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06話 【豆台風】


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06話 (潮) 【豆台風】―マメタイフウ―



不破犬君による直情的な告白は、3日経った今もなお、私の心の中で燻り続けていた。
思いがけない人物から、思いがけない言葉を掛けられたものだから、柄にもなく悩み続けてしまっている。
果たして彼の『好き』はLOVEなのかLIKEなのか。そこを疑い出したらキリがないし、ひとりで考えたところで答えも出ない。
そんなことは百も承知なのだが――。
心の内がしっちゃかめっちゃかしている私を尻目に、不破犬君という男は屈託がない様子で今日ものさばっているのである。
これでは、振り回されて悶々としているのは私ひとりで、不公平ではないのか。
あの出来事は幻だったのかと首を捻りたくなるほどに、この3日間は接触もない。この静かな平穏が、かえって不気味なくらいだ。
あのとき彼は想いを述べただけであり、私とどうなりたいのかという具体的な未来の話も出ていない。その放置っぷりがどうにも気になる。
ゆえに私は相変わらず不破犬君に苦手意識を持っており、仕事が間に合わない私に向かって離れた場所から冷視してくる関係も継続中だ。


***

上司である八女チーフが昼休憩に入り、ひとりで仕事をしていると、背後から靴音が聞こえて来た。
振り返るまでもなく足音の主は不破犬君であり、やれやれタイムリーなことだと思いながらも椅子ごと反転させる。
相変わらず彼の身だしなみはバッチリだ。身の上話を語り合う間柄でもないので確認はしてないが、彼からは育ちが良さそうな印象を受ける。
これで毒舌さえなければ、顔も整っているし、言うことはないのだけれど。
「潮さん、これ入力してください」
差し出された用紙を受け取ると、「はいはい」と何事もなかったかのように振る舞う。
いや、“何事もなかったかのように”じゃない。“何もなかった”に違いないのだ。現にこの3日間、何もなかったではないか。
だから紙を受け取ってから、速攻で椅子の位置を元に戻したとしても、露骨ではなかったはず。……なのだけど。
「潮さん。3日前に僕が言ったことですけど」
「み、3日前って?」
悪あがきをして、気付いていないフリをする。
自分からその話題を持ち出すのも癪だし、LOVEなの? LIKEなの? と尋ねるのも躊躇われ、私は「何のこと?」ととぼけるしかない。
けれど、無情にも先を続けるのが不破犬君という人物だった。
「潮さんに好きと言った件です」
≪ここで効果音!≫という台本指示があったなら、本当に何かが燃える音がしたに違いない。
私の顔は、自分でも分かるくらい赤くなっているはずだ。すでに耳朶が熱っぽい。
「あれは本当です。恋愛感情という意味で、潮さんが好きです」
直球ストレート勝負。どこまでも真剣な眼差しに、心の奥底に眠るパンドラの箱が、今にも開いてしまいそうだ。
「し、仕事中に口説かないで。ひとが来たらどうするの?」
苦し紛れに、その話題を遮った。
すると珍しく、ぐっと押し黙った。私の正論が耳に痛かったのか、悔しそうな顔をしていた。
……温かい。熱いほどだ。不破犬君自身はクールなのに、その内に秘めたモノは、情熱という名の炎によって守られている。
彼に助けて貰うことは多い。彼から好意を寄せられることが、嬉しくないわけではない。
不破犬君は、苦手だけど、嫌いになれない存在だ。それはつまり、人としては嫌いじゃないという意味だ。けど。
「ごめん。私、好きな人がいるから」
(だから、駄目なの。あなたでは)
私には、それだけ言うのがやっとだった。
だからこそ、心の内を曝け出した不破犬君の勇気に感心する。人と向き合うって、簡単なようで難しい。
「えぇ」
彼は静かに肯定した。何が「えぇ」なのだろう? あぁそうか、私が言った「ごめん」に対してか。
答えの意味を咀嚼するのに、こんなに時間が掛かるなんて。
「知ってました。だから、こうもすんなり伝えられたのかもしれない」
その言葉に驚いた私は、咄嗟に彼を見上げていた。
「好きとしか言えないです。付き合って下さいなんて言っても、駄目って言われるの、分かってたし」
