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M17星雲の光と影

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2008.03.27
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カテゴリ:その他
大きな仕事が一段落したので、やっとパソコンの前に戻ってきた。

久々に先生向けの講演をしたのだが、折りからの花粉で鼻がやられ、自分の声とは思えない声で話す羽目になってしまった。声が出ないと話のリズムがうまくつかめない。おそらく喉から発する微妙な振動音の違和が身体組織や頭蓋にまで伝わるのだろう。なかなかうまく話の波がキャッチできない。

それでも「ご静聴ありがとうございました」といって頭を下げた瞬間、間のつまった暖かい拍手をいただいたので、なんとかおつとめは果たせたようである。ちなみに儀礼的な拍手の場合、微妙な間があき、その間が不均等になることが多い。

基本的には大学受験に関する話だから、一般の方が聞いてさほど面白いというものではない。ただそういう論題を超えて、自分なりに言いたいことがなかったわけではない。

それは「わかるとは何か」ということである。

以前に行った授業の一場面をその中で紹介した。

それは小論文の授業で要約練習をしていた時のことである。その時の問題文はきわめつけの難文だった。たしか京大後期の経済学部の問題だったろうか。受験レベルを超え、既に一般的な学術論文の域に入っており、ある程度の専門知識を要する文章だった。

生徒から悲鳴の声があがる。

「せんせー、なに書いてあるか、ぜんぜんわかんないよー、むずかしすぎるー、むずいよー」

「そうか?おかしいな、そんなはずないんだがなあ。気のせいだよ、たぶん。ぶうたれてないで、さっさとやれよ」

ととぼけたが、難文であることくらいは先刻承知である。こちらはそういう文章に彼らがどう対処するか、それを見ようという心づもりである。

疲れ切った顔をした生徒が次々と答案を提出する。その答案にざっと目を通す。これが惨憺たる出来かというと、必ずしもそうではないのである。

極端に難しい文章を要約させた場合、ある一定のレベル以上の生徒は意外にそこそこの答案を書く。つまり、本文の大事なポイントはほぼ抜き出せているのである。ふんふん、なかなかやるじゃないか。そう思って、もう一度彼らの文章をよく見直すと、あることに気づく。

たとえば本文の重要部がA、B、C、Dの四つあったとしよう。彼らの多くはこの四つのポイントをきちんと要約に盛り込んでいる。大事な部品はちゃんと揃っているわけだ。

しかし、そのポイント相互の関係、AとB、BとCのつながりを見ると、どうもそのあたりにもやもやとした霧が立ちこめている。

ある生徒は「A(そして)B(そして)C(そして)D」とただポイントを並列して書いているだけだし、他の生徒は本来逆接でつなぐべきポイントを順接でつないでしまっている。

要するに部品は悪くないのだが、部品をつなぐジャンクションの部分に問題があるのだ。彼らはこれまでの学習経験から「大事そうなところ」を嗅覚で探り当てることには長けているのだが、単なる感覚ではそこまでである。要するに「部品」は悪くないのだが、「つなぎ」が甘いのである。

さて、どうアドバイスしたものだろうか。

私は教室で「わかるってどういうことだと思う」と質問する。「文章がわかるってどういうことだろう。誰か説明してくれないか」

「えーと、それは要するに、誰かが書いた文章の内容をできるだけよく吸収して、理解するってことじゃないですか」

「吸収か、相手のメッセージを忠実に吸収する、その吸収度の高さが理解度の高さだっていうこと?」

「ええ、まあ、そんな感じ」

「文章を読む。大事なポイントをマークする。それを忠実に吸収する。それがわかるということである。はたしてそれでいいんだろうか。オレの考えでは、それはまだ「わかる」の半分に過ぎないんじゃないかって気がするんだけど」

「半分?」

「要するに君たちの言ってるのは、わかるっていうのは受動的な行為ということだろう。それではまだ半分しかわかっていないとオレは思う」

「……」

「たとえば、ここに時計の仕組みが十分に「わかっている」人がいるとする。今、彼の目の前に時計が一個ある。彼が時計のしくみをわかっていることを証明するためにはどうすればいいだろう。彼はまず時計を分解しはじめる。ていねいにひとつひとつの部品をばらし、それぞれの機能を説明する。そして、「以上、終了」という。はたしてこれで彼が「わかっている」ことが証明できるだろうか。それだけでは不十分ではないだろうか。

 おそらく彼はその部品を手にとって再び組み立て始めるべきなのだ。ひとつひとつの部品を組み合わせ、元通りに時計を復元していく。最終的に最後の部品を装着して、秒針がこっちこっちと動きはじめた時、はじめて彼は時計の仕組みが「わかっていた」といえるんじゃないだろうか。」

生徒が小さくうなずく。

「つまり、わかるとは重要な部品をただ単に取り出すだけの作業じゃなくて、その部品を使って自分なりにもう一度組み立て直すことを意味するんだ。「分解プラス再構成」、それがわかることだとすると、この間の君たちの要約はその半分しか行っていない。そう思ったわけだ。

 でも君たちはこういうだろう。それはオレだってちゃんと組み立てたかった。でも、その組み立て方がよくわからなかったんだ、って。たしかに組み立てるのはむずかしい。無印良品で組み立て式のベッドを買って、配送員がうっかり組み立て説明書を入れ忘れたら、それなしでベッドを完成させるのはほとんど不可能だ。

 では、文章における組み立て説明書っていったい何だろう。大事な部品をどう組み合わせたらいいか。その部品がそもそもどのようにつながっていたのかを明らかにするもの、それは何だろう。」

一人の生徒の眼が光る。

「論理!」

「ご明察。その通り。それは論理だ。文章がわかるというのは、大事な部品がわかると同時に、その部品が相互にどのようにつながっているかという論理をつかむことだ。そして、その背後には自分の力でその論理を再構成しようという意思や意欲がなければならない。」


他者の思想が「わかる」というのは、単に「なるほどなあ」と受身で感心することではない。そこにはその思想を自ら組み立て直し、さまざまなものに適用しようとする能動的・積極的な意思が欠かせない。「わかる」とは「再構成する」「動かす」という積極的な行為に裏打ちされたものなのである。

私が講演で言いたかったのは次のことに尽きる。

わかるとは主体的な営みである。

この一点を目指して私は助走を開始し、徐々にスピードを上げ、やがて離陸し、飛翔し、そして着地する。

そういうイメージが頭のなかには出来ていたのだが、現実世界には空気抵抗、風向き、天候、その他もろもろの条件があり、なかなか思い通りにことが運ばないのである。

だが、最後にいちばん大切なフレーズを口にできたことは、私にしては上出来だったと今となっては思っている。





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Last updated  2008.03.27 19:13:24
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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