれぞれの冬



4月号 

湯上がりの温かき身を横たへて悩みはすべて明日に預ける

経営に縁なき友が買ひ呉れぬ我が父の著の会社経営

眼鏡かけ背筋伸ばして書きてゐき死の前日と知らざりし父

葬儀には泣けざりし我九年後に父の字をみて夜を目覚めをり



5月号

五度六度大白鳥は羽ばたきて怒れる如く飛沫を散らす

音のなき記憶の中のワン・シーン畑より見し大空襲の火

空襲の微かな記憶戻りくる神戸地震のテレビ・ニュースに

ニュース聞く度に増えゆく死者の数十五に始まり五千を越ゆる


6月号

恋人と共に住む子が遠く見ゆ世代の差とはわかりていても

ハイウエイを走る車の中に聞く万葉集のカセットテープ  

百キロに走る車の中に聞く歩みの速度の万葉の歌

何をどう手助けすべきか分からずに茫然と見る神戸の映像


7月号 

早朝を犬のくぐもり声のしていつしか雪の積みたる気配

杳き日に君と行きたるティールーム居る筈のなきあなたを探す
 
一つづつ手に載せてみて選び出す持ち重りする冬の大根

ハミングの歌声を皆吸い取りてコンクリートのむきだしの壁



8月号 


羽根拡げあやふく体勢立て直す氷に足をとられたる鴨

弾く人の居ない分だけ寛ぐか自動ピアノがのびのび歌ふ

流木に乗りて漂ふ鴎達ときに頭を水にくぐらす

共にせし旅の一度も無きことを夫の葬りに妻の惜しめり



9月号 

疲れたるわたしのやうな蛍光灯しばしまたたきやうやくに点く

「再婚をしました」と友が報告す別れてゐたとは思はなかつた

やはらかく薄き花びら寄せ合ひてくれなゐ溢るる石南花の咲く

宝くじ買ふ人の列につきてゐるあいつもやはり庶民であつた



10月号 

夫をおくりひと月を経し友と逢ふ葬りの日よりも伏し目がちなり

その夫をおくりてひと月経し友が「昨夜やうやく泣けたの」と言ふ

細き雨花びらに受け震へつつ空に向ひて花水木咲く

一人のみ生き残りゐる子の私老いたる母と昔語りす


11月号 

「箱がない」「まだ舊くない」とけなしつつ母の宝を道具屋が買ふ
 
メロンなら食べられるといふ兄のため冷たきひと切れベッドに運ぶ

ウルトラマンの衣装脱ぎたる同級生汗を拭きつつ定年を言ふ

山頂の雲に覆はれ隠れをり子の勤務する天文台は



12月号 

祖父逝きて後の二十年生きしとふ祖母の記憶もわたしにはなし

「ハズバンド」になりたる息子ほいほいと家事を担ひて気軽に動く

しやあしやあと優しき言葉口に出す次男は外人なのかもしれぬ

「お嬢さんを息子の嫁に」といふ手紙今夜は夫に見せねばならぬ



*短歌研究掲載歌

3月号 近藤芳美選 

「チャペルでは夢中でした」と汗を拭く背広に着替へし花嫁の父


4月号 馬場あきこ選5首

日本人が後から後から入り来る落語家達の海外公演

肩ゆすり身を折り曲げて笑ひあふ初めて生の落語聞きたり

噺聞き会場一杯の爆笑をリードするのは概ね男声

落語聞きさざ波のごとく拡がれる笑ひに女の声が目立てる

絶対に老後は日本に住むと決む落語を聞きて帰る道にて



5月号 馬場あきこ選3首

今見ゆるアンターレスの輝きはシェークスピアの頃の光か

発音の易しく用途も多き故便利な「どうも」をアンに教へる

親族の半ばがあの世に逝きてをり三十年目の結婚写真



6月号 馬場あき子選

らむぶる」も「風月堂」もなくなりて行方不明の若かりし日々


7月号 

砂浜に長く影曵く椰子の樹の葉を鳴らしつつ風の過ぎゆく


8月号

階段を昇り昇りて辿り着くオルガニストの天井桟敷


9月号 
一年をアンと暮らせし子はいつか照れずに優しき物言ひをする


10月号  石川不二子選

郵便受け・ファックス・留守電次々にチェックしながら素顔に戻る

日本人は毎日「寿司」を食むものと決めつけてをり「知日家」のトム

寿司すらも握れぬノリコと知りてよりトムは私を主婦と認めず



11月号  石川不二子選

舗石の隙間に確と生い立ちてたんぽぽの花晴れ晴れと咲く

地に着くと見えてそのままふんはりとたんぽぽの絮わた低く舞ひをり

風にのりふんはりふはりと飛びてゆく着地しさうに見えゐし綿毛

根を深く張りて元気に葉を増やす絮わたを飛ばしたあとのたんぽぽ




*短歌現代掲載歌

6月号 特別作品
   
一旦は地に落ちし雪の舞ひあがり降り来る雪と共に渦なす

落ちかけて巻き返しては宙に舞ひ線を描きて雪はしまけり

風にのり激しく舞ひて降る雪が窓に吹き付けたちまち凍る

蝋燭とマッチと懐中電灯を揃へて吹雪の夜は早寝す

どつさりと車の上に積みし雪落として朝の出勤準備




*宮 柊二記念館 第一回短歌大会
佳作

素つ気無き私の「じゃあ」が気になりて別れしばかりの母に電話す


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