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M17星雲の光と影

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2006.06.10
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カテゴリ:猫のいる公園にて
ふと思い立って、猫のいる公園に行くことにする。といっても、実はこの公園は電車で30分ほどかかるところにある。行ったはいいけれども空振りというケースも十分考えられる。でも、このところ土日は雨ばかりだったし、こちらも満足に休日もとれていなかったので、まあいいかと思って、「カラマーゾフの兄弟」の下巻を小脇に抱えて、電車に乗る。

不安を感じながら公園の前まで行く。途中でおみやげのベビーチーズを買おうかとも思ったが、空振りだと間抜けなので、とりあえず先に公園を覗くことにする。案の定、飴色の顔をした家なしおじさんが二人、掃除の邪魔だといって老妻に掃除機のホースで家を追い出されたような風情のじいさんが一人、三つあるベンチを占拠しており、猫の姿は見えない。

「ま、しょうがないな」といって、ふだんならさっさと帰るところだが、せっかく来たんだからと思い直し、公園を一周してみることにする。春先にはほとんど禿げ山状態だった公園の周囲にもすっかり雑草が生い茂り、猫さんにとっては住みやすい環境になっている。倉庫の下から餌入れのトレイの端っこが覗いているので、猫さんはまだここに棲息しているようである。それが確認できただけでもいいやと思って、帰ろうとすると、公園と民家の境界にあるフェンスの根元になにか動くものが見える。目が悪いので、じっと目を凝らしてみると、黒と虎縞の物体が折り重なるようにうずくまっており、小さく動く眼が四つ見える。人目を避けるように隠れてはいるが、二匹の猫だ。眼が合う。おお、あの若き英雄ろびんとその母くろちゃんではないか。たぶんそうだ。生きてたのか。

しかしなにぶん二ヶ月近く会ってない。猫は人間よりもずっと寿命が短いし、人間の二ヶ月は猫には半年以上とも感じられるのではないだろうか。もうこちらのことは忘れているだろうな、と半ばあきらめながらも、腰を下ろしておいでおいでをしてみる。ろびんとおぼしき猫が立ち上がって、こちらにやってくる。でもまだろびんかどうかはっきりとはわからない。同じ目線になって顔を見交わす。「みやー」と甲高い声で鳴く。ああ、ろびんの声だ。

最後に会った時に比べると、幼さが抜けて、精悍になっている。まだ大人とはいえないが、手足が伸び始めた中学生の男子という感じだ。すらりとして足が長い。目つきは少し鋭くなったが、顔にはあのろびんの面影がしっかりと残っている。全体に痩身で、いかにも敏捷そうである。それに、まるでフランスのモデルさんのようにスタイルがいい。

でも、私はわざと「おまえなんか知らないよ」という芝居をしてみる。「初対面でしょ」という顔をすると、いったいあの聡明なろびんはどういう反応をするか、興味がある。

ろびんはすぐ目の前までやってくる。私は手を伸ばす。伸ばした人差し指のさきっぽをろびんはぺろっと舐める。「知ってますよ」というサインである。でも、私はばっくれる。ろびんはしばし考える。「どうやったらおれだってわかってくれるんだろう」、そう思っているな。何といっても生まれて初めて離乳食を与えたのは私である。そのくらいはろびんの表情から読みとれる。さあ、森の英雄ろびんはどうやって私に自己の存在証明をするか。みものである。

しばらく考えた後に、ろびんはすぐそばにあった高さ4、50センチの石の上にひらりと飛びのる。そして、その上でヨガの猫のポーズをとる。そこから降りる。また石の上に飛びのる。

うーん、そうか、その手できたか。翻訳しよう。「ほら、ずいぶん前だけど、この石の上にあんたがチーズのかけらを載せてくれたでしょう。まだ慣れてなくて手から直接餌が食べられない私のために。私はその石の上にひらりと飛びのって、チーズをいただきました。あの時のろびんですよ」

やっぱ、ろびんは頭いいよな。わかった、わかった。最初からお前だってことはわかってたよ。ごめん、ごめん。でも餌持ってこなかったから、今スーパーで買ってくる。ちょっと待ってな。

