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先に断っておきます。本日の日記は笑えません。結構怖いです。
夜中に一人で見て、「眠れなくなった!」と言われても責任持てませんので、あしからず・・・。 怖がりな方は読まない方が良いかもしれません。 旅行から帰って来て、少し風邪ぎみだったので日記更新をさぼっておりましたが、ヒドクならないうちに治ってきたので旅行の 日記を書こうか、とも思いましたが、たまたまこのテーマに 行き当たりましたので、先にこちらをアップする事になりました。 きっかけは、「おふろのかぞえうた」と言う、昔 ”ひらけ!ポンキッキ”でやっていた歌を、姫にお風呂で歌って あげたくてネットで童謡を検索していた時の事。 他の童謡も”うろ覚え”が無いか、正しく覚えて歌ってあげたくて 検索していたら、童謡の本当の意味を知る事になったのです。 皆さんは「かごめかごめ」の意味ってご存知でしょうか・・・? 子供の頃は意味など分からず無邪気に歌っていたものの、 大人になるにつれ、何となく薄気味悪いと思っておられる方も 多いのでは無いかと思いますが・・・。 「かごめかごめ かごの中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だーれ」 色々な検証が為されていて、その中のいくつか抜粋しますと、 (パターン1) ◎かごめ=籠女(遊女) ◎かごの中の鳥=吉原の言葉で性病になる事を鳥につくと言う ◎いついつ出やる=いつ遊郭から出られるのか? ◎夜明けの晩=夜が明けそうな時間帯(人知れない時間帯) ◎鶴と亀が滑った=縁起の良い物が滑る、つまり死。 ◎後ろの正面だーれ=背後から何者かに手をかけられたが死んでしまったので確認出来ないので訪ねている (遊女と言う職業柄性病にかかる確率が高い。昔の遊郭では稼ぎの悪い遊女は、ろくな治療もしてもらえずに隔離されて殺されたり、死を待つのみ、と言う事も多々あったらしいとの事。) (パターン2) ◎かごめ=籠を持った女性、つまり妊婦 ◎かごの中の鳥=胎児 ◎いついつ出やる=いつ産まれる ◎夜明けの晩に=夜明けの晩などありえない、つまりこの世で無いありえない空間 ◎鶴と亀が滑った=縁起が悪い、流産 ◎後ろの正面だーれ=背後にいるのは水子霊 (パターン2)の変化として嫁を良く思わない姑が鶴と亀(縁起が 良い・妊婦と胎児)が滑る(階段から妊婦の嫁を突き落として死) 後ろの正面だーれ?(突き落としたのは誰?) (パターン3) 昔、飢饉があった村で村長を輪の中に囲み”かごめかごめ”をやり、「後ろの正面だーれ?」で村長の後ろに来た子供を食べた。 確かに”かごめかごめ”の遊びは、真ん中に一人を囲み、輪になって歌いながら囲む、と言うのは何かの儀式の様ではあります。 (パターン4) 避妊や堕胎など行われていない昔の日本では口減らしの為に、 産まれた赤ちゃんに塗れた障子紙を顔にかぶせて殺した事から、 中央にいる子供は顔をふさぐ(障子紙で顔を覆われる仕草) 後ろのしょうめんだーれ(しょう=障子紙・めん=顔・だーれ=次は誰だ?) 変わった所では徳川埋蔵金のありかを示すと言う説 篭目と言うのは星型の模様のことで、(清明桔梗印のような) 江戸を中心に星型をあてはめると寺などが、風水でいう大事な位置に星型の様に配置されているそうです。 その内、東照宮は鬼門に当たる位置になる。 ちなみに、鳥は鳥居を表すと言う説があります。 他に、「通りゃんせ」も有名ですが、 「通りゃんせ通りゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ ちょっと通してくだしゃんせ 御用の無い者通しゃせぬ 子供の七つのお祝いに お札を納めに参ります 行きは良い良い 帰りは怖い 怖いながらも 通りゃんせ通りゃんせ」 かごめかごめ程のインパクトはありませんが昔、 埼玉県の川越市には城があり、城の本丸近くにある徳川ゆかりの 神社の参拝に行くのは許されておらず、年に1回の大祭の時にだけ民衆が詣でる事を許されたらしいのですが、関所を通る時に 7歳以上になると税を納めねばならないのですが、 行きはお札を納める前なので、6歳と見なされ税を納めずに すんだが、お札を納めて帰る時には7歳と見なされ、税を払わねばならないので”怖い”や、年に1度しか参拝出来ない幕府ゆかりの地の為、珍しがって参拝帰りにジロジロ見ている民衆を 懲らしめたり、恫喝された事から”怖い”や、帰るときに携帯品を厳しく調べられた事から、と言う説もあるそうです。 後は、「赤い靴履いてた女の子」 「赤い靴 履いてた 女の子 異人さんに連れられて 行っちゃった」 作詞家の野口雨情が引っ越してきた家の近隣に住む一家の話だそうです。 一家は北海道に移り住みなけなしの金で入植したのですが、 入植に失敗した為に金銭的に苦しく、近所に住んでいた外国人の 牧師一家が帰国時に「養女に」と望まれたので子の為を思って 母親は養女に出し「あの子の為にこれで良かったんだ」と思い込む様にして涙を飲んで別れた。 しかし、子供はその後、結核の為に施設で入院しており、 (その頃結核は不治の病でした)結局外国にも行けず、 「母に会いたい、母に会いたい」と言いながら子供は死んでしまい、再開は叶わなかった、と言うエピソードの実話であるらしい。 他にも、「ふるさと」「シャボン玉とんだ」も、死んだ子を思って作られた悲しい歌である様だ。 「花一匁」は子供を売買する時の様子を歌った物だと言う話も聞いた事があります。(←これはうろ覚えで不確かですが) 「勝って嬉しい花一匁 負けて悔しい花一匁 箪笥長持どの子が欲しい どの子じゃ分からん 相談しよう そうしよう」 ◎勝って嬉しい=買えて嬉しい ◎負けて悔しい=まけて→値切られて悔しい ◎箪笥・長持どの子が欲しい=物やお金と引き換えにどの子を買う?(昔は子沢山故、選ぶ程子がいる) ◎相談しよう=どの子を買うかじっくり相談 日本古来の語り継がれる、歌い継がれる物には悲哀漂う物が多い気がする。 陰惨な時代が長かったせいもあるのだろうが、史実には記載されずに隠されようとしていた暗い部分は、民話や童謡の中にこそ伺えるのかも知れない。 意味も分からず子供の頃は歌っていたが、親から子へ、子から孫へと代々歌い次いで行く事で陰惨な時代を忘れない様に、繰り返さない様に、との先人の工夫と願いがこもっているのかも知れない。 飽食の時代、平和ボケしてしまった私達がやるべき事は、他国の戦争を対岸の火事ととらえず、そして過去に確実にあった悲惨な歴史を教訓に、未来に語り継いで行く事なのかも知れません。 最後までお付き合い下さって有難う御座いました。 明日からはいつもの”アホ日記”に戻りますのでご安心を(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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