|
テーマ:戦争反対(1187)
カテゴリ:ウクライナ
「きょうのジョージア、あすのウクライナ、あさってはバルト諸国、そしてその後は我が国ポーランドの番だ」2008年ポーランドのレフ・カチンスキ大統領―3月24日BS161「報道1930:バイデン大統領がポーランドへ」より 1990年になり、国営のタス通信は「ソ連政府はスターリンの犯罪の一つであるカティンの森事件について深い遺憾の意を示す」ことを表明し、同日、ゴルバチョフ大統領はポーランドのヤルゼルスキ大統領と会談し、カティンの森事件に言及するとともに、発見された機密文書のコピーをポーランド側に渡しています。 2008年、ロシアのプーチン首相は事件が「スターリンの犯罪」であるとみとめ、2010年4月7日、プーチン首相はポーランドのトゥスク首相と共にカティンの森の慰霊碑に揃ってひざまずき、「正当化できない全体主義による残虐行為」とソ連の責任を認めますが、「ロシア国民に罪を被せるのは間違っている」とも主張し、謝罪はしませんでした。 当時、私はこの和解を喜びましたが、なんと、3日後の4月10日、現地で行われるポーランド主催の「カティンの森事件70周年追悼式典」に参加するポーランドのレフ・カチンスキ大統領夫妻や政府高官ら94名が乗った機体が空港近くで墜落したのです(ポーランド空軍Tu-154墜落事故)。 「カティンの森虐殺事件」とともに、私の記憶に残る「カチンスキ大統領機事故」です。ポーランドの人たちはもっとでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.03.26 11:42:38
コメント(0) | コメントを書く
[ウクライナ] カテゴリの最新記事
|