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東京都が18歳未満の青少年の「ある行為」を描写した漫画やアニメの販売やレンタルを規制する条例の改正案を都議会に提出。
どうやってその絵が18歳未満だと判断するのだろう。担当者や会議の「常識的判断」で決まるのか。言語と違ってイメージには否定形がない。それ自体、曖昧なものだ。一方で、法律の運用というのも曖昧なもので、その曖昧さが権力の源になっている。情報を開示しないでいつでも行使できますよ、という構えだけで抑止効果があるとふんでいるのだろう。 実際、こういう法律ができるだけで業界の自主規制が起こることは、フランスのコミック・コードの影響にも表れている。法律はいちどできてしまうと改正や撤廃は容易ではない。「もうちょっと表現の自由があってもいいんじゃないか」という意見に耳を貸して改正することは少ない。管理する側にすれば手に入れた権限の縮小を意味する。 東京都のやっていることはよくわからん。秋葉原を拠点に日本のマンガ・アニメを世界に発信するのではなかったか。そこで「青少年の健全な育成」によろしくないものは除外したいのだとすれば、そんな「いいとこどり」は娯楽や芸術にはありえない。このような「東京都的」な管理によってもたらされる無味乾燥で窮屈な生活に飽き飽きした人が、虚構に生の滋味や醍醐味を取り戻そうとしていることがわかっていない。 「非実在・・・」という奇怪な法律用語の定義も含めて、もっと議論が尽くされるべきである。東京都の関係部署とそこで働く人たちは、せっせと業務に邁進しているだけなのかもしれないが、それがまさに官僚機構の怖さである。……もしかしたらこれは少子化対策か? 愚かしい。世の中にはマンガやアニメが嫌いな人もいる。管理することが三度の飯より好きな人もいる。厄介なものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年03月15日 22時46分01秒
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