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M17星雲の光と影

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2006.11.21
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テーマ:本日の1冊(3686)
カテゴリ:村上春樹
「グレート・ギャツビー」読了。

読み終わって、ふーと深いため息をつく。そうか、こういう作品だったのか。実をいうと野崎孝訳で以前に読んだ時、この作品には瑕疵があるのではないかと思っていた。それもストーリーの中核をなす部分で、偶然性に頼りすぎるあまり、全体の構成を損なうキズがあるのではないかという印象をもっていた。しかし、村上訳を読み終えた今、それが単なる誤解であることがわかった。瑕疵はなかった。この作品は完璧ともいえるほどのプロットをもった作品だった。後半部に感じていたもやもやとしたくもりがきれいに拭い去られて、すっきりした。そう、この作品の読後感を一言でいえば「すっきり」ということになるだろうか。

そのような読後感をもたらすのは、やはり訳文の清新さ、みずみずしさである。少なくとも私のように日本語の世界にのみ住む人間にとっては、これは新訳というよりも、新たな文学的価値の創造といったほうがふさわしい。これまでの日本語の世界には存在しなかった新たな文学作品の出現、そう考えてもいいのではないか。やはりこれは村上春樹という文学者が精魂傾けて作り上げたひとつの作品なのだ。

この作品を読み進めるなかで、以前に読んだ時には気づかなかった場面や心理描写に数多く出くわした。ほぼ一年前、他の訳であったにせよ、かなりの注意力をもって読んだはずなのに、まったく記憶に残っていない場面が、この本にはいくつも登場する。これは単なる記憶力の問題ではないだろう。二つの訳を比べれば、対応する表現は野崎訳にも存在しているはずである。しかし、その前後のイメージや文章の流れが村上訳ではきわめて自然に描き出されており、その流れが想起されてはじめて生き生きと立ち上がる場面や心情というものがあるのだ。このように作品全体を貫く大きな流れを日本語で描き出す力はほんとうにすばらしい。一文一文の妥当性だけではなく(それももちろん大切な要素ではあるのだが)、作品全体を貫く呼吸やリズムの再現に力が注がれている。そういう印象を強くもった。

さらに、作品に登場する人物像の輪郭も鮮明だ。地の文と会話が一体となって、生きた人間の姿がページから垂直に立ち上がってくる。スノッブでありながら、それを突き抜ける純粋さと情熱をもつギャツビー、可憐であでやかで奔放でありながら、身勝手で自己中心的なデイジー、傲岸不遜で繊細な感受性に欠けるトム、自己に浸りがちでシニカルなベイカー、一人一人の人物像がくっきりと浮かび上がる。しかし、村上訳で私がいちばん感心したのは、実は「僕」の造型である。以前に読んだ印象では、「僕」は語り手の役をこなしているだけの存在のように思えていたのだが、実は彼の人間像がこの作品全体にとってきわめて大きな意味をもっていることに初めて気づいた。

考えてみると、上述の四人の人物像の絡みだけでは、下手をすると安手の愛憎劇になりかねないところである。それぞれの人間像にさほどの深さはなく、ある意味では皮相で表面的な人間ということもできる。しかし、語り手の「僕」の視点が作品全体に通底することによって、そこに描き出される世界は一挙に深さと広がりを獲得する。

まるで「灰の町」に掲げられたエックルバーグ博士の巨大な目のように、「僕」の目はこの作品全体を見通している。

僕という、ある意味ではニュートラルな基準線があるからこそ、それ以外の人物のそこからの偏差が生き生きと浮かび上がってくる。そして、だからこそ、第八章の最後の部分、


握手をし、僕はそこを去った。垣根にたどり着く前に、ひとつ心にかかることがあって、僕は背後を向いた。
「誰も彼も、かすみたいなやつらだ」と僕は芝生の庭越しに叫んだ。「みんな合わせても、君一人の値打ちもないね」


