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もう、来年で10年目を迎える阪神淡路大震災。
この体験談は共通の体験をした人でないと絶対共有できない と思うほど強烈なものがあった。 わくりんの場合は、自分の会社を設立して1ヶ月が経った 頃、大阪市内で体験した。 震災の数分前、なぜか目が覚めた。 突然の地震。 今までに体験したことがないほどの大きな揺れ。 ナント、部屋の中は、シェイク状態で、自分の体が飛ばされ ないように大の字になって踏ん張っているしかなかった。 死ぬかと思った。 部屋の横にあるエレベーターの箱が側壁に何度もぶつかって いた音が今でも耳に残っている。 まるで除夜の鐘を早い目に鳴らしているかのようだった。 地震の揺れが止まっても、エレベーターの箱が何度も側壁を 叩いていたので、本当に怖かった。 すぐにテレビを付けた。 まだ何も報道はなかった。 ようやく6時半ごろ、神戸が震源地だとわかった。 神戸はここからでも30キロは離れているが、大阪でこれだ け揺れたのだから震源地はもの凄かったと思う。 この日、ビジネス上の打ち合わせで、京都から当社までお客 様が来られることになっていた。 関西の鉄道はほとんど止まっていたので無理だろうと思って いたが京阪電車だけが動いていた。 先方から電話が来た。「今、淀屋橋のアメリカ領事館の前に いますのでここまで迎えに来てください。」 驚いた。 交通機関はすべて止まっていたので歩いていった。 歩道は、ビルの窓ガラスが割れた破片でいっぱい。 見上げると、今にもガラスが落ちそうになっているところが いくつかあった。 とても歩道は歩ける状態ではなかった。 しかたなく車道を歩いた。みんなそうしていた。 後から知ることの重大さをその日は全く知るよしもなく 大阪では、普通に仕事をしていた人は少なくないと思う。 大阪に居ながらにして、ことの重大さを知るのにそんなに 時間はかからなかった。 震災後3日目で、神戸と電話がつながらなくなった。 震災後1週間で、近くのコンビニからおにぎり、お弁当、 パン、水がすべて姿を消した。 水のありがたみを大阪でも感じた。 報道が伝えているモノと実際被災地に行って感じて来たモノ とは大きく違っていたことが少なくなかった。 続きは次回に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004年05月13日 14時07分01秒
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