カテゴリ:ちょっと考えたこと
剣の理法の修錬による人間形成の道である
これは、全日本剣道連盟がうたう剣の道を修める目的みたいなものだと思うのですが、 物事には、最終の「目的」みたいなものがあるのだと思うことがあります。 *** よく、「ワークライフバランス」という言葉がありますが、 ワーク(就労、オン)とライフ(プライベート、オフ)のバランスが 大切、というような話だと思います。 物事には、目的と手段があったりしますが、 何が目的で、何が手段かときどき分からなくなりがちです。 なにか、一生懸命打ち込んでいることがあるとする。 たとえば剣の道なら、その勝利もそうでしょうし、昇段なども目標となるものかもしれない。 それは得るのに難く、努力や時間を要するものだから余計に、 手にするのに価値があるという場合もあるのかもしれませんが。 でも本当に、勝利や昇段が「目的」なのかどうか? 少し考えると、それは「最終目的」ではないのかも?と気が付きます。 先ほどのスローガンのように、「人間形成の道」つまり 剣の道を通して、その人の人生や人間としての生き方をよりよくするための「手段」であると うたっているのではないでしょうか。 ※ともすると、「剣」を扱うような場面ですので、現代では真剣を持ち歩くことこそ ありませんが、その修練を人を切るのを目的にするようなことがあっては筋が違うということから、 連名でそれを第一に掲げているのではないかと想像するのですが…。 *** どんなことでも、そうかもしれない。 たとえば先ほどの「ワークライフバランス」。 就労とプライベート、を天秤にかけることなどできないし、ナンセンスなのかもしれないけれど。 本当の本当には、どちらが大切なのだろう。 プライベートを充実させるためには、生活をするための糧を得なければならない。 そのために就労は必要であるし、収入以外にも就労が持つ意味は大きかったりもする。が はたして「就労」が生きる目的なのかと言えば、 そうのような気がする人もいるだろうし、 そうじゃないような気がする人もいるだろう。 「就労」ありき な毎日というのは、日本でもありがちでとにかくそれが第一、 それをすることが不可欠で偉くて何をおいても一番目に持ってくるべきもの という考えの人も多いように思われる。 がしかし、本当にそうだろうか? *** ものすごく個人的なことになってしまうのですが、 ここ最近、「就労の多忙さ」を理由にプライベートをかなり放置して、放置しすぎて 信頼関係にまで及びそうな場面を身近で見てきました。 就労の年数や、現場での働きは素晴らしく 仲間からの信頼も厚い。 仮にそういう人だったとしても、それを理由に 身近な家族だとか本人のことをとことん後回しにして放置したならば。 その人の評価はガタ落ちになったりしないのだろうか? 今すぐできないことなら、数日、数週、数か月、数年でプランを立てることもある。 そういう先を見通したプランを立てるというのは、就労の場ではきわめて大事な 位置づけにあるのではないかと、私などは思ったりするわけですが こと、家族のことになるとそのあたり、行き当たりばったりで なんとなく、プランというようなものと縁遠くなってしまっているような気もして。 *** つまり、何かごとについて「就労」を理由に、プライベートをなおざりにすることが そこいらじゅうであるようにも思えるのだけれど、 人にとっての、本当の目的とは「就労」ではなく、個の生活なのではないかと 最近は強く思うようになったのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.10.06 14:22:30
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