そういって私は公園を後にする。ろびんは公園の出口から通りに出てきて、にゃーにゃーと鳴いている。ろびんがこんなことをするのははじめてだ。「わかんなかったんじゃないか」と思ってちょっと不安になってるんだな。その姿を振り返って見ていると、なんだか胸にこみあげてくるものがある。「すぐ来るから、待ってろよ」そう言って、小走りにチーズを買いに行く。

公園の猫とつきあうようになってわかったのだが、猫というのは実に細やかなコミュニケーションを行う生き物である。そして、そのコミュニケーションにはいくつかのギアが設定されており、彼らは状況に応じてそのギアをチェンジする。

もっとも濃密なコミュニケーションのギアを踏み込むのは、比較的時間をおいた後に再会する場合である。こういう時には彼らは短時間で実にいろいろなメッセージを集中的にこちらに発してくる。その情報量はかなりのものである。

でもチーズを買って戻ってきて、ろびんとくろに小さくちぎってあげた後には、やっとわかってくれたか、という顔をして、ギアをチェンジする。やや平常モードに近い設定だ。基本的には私のそばにはいるんだけど、時々あちこちと散歩を始める。さらにこちらがベンチに腰掛けて弁当食ったり、本を読み始めたりすると、「ああ、しばらくここにいるんだな」と思って、猫ギアはさらに通常モードに近づく。あっちの草むらにもぐりこんだり、匍匐前進してバッタに襲いかかったり、木の枝にとまった雀を威嚇したりしはじめる。このギアチェンジは実に巧みで、かつ的確である。

でもろびんの後ろ姿を見ているとほれぼれする。すっきりとした流線型で、とても野良猫とは思えない。母子の仲もとてもいい。生まれた直後にいったんは別々に生活していたはずだが、今は互いに甘えるような声を出し、しきりに頭をこすりつけ、顔をぺろぺろと舐めあっている。地面に「仲良きことは美しき哉」と書いて、写真にとりたいくらいである。くろもけっこう太っている。さっきくろそっくりの子猫が走り抜けていったが、あれもくろの子供だろう。お産を繰り返して、けっこう逞しくなったな。

さすがにひさしぶりの再会なので、ろびんは体に触らせてはくれないが、餌を食べている隙を見て、ちょっとだけお尻にタッチする。彼はびっくりして飛び退いたが、そんなに嫌がっている感じでもない。すぐにこちらの傍にやってきて、こちらに背中を向けて、しゃがみこむ。

信用している者に背中を見せるというのも猫的コミュニケーションの特徴のひとつだ。犬ならばまずは飼い主に正対すると思うのだが、猫は違う。とくに野良の場合は、むしろ警戒するものに正対し、背中を見せるのは信頼の証明である。最初のうちはよそよそしいなと思ったが、考えてみるとこれはなかなか合理的な行動様式である。それに日本人の家族に対する意識とどこか似た部分があるようにも思える。

日本人にとって家族とは基本的に自分の背後に位置している存在である。そうではないだろうか。正面から家族の顔を見つめるのは照れくさくてかなわないし、街を歩いていてばったり家族に会ったりしたら、なぜか恥ずかしくてしょうがない。早くあっちにいってくれよという気持ちになる。こういう気持ちは家族を常に背後に意識している証拠ではないだろうか。

ろびんの背中を眺めながら、「カラマーゾフ」をベンチに座って小一時間ほど読み、公園を後にする。「帰るぞ」とろびんにいうと、じっとこちらの目をみている。飲み水を換えてろびんの前に置いてもまだじっとこちらの顔を見ている。なんだかこいつの顔見てると目が離せなくなるんだよな、というような顔をして。

八ヶ月前、寒風の吹きすさぶ公園の外れで、ぴーぴー鳴いていたお前を見た時は、すぐに死んじまうかと思ったよ。それで会社の帰りにキャットフード持って、何度もお前のとこに通ったもんだ。でも、よくこんなに大きくなったな。賢くて、すばしこくて、コミュニケーション能力も高い。男前だし、女性で苦労しそうだな。気をつけろよ。

よけいなお世話だよ、というような目をしたろびんに見送られながら、一人公園を後にしたのである。






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Last updated  2006.06.10 22:21:33
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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