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存生記

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2007年01月17日
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「リトル・ミス・サンシャイン」を渋谷で見る。日本では、家族をバラバラにする事件が続いているが、この映画ではバラバラの家族をどう蘇らせるかという話になっている。この映画でも遺体の処理をめぐって悩むシーンがある。たしかに死んでしまえば粗大ゴミなのだが、この映画では、死によって共同体が紐帯をあらたに結び直す本来の死の役割が描かれている。

家族を蘇らせるといっても母親以外は偏屈な連中ばかりだ。麻薬中毒の祖父、口をきかない自閉的な長男、勝ち馬・負け犬思考に凝り固まっている売れない作家の父親、リストラされて鬱病気味のプルースト研究者のホモの叔父さん……。ただし、メガネをかけた、ミスコンに闘志を燃やす長女はまだひねくれる前の年齢である。彼女がまだ小さいことで家族がひとつにまとまる可能性が生まれたと言えるだろう。これがもう大学生だったら家族の協力を求めずに唯我独尊、自分の道を突き進もうとする。子供の邪気の無さがこの家族の明るさであり、救いであった。

 いかにも広大なアメリカならではの車での移動だ。ロードムービーなので風通しがいい。これが密室劇だったら濃いキャラばかりで息苦しいブラックなコメディになったはずだ。ポンコツのバスをみんなで押しながらの移動は、みんなが協力しないと進まない。このポンコツバスこそ家族のシンボルだと言える。道連れになって一蓮托生の共同生活をするなかで家族が自らを取り戻すきっかけをつかむことになる。

  父親はサクセス本を売り込もうとするがうまくいかない。セミナーを開くも成功もしていない無名の人物なので人が集まらない。成功していない人が成功する方法を説いても説得力がないのだ。そんなわけで金も入らず妻とも喧嘩が絶えない。アメリカ人の典型のような勝ち負けにこだわる性格なだけに、金にもならないことに精を出す文学者の居候ともそりがあわない。

長男はニーチェを耽読している。ニーチェの選民思想で身を守るように周囲に対して心を閉ざしている。そこでプルースト研究者の叔父さんと相部屋になる。長男はパイロットを目指していたが、色弱であることが判明して半狂乱になる。ニーチェは病に倒れ、ディオニュソス的な狂気の恍惚に至ったが、ミスコンで下手なダンスに踊り狂う妹をみて思わず自分も踊り出すとき、長男は選民思想のニーチェから恍惚のニーチェへとシフトしていた。他方、鬱々としていたプルースト研究者もプルーストの無意志的記憶の歓喜のごとく踊り狂うのだ。

 気がつくと家族全員が舞台にあがって踊っている。娘ひとりに恥をかかすわけにはいかないといてもたってもいられなくなった。と同時に一心不乱に踊る彼女の姿に引き込まれてゆくようでもあった。ミスコンは芸達者のスーパーモデルのミニチュア版たちの博覧会であった。ジョンベネちゃんみたいな人工的な美少女が大人のモノマネをする場であった。そこに場違いの普通の幼女体型の女の子がまぎれこみ、ポルノ狂いの祖父直伝のストリップ踊りを披露したのだ。お上品な審査員は激怒し、やめさせようとするが、家族達がやんややんやと舞台にあがって踊り出したので収拾がつかない。ディオニュソス的祝祭をとめられはしないのだ。

 というわけで、経済的にも精神的にも崖っぷち家族の話なのだが、見終わった後の印象は、悲壮感もどろどろした愛憎もお涙頂戴のドラマもなくて、じつに爽やかであった。家族が競争社会の反映ではなくなり、勝ち負けの価値観を解毒して相対化する場になったときに、感情を共有する場になる。最後のミスコンのシーンをどう描くかで映画の印象はまるっきりかわってしまうと思われるが、危ういところでうまく着地できたので後味が良くなった。家族にバラバラにされるか心配な人は見ておいて損はない。実際には一度崩れた家族が再生するなんてことは難しいが、しばしの幻を楽しむことができるし、なにかしらのヒントはあるかもしれない。

リトル・ミス・サンシャイン





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最終更新日  2007年01月18日 00時14分59秒



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