このせりふが痛切に胸に沁みる。そういう構造になっている。

いや引用は控えよう。きりがなくなる。

しかし、一年前に本作を読んだ時にも、第一章と最終章は特別と感じた。春樹氏の「あとがき」を読んで、その思いを共有できたことを幸せに思う。以前には最終部に強烈な印象を抱いたのだが、村上訳ではこの第九章全体から、深く静かな「音楽」が聞こえてくる。鎮魂歌、レクイエム、あるいはブルックナーのアダージョのような、痛切で悲痛で美しく哀しい楽の調べがこの章全体に響き渡っている。読後のため息は、その静かな音楽の最終音が消えた後にやってきたのである。

そして、この最終章は第一章の叙述とぴたりとモードが合っている。最後まで読んで、初めて冒頭の叙述の意味がわかる。そういうふうに仕組まれている。最終章から第一章に向けて、巨大なループが作られている。そのループを辿り、私はまた作品の冒頭に戻ってくる。


僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。
「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」


何度読んでも、その度に解釈が微妙にずれてくる箇所である。すべてを読み終えて、ここに戻り、この部分に新たな光が射し込んでくるのがわかる。しかし、その光をことばでとらえることはできない。あと少しで手が届こうというところで、その指の先からするりと「何か」がすべりおちてしまう。

これはいったいどういう意味なんだろう。その意味を探るために、結局またページを繰り始めることになる。

村上訳二度目の「ギャツビー」体験は、早くも第三章の終わりに近づいている。

まるでメビウスの帯をどこまでも歩きつづける蟻にでもなったような気分だ。








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Last updated  2006.11.21 21:34:54
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ギャツビー   akiko さん
「ギャツビー」を読み、春樹さんのあとがきを読み、ようやくM17さんのブログを読むことができました。
美しい流れがそのまま余韻となるなんともはかないお話でした。野崎さん訳は読んでいないのですが「僕」の描かれかたに対するM17さんの感想を読むと今回の春樹さん訳のギャツビーとの違いはかなりくっきりとしたものなんだろうな、と思います。登場人物の性格、気持の揺れ、愛すべきところなど「僕」は本当に細やかに伝えてくれてました。お話自体はそう突飛でもない、なのにこの深さ。
私もいざ再読です。
(2006.11.25 00:10:22)

Re:ギャツビー(11/21)   M17星雲の光と影 さん
akikoさんへ

そうですか、読み終わられましたか。ほんとうに読み進むにつれて、いとしさやせつなさが胸に迫ってくる本でしたよね。秋の深まりのなかで読むのにこれほどふさわしい本もないのではないでしょうか。

>お話自体はそう突飛でもない、なのにこの深さ。

このフレーズを読むと、「ああ、同じ本をともに読んだんだな」という気持ちがします。この深さがどこからくるんだろうと考えると、私はやはり「僕」の存在が大きいのではないかと思います。そして、この「僕」は村上作品の「僕」にも大きな影響を与えている。そういう気もします。

今、再読も第八章の終わりに近づきました。二回目には細かな伏線に気がついてはっとする瞬間があちこちでありました。「僕」が初めてギャツビーと昼食をともにするためにニューヨークへ向けて大きな橋を車で渡るとき、霊柩車とすれ違うシーンがあるんですよね。私はあそこでうーんとうなってしまいました。

では。また。 (2006.11.25 08:29:38)

村上訳レビューについて 1   読む人 さん
はじめまして。「ギャッツビー」の愛読者です。
「ギャッツビー」の村上訳は私も買って、持っているのですが、野崎訳への愛が強すぎて受け付けず、最初の数ページだけ読んで止めてしまっていたのでした。
今日たまたま貴殿が村上訳を絶賛しているのを目にして、そう意地を張らないで最後まで読んでみようかと思いました。
私は、今のところ翻訳家として村上春樹は評価していないのですが。(小説家としては大好きです)

ちなみに、なぜかというと、
1ちょっと文体が鼻についてしまうから
2翻訳が正確でないと思われる部分がときどきあるから

1については趣味の問題と言ってしまえばそれまでですが……村上春樹は、日本語ネイティヴでありながら「翻訳調」の小説を書く作家です。まるで英語の文を日本語に訳しているような日本語を書くんですよね。それが彼の魅力の一つでもある。彼自身が翻訳小説が大好きだったからそういう文体になったのかもしれません。彼自身の小説を書く際には個性で魅力なんですが、翻訳には邪魔だと私は考えています。
翻訳者の役目は、自身は限りなく透明になり、作者の書こうとしたものをなるだけそのままの形でノンネイティヴに伝えることだと思うので。読んで訳者の個性が見えてしまうようでは、それは純粋に良い翻訳ではないのではないかと。 (2008.06.28 20:46:09)

