カテゴリ:農苑より
~9月20日(土)~
前回ハウス造成予定地の地面を作ったが(8月14日参照)、そこに試しに菜物や大根、白菜などをまいたり、移植したりしている。 8月中旬に菜物は種をまいたが、他の畑よりも好調だ。やはり表土を起こして笹の根を取り除く作戦はうまくいっている。 もともとの土が肥えているし、米ぬかと堆肥を混ぜたのがなおさらなのだろう。 そして生えてきた草もほうれん草みたいな柔らかい草がメインとなり 元笹わらとは想像もできないほど。 彼らはこの地面を浄化してくれているのかもしれない。 ここ北海道の地面では菜物は5~6月中旬、7月中旬~9月中旬と少しずつ時期をずらして植えてやるとよいだろう。 6月中旬~7月中旬頃は虫食われや暑さなどであまりうまく成長しなかったように思われる。 農苑の方は白菜の移植がほぼ完了した。 一つ一つ手作業なので非常に時間がかかった。 ![]() 元牧草地であるため、根がはっていて移植も中々簡単にはいかない。 そして、移植後の虫食われ・・・ やはり、軽い起こしは必要なのかもしれない。 今回ある方のロータリー(ミニ耕運機)をお借りすることができたので 試しに元牧草地で大豆が植わっている地面、元笹わらを根元ぎりぎりまで刈った地面に使ってみた。 ![]() ![]() その両方とも多少ガタついたが問題なく機械は入ったのだ。 元笹わらに関しては、笹の根が鋭いのでロータリーの刃が傷つかないかと心配ではあったが、問題はなさそうだ。 もちろん、全ての笹の根を粉砕することはできないが、うちの場合は多少根が残っているくらいでも別段問題はない。生えてきたらその都度刈れば良いわけだし、何度も刈り続けていればいずれ衰えるだろう。 元牧草地に関しても、根を浮かすことができたので、かなり植えやすくなった。 両方とも土がふかふかになり、土にとってもそれほどの負担ではないように思われる。 理想をいえば不耕起だが、最初の段階では耕起、その後、土作りが完成したら不耕起という形がよいのかもしれない。 牧草だけ笹だけという極相になっているので、もし他の作物が入るとすれば、一度その偏りを少し崩してあげなくてはならない。 もちろんそれは簡単なことではない。自然に手を加えるという行為は、人間が生きている以上必要なことではあるが、慎重に慎重にいかなければならない。 農という行為自体が自然の調和を崩していることであり、それを肌で感じる。 だから、昔の人は様々な場所に神を感じて祭ったり、儀式を通して自分たちのしている行為の許しを乞うたのだと思う。 草刈りなどをしていて、たまに自分が持っていかれそうな感覚に襲われる。 刈るという行為自体に快感を覚えるというか、自分が強くなった感じになるというか。 何しろ、「もっと刈りたい、刈らせてくれ。」という思いが強くなる。 ではなくて、常にその刈られる対象のことを思ってやることが大切。 中々、笹なんかは一筋縄では刈ることができず、必死に刈ろうとしてしまい、そんな気持ちになりにくいが、 それでも「あっ、いけない。」「刈らせてくれてありがとう。」という気持ちをなるべく思い出すことにしている。 自然に手を加えることは、やはり慎重にならなくてはいけない。 そして、そしてついに今朝本格的な霜がおりた。 一瞬にしてエゴマは全滅、大豆もほとんど枯れた。 センターまわりでは何ともなかったが、農苑の地面はもっと寒いのだろう、一面真っ白になった。イタドリは霜に弱いと聞いたが、そのとおり一斉に枯れた。 どうにもならない、自然のすさまじさを感じた。 ![]() ![]() by Yasu お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.01.23 12:42:28
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