カテゴリ:心の窓
キャベツを掘った。 といってもうちのではないが。 雪の中に野菜を埋めておくと本当に甘くなる。 人間も雪の中で暮らせば甘くなるのかもしれない。 ここはとある農家の方のキャベツ畑の中。 冬はこうして雪の中に野菜を埋めておいて 保存しておくのが常套手段なのだが さすがにこの時期になると地温が上がり 雪解けもはじまり、キャベツも腐れはじめてくる。 雪中保存の限界の時期。 それは、春の訪れでもある。 7~8割は腐れていて出荷できないというが その腐れている部分を除けば問題ない。 生で食べたが、その甘いこと甘いこと! まるでアイスクリームみたいだ。 何も問題ないものが、ただただ見た目とか 傷がついている、とかちょっと腐れている、 なんかで投げられてしまう・・・。 やはり加工の必要性を感じる。 そうすればこの投げられてしまうキャベツも有効に活用できるし、 そして逆にたくさんの量を生産しなくとも 必要量を確保することができる。 一体、野菜そのものと加工したのでは どれくらい価値の差がでるのだろうか。 キャベツの場合ではないが ハクサイの場合で、ごく単純計算をしてみた。 ハクサイキムチにして売った場合と ハクサイそのものを売った場合とでは 実に約75倍もの差があった。 (50万の売り上げを出すのにどれくらいのハクサイが必要かで計算。) もっとも、単純にハクサイだけの計算であるし キムチに必要な他の材料は含めていないが。 数にすると5000個対67個。 5000個のハクサイを作るのには それなりの面積が必要だが、 67個のハクサイを作るのには 0.1反(30坪)くらいあれば十分だろう。 ひょっとしたら、農薬・肥料・手間・油代なんかを合わせると 加工にかかる費用とおんなじくらいになるのかもしれない。 「農家には加工をしている暇なんかない。」 という人もいるが 結局、野菜自体の引き取られる単価が低すぎるから どんどんどんどん大規模化していくうちに時間に追われて 気がつけば深夜までライトをつけて仕事をする・・・ なんてこともザラ。 大規模な面積を作って、夏場に20時間労働で 超過酷な労働に追われるより、 面積を減らして、その分、加工や営業にまわすほうが 結果的に長続きするし、 今の農家にとっては自然のような気がする。 そして、なにより大切なことを見失いがちになってしまう。 それは、食べ物を作るという尊い行為が単なる「仕事」になってしまい、 野菜をひとつのイノチとしてみてあげられなくなってしまうこと。 それは野菜に対して失礼ではないのだろうか。 せっかくこの世に生を受け 大きく育った彼らを機械的に処理することが どれだけの悲劇を生むことか。 今日お会いした方がこんなことをおっしゃった。 「自給率40%というけれど、 日本人全員が一日3回食べているのを 1回にすれば100%超えるんじゃないの・・・」 そりゃそうだ。 自給率を上げるためにさらなる生産力UPや 大規模化を目指そうとする風潮もあるが それよりもこの方のおっしゃった方向性に みんなを導いていくことの方が どうやら自然のような気がする。 つまり、5000個のハクサイを深夜までライトを照らしながら 「仕事」をするよりも 67個のハクサイを毎日でも観察して ハクサイ一人一人の個性を見てあげる方が 心がワクワクするし、体にあっているし、元気が出るような気がする。 もっとも、5000個のハクサイでもそれができるのなら 理想といえば理想なのだが。 何はどうであれ、 農業が「仕事」になってしまう ことが一番恐ろしい。 いや、たとえ「仕事」であったとしてもいい。 彼らのイノチさえ感じられていれば。 by Yasu お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.03.21 15:02:19
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