村上訳レビューについて 2   読む人 さん
2については具体例をひとつ。有名な冒頭部分。

村上訳:そんなこんなで大学時代には、食えないやつだといういわれのない非難を浴びることになった。それというのも僕は、取り乱した(そしてろくに面識のない)人々から、切実な内緒話を再三にわたって打ち明けられたからだ。

原文:I was injustly accused of being a politician, beacause I was privy to the secret griefs of wild, unknoun men.

「そしてろくに面識もない」を( )の中に入れたのは、やりすぎ。これはとても翻訳的な書き方ですが「的」なだけで正確な翻訳ではありません。これが正確たりえるのは原文が「…of wild men who I don't know very much.」みたく関係代名詞whoが使われていた場合だけです。ここでは単純にwildとunknownという形容詞二つを並列しているだけなので、わざわざ( )を使って訳すような書き方はされていません。
英語のunknownを、「自分がその人のことをよく知らない」と訳すのも、違うんじゃないかな。
そしてunknown。ここは「ニックがその人を知らない」という意味ではなく、その人が「みんなにとって」unknown、と読むべきかと思います。
ニックは「こいつはこういう人だ」と即断しないから、誤解されやすく難しい、他の人には自分のことを話さないようなやつらも心に秘めた悲しみを打ち明ける。それで「あんなやつを手なずけるなんてpoliticianだな」と言われる、というところなので、野崎訳の「得体のしれぬ」の方が正確です。

上記の一文の中だけで、まだまだ指摘するべきところがたくさんあります。重箱の隅をつつくなぁ……とお思いでしょうか。しかし、翻訳というのは、こういう細かい検討を経て行うものです。
村上春樹はそういう検討がちょっと甘いんじゃないかなと……まあ彼はプロの翻訳家ではないのですし、そうカリカリしないで瑞々しい感性を楽しむ、みたいな読み方試してみます。 (2008.06.28 21:22:32)

Re:村上訳レビューについて 1(11/21)   M17星雲の光と影 さん
読む人さんへ

たいへん充実したコメントをありがとうございました。私はギャツビーを原文で読むといっても、なんとなく雰囲気や香りを味わっているだけで、逐語的に突き詰めた解釈などできない身ですので、冒頭の一節の分析、勉強になりました。

しかし、こうして冒頭の部分を見るだけでもフィッツジェラルドの文章は美しく、むだがなく、これを日本語に変換することなど想像もできないと思わせられる、かぐわしい文章ですね。

私も野崎孝さんの翻訳のファンです。フィッツジェラルドの訳に関しても、少なくとも地の文に関しては野崎役に軍配を上げたい気持ちになることがしばしばです。

ギャツビーの野崎訳も私は大好きです。とくに地の文が。ただ春樹訳はなんといっても、会話の躍動感というか、話し言葉の裏に込められた緊張感というか、複雑微妙な心理の綾織物のようなせりふの交錯に魅了されます。

そういう私ですが、春樹訳ギャツビーに違和感を感じる箇所があります。それは村上春樹翻訳ライブラリー版「グレート・ギャツビー」p216のこの一節です。

「あなたはいつも涼しげね」と彼女は繰り返した。
 彼女はついさっきギャツビーに向かって、あなたを愛していると告げていたし、トム・ブキャナンもそれを見て取った」

この中の「ついさっき」という訳が私には気に入りません。これはむしろ「たった今」起こったことを指しているのではないでしょうか。

「あなたはいつも涼しげね」彼女はそう繰り返した。彼女は彼を愛しているといっていたのである。そしてトム・ブキャナンもそれを見て取った。

とするべきところではないでしょうか。「読む人」さんのコメントを読んで、そんなことを思い出しました。

ということでわけがわからなくなりましたが、コメントありがとうございました。 (2008.06.30 21:32:54)

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