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存生記

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2004年03月12日
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 カマキリが交尾の後、メスがオスを食べてしまう話はよく知られている。蠅の一種でこれに似たような話があって、オスはメスに餌をやり、メスが食べている間に交尾をすまし、その後にメスに殺されるのがわかっているので、いそいで逃げ去るという。そのまま心地よい疲労に浸っていたら殺されてしまうのだがら、ただの「やり逃げ」ではあるまい。オスの必死なセコさが、心に残る。

 これが何の本に書かれていたかというと、書名は忘れたが、闘争についての本だった。生命の進化において闘争が果たす役割を論じていた。格闘技、スポーツ、遊戯、ビジネス、政治、裁判・・・あらゆる場面に闘争がある。交尾と闘争がどう関係があるかというと、男が女より闘争を好むのはなぜか論じるためだった。もちろん男の方が腕力があるという理由はあるが、それだけではない。

 筆者の立場はこんなだった。生物にとってオスは必ずしも必要な存在ではない。メスだけでいい。無性生殖する生物にとってオスは必要ない。そのためにオスは、メスよりも不安定である。存在理由がはっきりしないのだ。その結果、オスは外へと足を踏み出す。これがaggressionの語源「ある方向へ足を踏み出す」と一致する。オスは、闘争を通じて自己を実現する。闘争する自分を肯定できたとき、自信を持つことができる。共同体が通過儀礼の試練を課すのは、この自信をつけさせるためである。

 オスは、メスよりも「一匹狼」になるのを好むが、他方で群れをなすことも好む。秘密結社は、女子禁制のものが多い。巫女結社のように女子だけの集団もあるが、筆者によれば、これは男集団の模倣でしかない。というのも、女は一人一人がすでに秘密結社だからである。女性の性器は、内に隠れている。秘密がある。それに対して、男の性器は飛び出ている。滑稽なのだ。外人ダンサーを呼んで男のストリップを一時期はやらそうとしたことがあったが、定着しなかった。OLがチップがわりにブリーフにお札をはさんで喜ぶという、オヤジのパロディでしかなかった。男のストリップというのは、笑いと紙一重である。男の裸踊りは宴会芸であって、猥褻な見世物にはなりづらい。

 内部に秘密に持たない男は、集団になることによって秘密を共有しようとする。新選組にもこうした秘密めいた怪しさがある。大島渚の「御法度」は同性愛という形で描いた。「壬生義士伝」は、生活のためにやむをえず参加した男の視点から描いた。三谷幸喜は、若者たちの青春群像として(これまでのところ)爽やかに描いている。激動期という外的現実と、闘争心の発揮という内的衝動がマッチした時代に思う存分暴れたのが新選組だった。美男剣士が若死にするという女性好みの要素もあって、いまやすっかりブームである。他方でドラマ「白い巨塔」が人気を博している。大学も病院も結社のようなものだが、ここでも男臭い秘密めいた雰囲気が漂っている。

 先の話に戻ると、男には生物学的な存在理由がない。闘争的現実を自ら作り出さねばならない。ところが、闘争の充実感を味わえる人は限られている。あるいは最初から諦めてしまう人もいる。そもそも何をどうすることが闘争なのかもわからなくなっている人もいるだろうし、そんなことを考えるのも億劫だという人もいるだろう。格闘技のブーム、サッカーの代表試合の熱狂、ヒキコモリは、数からすると男の方が多い。「ファイト一発」と叫ぶCMは昔からあるが、やみくもに闘えばいいというものではあるまい。納得できない戦闘は拷問でしかない。闘争の発露、闘争心の去勢、闘争の病理。和をもって尊しとなすという日本の伝統において、対応しきれていない問題のようだ。





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最終更新日  2004年03月12日 00時09分01秒



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