「そんで、そのまま掻き消えた、と」
例の雑居ビルの屋上へ続く階段を上りながら、先輩がごつい眼鏡のブリッジを押し上げた。先輩といっても、学校やバイト先のではない。アパートの先住民である。
俺は、そうなんですと返して、屋上への扉を押した。隙間から、強い熱風が押し寄せてくる。
「あ、やっぱり今日も居た」
屋上の端に、制服を着た、ナツズイセンを思わせる背中があった。
「どれ」
先輩は俺を押し退けると、ずんずん少女に近づいていく。躊躇いも気後れもなさそうなその様子に、彼に話して良かったと思う反面、あまりの無頓着さに取り返しのつかないことをするのではないかという不安も広がる。
数歩遅れて先輩の後を追っていくと、とうに屋上端に辿り着いていた彼は、少女に何か耳打ちをしていた。風が強くて、何を言っているかは聞き取れない。ただ、少女の笑顔が揺らぐのだけが見えた。彼女は左頬に手を遣ると、目を伏せ、顔も俯けた。そして先輩が一歩離れると、こちらに背を向け、そのまま外に向かって飛んだ。夜を、ネオンを、空気を切り裂くように。両手を広げて少女は翔んだ。
「何言ったんですか!?」
俺は先輩のいるところに駆け寄ると、隣のコーポやビルの真下を見回した。
先輩は、俺の問いに答えることもなければ、彼女を捜すそぶりも見せない。尻ポケットから煙草を取り出し、火なんぞ点けている。
少女の姿は何処にも見当たらない。
「もし彼女が死んでたら、先輩、自殺幇助罪ですよ」
俺は先輩に掴みかかった。目の前で人が飛び降りたかもしれないのにのんびり構えて。何考えてんだ、この人は。
先輩は俺の剣幕など意に介していない様子で、顔を逸らして煙を吐くと、呆れたように言った。
「単位落としたくらいで落ち込んでるから、あんなのに『負けた』なんて思うんだ」
「な、なんでそんなこと知って・・・・・・」
俺が単位を落としたことは、学校の友人しか知らないはずだ。気味悪くなって、俺は先輩から数歩後ずさった。
彼はニタァ~と笑うと、煙草の箱の中から、一枚の紙を取り出した。端を摘んで、べろんと広げる。夜風になびいているそれに顔を近づけて、俺は仰天した。
「あー! これ、俺の成績表!」
「一昨日うちのポストに入ってた。文句なら郵便屋に言うんだな」
先輩はそう言って、さっさと屋上から下りていった。
しばらくはこれをネタに、あの人にからかわれるだろう。俺は度重なるショックで、しばらくそこから動けなかった。
つづく
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拍手くださった方、ありがとうございます。
9/18 13:56の方へ
そうなんです。
そんなところにも先輩入れてました(笑)
そういえば「お礼は『奇妙な隣人』です」って、どこにも書いてませんでしたね。
入れ替え前のSSも『奇妙な~』でした。