その途端、今まで見たことのない表情に変わった。
つい『やめてよ、泣かないでよ』という言葉が咽喉元まで出掛かるような、苦しそうで、笑おうと頑張っているような、無理をした顔だ。
誰がそんな顔を彼にさせるの? そんな表情見たくないから、しないで。
違う。彼にこんな顔をさせているのは私だ。でもどうして? 私は彼に想って貰えるような人間なんかじゃない。秀でたものなど何もないのに。
「伝えられれば、それで良かった」
彼の言葉からは、肩の荷が下りました感がひしひしと伝わってくる。その割に、強張った顔はなおも継続中だ。
そのちぐはぐな差異が気になってしまう。
「伊神さんですよね?」
ビク、と肩が震えた。自分でも分かったのだから、彼にも伝わったことだろう。
「な……なんであなたがその名前を……」
「知っているのかって? まぁ確かに、直接会ったこともないひとの名前ですものね。
さぞかし不思議にお思いでしょうが、僕がここに配属されて3年になりますからね。知ってますよ、名前ぐらいは」
「…………」
「でもおかしなことに、それ以上の情報は入ってこないんですよね。伊神さんって誰なんですか? 潮さんとどういう関係です? 
誰に聞いても、はぐらかされてしまう。まるで――緘口令が布かれているかのようだ」
緘口令という単語に、私の心臓がきゅっと縮こまるのが分かった。
「でも僕の予想が正しいなら、潮さんが好きなのはソマさんではなく、その伊神さんというひとじゃないかと」
思うんですよね、と彼は言う。じっと私をみつめて。私から反応を引き出し、見極めるように。
「……ノーコメントよ」
「やっぱりそうなりますか。……ひとを好きになるのは自由なはずなのに、始めからその権利すらないなんて、ちょっと悔しいです」
素直な本音を聴かされて、うろたえてしまう。どうしていいか分からなくて、困惑してしまう。
いつもは厳しすぎるくらい冷ややかなのに。フォローしてるかと思えばその逆で、とどめを刺すくらい嫌味なヤツなのに。
ふいに頬に冷たいものが当たった。不破犬君が、遠慮気味な手付きで私の頬を撫でていた。
「……泣きそうな顔しない下さい。僕、その顔……苦手です」
違う、何言ってるの? それはこっちの台詞よ。あんたの方が、よっぽど泣きそうな顔してるじゃん。
不破犬君の親指が私の頬をなぞり、と同時に切ない顔をした。ツキンと棘のように私の胸に鋭く刺さる。情にほだされそうになる。
(駄目よ、それでは。思い出して。あなたが好きなのは誰だった?)
制服のブラウスの上から、私はそっと鎖骨部分を押さえた。
傍目には分からないだろう。『そこ』に何があるのか。
知らないひとからすれば、鎖骨を撫でる私の動作は、単なる私の悪癖に見えるだろう。
鎖骨の上に、少しだけ盛り上がってる『それ』は、戒めのようなものだ。ナットネックレスという名の。
(あなたが好きなのは誰だった?)
その質問には、分かり切った解がある。揺るがない、根幹のような答えが。
(伊神さん――……なんだわ)
すぅ、と息を吸う。そして、満ちた呼気と一緒に吐き出すのだ。今度は、不破犬君への解を。
「ごめんなさい」
数秒ほど身動ぎしなかった彼は、しかし何も告げることもない。
(これでいい)
やがて彼も気付くだろう。
恋は盲目だという。あばたもえくぼ、とも。
何の手違いか、或いは神の気紛れか。一瞬の気の迷いのせいで、変な女性を気になってしまったものだと。
そしてそれは、風化していくのだろう。
(だから、これでいい)
項垂れている私の頭上に、潮さん、と声が掛けられた。
顔を上げると、不破犬君はまっすぐと私を見ていた。
にこりと笑みを浮かべ、あっさりと口にしたそのことばは。
「知ったこっちゃないです。諦めません」
「……ひとの話、聞いてなかったの?」
唖然としかけた私だが、そこで「あ、いたいた。潮ー、入力お願いー!」という同期からの仕事が舞い込んできた。
とんだタイミングだ。その依頼、できれば3分前にして欲しかった。
不破犬君といえば、この話は今日はここまでと言うかのように、ふらりとPOSルームを出て行った。


(→続く)

2019.03.21
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