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M17星雲の光と影

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2006.07.29
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カテゴリ:音楽
アスファルトの海に首までつかっているような重い疲れの中に身を浸している時、こころの中に消え残った燃えかすが黄色い煙を渦巻きながら立ち上らせている時、私たちはいったいどんな音楽を聴いたらいいのだろうか。

引きずるような体の重み、淀みくすんだこころの苦み。どのような音の連なりがそれらから私たちの体とこころを解き放ってくれるのだろうか。

「こころよ、澄め」と、何度も何度も繰り返し念じる時、意識の向こうからかすかに響いてくる音がある。遠くから呼びかけてくる音がある。私はその音に注意深く耳を澄ます。

こころを澄ませる音楽。それはいったいどのような形をとっているのだろうか。

バッハ?たしかにあの音の連なりの中には整然たる秩序がある。天上を目指して昇る階段を規則正しく上下に動いていく音の律動と、そこからもたらされる自然な喜びがある。しかし、あそこには泥沼はない。泥沼につかった人間の苦渋はない。その人間の頭上に広がる天上の光景はたしかにあるが、そこを目指すためにはまず自分自身の足を泥沼から引き上げなければならない。自分の足を泥沼からずぼりと引き抜くような野卑で生々しい力をバッハの音楽に求めることはできない。その音楽の一方には絶望と悲哀、もう一方には救済と歓喜があるけれども、その中間にあるべき泥濘やぬかるみはない。バッハの音は私の耳にはそのように聞こえる。

モーツァルト?音自身の躍動、ダンス、律動。そこからもたらされる自然音と見まがうような立体的な音楽世界。それは空中に浮かぶ黄金色の球体を思わせる。それは自己完結しており、自足している。その球体の中に入ると、音はそれ自体の運動法則に則って自然に、かつリズミカルに空中を駆け回る。その球体の中に入り、内側からドアをぱたんと閉めた時、それはもう単に音楽を聴くという経験ではなくなる。それは「聴く」ということばよりも、むしろ「生きる」ということばがふさわしい、そういう経験である。「死ぬということは、モーツァルトの音楽が聴けなくなるということだ」というある音楽学者のことばは、おそらくこの間の消息を語っているもののように思える。

ベートーヴェン?泥沼にあえぐ人間にはやや勇壮すぎる音楽だろうか。巨大な苦悩とそこからの飛翔、歓喜。ここにも人間特有の中間世界の淀みやためらいはほとんど感じとることができない。白と黒の間に広がる灰色の階調、凡俗のつぶやき、泥濘の甘い眠り。そのようなものを彼の音楽から聴き取ることはできない。もっとも天才にそのようなものを求めること自体が誤っているといわれれば、その通りとしかいいようはないのだけれど。

シューベルト?調べの音楽。甘く、時には苦く、せつない歌から生まれた音の流れ。これもまた泥沼というには余りにも若く、みずみずしい音の世界だ。

では、泥沼につかった人間の耳にはどのような音楽がふさわしいのか。


遠くから角笛のようなゆったりとしたチェロの調べが聞こえてくる。その調べは祈りそのものだ。旋律は切ない願いのようにゆっくりと上昇してゆく。そして、薄い雲の広がりのようにゆるやかに空を覆ってゆく。その調べは時には高い弦に担われ、時には金管の響きを交えながら何度も繰り返される。そこに可憐な第二主題が顔を覗かせ、徐々にその形を大きくしていく。やるせない旋律同士があちこちで微妙に絡まり合い、もつれ合う。そして、旋律全体が徐々に大きさを増し、やがて空全体を覆い尽くそうとする瞬間、一瞬の小爆発が引き起こされる。その後に静寂が訪れ、願いはゆったりとした踊りのリズムを伴いながら、再び地表から天上へ向けて立ち昇ってゆく。何度も何度も。それはまるで大地から立ち昇る水蒸気のように、切れ目なく執拗に繰り返される。

時には空を駆ける小鳥のさえずりがそこに混じる。それをきっかけとして音はまた大きくふくらみ、ふと新しい旋律を思いついたように、先ほどとは異なる形に雲を広げていく。

やがて、ゆったりとしたホルンが旋律を唄い始める。細い金属の笛がそれに呼応する。空の上にもくもくと入道雲がふくらみ始める。そして巨大なクライマックスが訪れる。

入道雲は巨人の形をとりながら、ゆったりとしたダンスを踊り始める。奇妙で無骨なダンスだ。そして天上にラッパの音が響き渡る。

弦の合奏が背後で風の音を奏でる。空から何かが降りてくる。痩せた人の形をしたものが空から地表の方へ降りてくる。

チェロが荘厳な調べでそれを迎える。それは喜びのようにも、また深い哀しみのようにも聞こえる。

高い弦がそれにからむ。ピッコロが人々の踊りを促す。

小さな休息の後、巨大な金管の咆哮が始まる。その後、冒頭の旋律に戻る。しかし、その色は単色ではない。背後にさまざまな色調の光をまといながら、旋律はさまざまに形を変えていく。

そしてまた単一の願いの旋律へと戻る。高い弦の風音があたりに響き渡る。

音楽は時にためらい、とまどい、低回し、逡巡し、彷徨し、目指すべき方向を見失いそうになることすらある。

しかし、そこに基調として存在しているのは、凡俗な人間のせつない祈り、その切実さ、無骨で土俗的な踊りのリズム、ぬかるみに足をつけたまま、太い猪首をもたげて、ドイツの深い森の上方に広がる青い空を見上げ、懸命に祈りを捧げる男の内面にある巨大な、ほとんど宇宙的といってもよいようなエネルギーだ。

音楽はまた冒頭に戻ってくる。地の底からの轟きのようなティンパニの響きを伴って。

男の巨大な願いは、願いのまま巨大な石像を形作り、やがて、その曲は終わる。次楽章の深い鎮魂の響きを予感させながら。

泥沼の中にあって天上に救いを求める無骨で粗野な男の切実な願い。それを音として結晶化した楽曲。

ブルックナー 交響曲第七番 第一楽章。

今プレイヤーに載っているのは、ARTE NOVA CLASSICS 「ANTON BRUCKNER SYMPHONY NO.7 SAARBRUCKEN RADIO SYMPHONY ORCHESTRA STANISLAW SKROWACZEWSKI,CONDUCTOR」である。たしか1000円程度で買える盤ではなかったろうか。この盤は初めて聴いたが、情緒過多でもなく、理の勝ちすぎた演奏でもなく、知的な整序を感じさせながらも、深みを湛えた臨場感溢れるライブ演奏である。

演奏時間は21分45秒。けっして聞きやすい音楽ではないかもしれない。でも、この曲には他のどの曲にも聞くことのできない、たしかな「実質」がある。「リアリティ」がある。泥沼の中から見上げる青空の鮮烈な輝きがある。ここにはなにものかの死と、なにものかの生誕がたしかに聴き取れる。

これまで10種類以上の盤でこの曲を聴いたと思うが、この演奏はすばらしい。買ったまま棚ざらしにしていて、この文章を書くために偶然プレイヤーに入れたのだが、思わぬ収穫だった。音楽に自然な流れがあり、その中にゆっくりと身を浸し、こころを委ねることができる。

泥沼の中で救いを求める人間にはまことにふさわしい楽曲であり、演奏である。





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Last updated  2006.07.29 12:24:32
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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