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存生記

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2004年03月13日
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カルヴィン・トムキンズ、『マルセル・デュシャン』(木下哲夫訳)、みすず書房、2002年。

デュシャンの作品に近親相姦的な欲望をみてとる精神分析解釈や、錬金術に関係づけるような神秘的な解釈に向かわず、なるべくデュシャンその人の性格に寄り添うように淡々と綴っている。専門的な解釈は評論家や学者がすればよしと割り切り、デュシャン自身が言葉では作品の効果は表せないと言っていたことを念頭に置いたスタイルで書かれている。

女性関係も綿密に調べられている。写真を見れば一目瞭然だが、デュシャンはもてた。パリはデュシャンと寝たい女たちで溢れていたと、ペギー・グッゲンハイムは書いている。「陽根が陰門に掴まれるように、精神によって事物を掴みたい」と思っていたデュシャンにとって、そういう機会には事欠かなかった。

厭世的な独身者のイメージが強いデュシャンだが、結婚はしている。かなり太った女性と結婚したので周囲を驚かせた。写真が掲載されているが、これまで浮き名を流した美女たちと比べるとかなり見劣りする。この本を読む限り、お金目当てだったようだ(他方で、顔は醜くても身体が綺麗な女性とのセックスは素晴らしいとも発言している)。彼女は、自動車産業の創業者の娘だった。ところが、この結婚はあっというまに破局を迎える。デュシャンは神経質な男で、毛が一本落ちているだけでもうるさかったようだ。夜になるとチェスをしに出かけて帰ってこない。うちにいるときもチェスの勉強に没頭している。彼女は、デュシャンが寝ているすきに駒を盤にのりづけしてしまったほとだ。

そのチェスについてもかなり紙片がさかれている。フランス代表チームに選ばれるほどの腕前で、コンテストで優勝したこともある。亡くなったときは、ある新聞はチェス欄に死亡記事を載せた。「幕間」という映画では、デュシャンとマン・レイがチェスをしている場面が登場する。晩年の写真では、デュシャンと全裸の女性が対峙してチェスをしている写真がある。その女性の乳房のはりについてまでこの本では調べている。ピルの副作用だったらしい。チェスはデュシャンのトレードマークだった。考えることが好きだったのだろうし、脳みそを遊ばせておくのにちょうどよかったのだろう。網膜の美よりも精神の美を追求した人らしい趣味である。

お金の問題もよく調べている。図書館の司書をしていた時期もあれば、アメリカに渡ってからはフランス語の個人教授をしていた。生活は質素で、背広は一張羅、趣味はチェスだし、つつましい生活をしていた。美術市場の投資に乗り出したり、レディメイドの商品化にも手を出したが、商売上手ではなかった。早々に美術界から隠退してしまったので稼ぎは乏しかった。一年に一作作ればいいから、と大金をほのめかされても、応じなかった。貧乏にもならず、金持ちにもならず、私は好運だったと回想している。彼の時間の使い方こそ傑作である、と評されるほどマイペースな暮らしをしていた。晩年になって、親しかった友人が亡くなり、遺言によってある程度の額を贈与されたようだが。

影響関係もよく調べている。詩人のジュール・ラフォルグ、作家のレーモン・ルーセル、アルフレッド・ジャリ。このあたりに相当影響を受けている。言葉遊びを好む作家、皮肉で辛らつな作家が好みだった。とはいえ、あまり本を読む人ではなかったようだ。ベルクソンやニーチェによって、生で重要なことは変化だと学んだと言っているが、読んだ形跡はないそうである。さすがに図書館勤務のときは読んでいたようだが。毎日何時間も棋譜研究をしていたら、本を読む時間はとれないだろうし、その気もなかったのだ。

ブルトンのシュルレアリスムとの関係も興味深い。距離を保ちつつ、協力を惜しまない。無頓着、無関心な態度を貫いたデュシャンにとっては、創作と政治活動を結びつけようとしたシュルレアリスムには抵抗があった。それでも展示のプロデュースや雑誌への寄稿をしている。イコンと化していたデュシャンは、隠退してもその義務をある程度は果たしていた。

美術の商品化に批判しながら、投資や商売にのりだしたりと矛盾も多い人で、なんというか、軽やかというか、無責任というか、飄々とした印象を受ける。そういうこともあって「20世紀最大のハッタリ屋」と決めつけてしまう人もいるようだが、晩年にアメリカのテレビ番組に出て、真面目なことも述べている。仮面で隠されていた本音なのか、これもまた世間の喧噪をかわすための演技なのかはかりかねるが、私は本心だと感じた。

「わたしは物事の知的な側面に目を向けるのは好きなんだが、「知性」という言葉は好かない。知性ではどうも無味乾燥で、表現力が弱すぎる。それよりは「信念」のほうがいい。ひとが「わかっている」というとき、たいがいはわかっているのではなく、信じているのだね。とにかく、人間は美術という営為にたずさわるときのみ、人間として、動物を越える能力をそなえた真に自立した個人になれるとわたしは思う。美術は空間と時間に支配されない領域へと向かう門のようなものだよ。生きるとは、信じること、これがわたしの信念だ。」





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最終更新日  2004年03月13日 00時53分23秒



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