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ヒロガルセカイ。

ヒロガルセカイ。

6。

     6。

この吉原でも大見世の松葉屋。その看板をはる太夫の名を、あの夕映が継ぐのは霜柱でなくても「早すぎます」と呟いてしまうでしょう。

「俺もね、早いとは思うけど。そうしたほうが借金は早く返せるよ。」
高尾太夫はさばさばと応えますが、その割りに表情は曇っていました。
自分の弟と同じ年の夕映が、今日も身を売る。
そしてこの松葉屋の太夫になる。

「どうしたものかな。ここに来て迷うなんてね。」

高尾太夫はキセルを盆に置くと、天紅(巻紙の上部を唇で挟んだように紅で染められた紙)で書かれた文を霜柱に渡しました。
「これを紺屋の久蔵さんに渡してくれるかい。」
「紺屋さん、・最近顔を見ませんね。」
紺屋の久蔵さんとは、錦絵に描かれたこの高尾太夫の姿にひと目ぼれして以来・3年間、ずっと貯めこんだ10両を持って先日、ようやく高尾太夫に会いに来た若者でした。
「使い果たしたからね。そうそう来れないさ。」
高尾太夫は、紺屋の久蔵さんの純情ぶりに困惑しています。

それは数日前の雨の降る夜でした。
こんな日は「しけ」と言って、なかなか客数が伸びなくていけません。
なんとか客を捕まえたい切見世と呼ばれる端のランクの花魁の奮闘を遠くから眺めて、今日は仕舞と決め込んでいた高尾太夫の目の前に。
10両を持って、この松葉屋に飛び込んできた久蔵さん。
高尾太夫の姿を見て、今にも泣き出さんばかりの感激ぶりに面食らいました。
普通の初会では花魁と床を共にすることは出来ません。
お金を積めば可能ですが、元々お金では頷かない高尾太夫。
しかし、その純情ぶりにほだされて床を共にしました。
夢が叶った紺屋の久蔵さんは「年季明けに一緒になろう」と高尾太夫の両手をとり懇願したのです。

そんな思いを無碍にも出来なくて、なかなか書きもしない文を書いたのでした。

「一緒になられるのですか?」
霜柱は、ふと聞きたくなりました。
「ならないよ。俺を崇拝するような子と一緒になってどうする。気が抜けないや。」
あはははと笑う高尾太夫。
でも、苦笑いにしか見えなくて切ない。
出会いが、花魁としてではなく、普通の生き方をしている身の上であれば違ったかもしれません。
高尾太夫はわかっていました。
花魁あがりの自分が、紺屋のところに行っても迷惑になろう。
それに偶像を崇拝されているようで落ち着かないのでした。
その偶像を壊さぬように・・・先日のお礼だけしたためておいたのです。

「夕映も、ちゃんと文を出しているのかな?」
「文を渡してくれと頼まれたことがありませんから・・。」
お客のことよりも、高尾太夫のことで頭がいっぱいですよ・・と霜柱は思っていました。
「お礼なら書くだろうけど。<会いに来い>とかは、あの子は書けないだろうな。だから、ちっともここを出られないんだよなあ・・。」
花魁の書く文とは、馴染みの客にお礼を書くものではありませんでした。
催促です。
<お前さんだけが頼りなの。>などと書き綴って、見世に来るように仕向けます。
ここも花魁の手練手管の見せ所。
さりげない言葉を使って、惚れているように見せかけると、騙された客は足しげく通いだすのです。
しかしこの高尾太夫は、そんな文を書いたことがありません。
性に合わないから書かない・などと言い、文は出さなくても、来た客に自分の口で<また来て欲しい>と囁いておくだけです。
その姿を禿の頃から見てきた夕映が、文を書くとは思えません。
おそらく自分と同じように、耳元で囁いているだけでしょう。
自分と同じことをしたいだろうが、まだ色気のおぼつかない幼子には空振りになりかねない誘い方です。

「夕映さんの客のひとりが、丁子屋の直江さんに通いだしたと聞きました。この花魁、体が大きくて腕力でも、当代きっての大一座のものよりも秀でているし、文もよく書くとの噂。夕映さんはこのままではお客を逃します・・。」
「直江?あの野良犬みたいな大男。ふうん?」


羊の刻(午後3時)になりました。
花魁が数人、昼見世に並びます。
昼間から花魁を買う客は少なく、殆どは吉原見物の田舎ものや・ひやかしでした。
さすがの花魁たちも野暮な連中を相手には商売をする気になれません。
ちらりと顔を出したら、さっと引っ込んでしまいます。
夕映も、1時間も座らぬうちに部屋に戻りました。
隣の部屋の高尾太夫を訪ねます。
お話がしたいな、と思ったのですが頬づえをついて寝ていました。
寝ているのをいいことに、しずしずと部屋に入り込み、そっと高尾太夫の傍に寄ります。
着物から香る、いい匂い。
わざと後れ毛を残したうなじからも香るようです。
夕映は、着物の裾からのびた脚に触れたくて手をそっと伸ばしますが。
・・・・ためらいます。
行き場を失った指先が、まるで風を手繰るように揺らぎます。
汗のにおいのしない体。
抱きつきたい思いを抱えたまま、高尾太夫の寝顔を見つめます。
今、高尾太夫が目を覚ましても驚かれない気がしました。
気持は伝わっていると夕映は信じています、でもそれ以上はなにも望めません。
それどころか、自分はこのひとを越えなければならないのです。
暫く息を殺して見つめていました。
ずっと傍にいたかった。
いつまでも傍にいたかった・・。
震えそうな視界を堪えます。

そのせつない後姿を、監視役の霜柱が見ていました。
手を引いて、部屋から連れ出そうかという衝動にかられそうでした。
届かぬ思いは、ここにも・・。



昼見世は申の刻(午後4時)に閉まります。
そして酉の刻(午後6時)。花魁たちの出陣に、内芸者が清掻(すがかき)という三味線を弾きます。
トッテンシャラン・・。トッテンシャラン・・。
繰り返される歌の付かない伴奏のみの音です。
この音を合図に、俗世とは異なる花魁の誘惑するこの世の宴が始まるのです。
まず若い男衆が神棚からお灯明の火を付け木にいただいて、その火を見世の行灯に移します。ぼう・・と広がる温かな光が淫猥な世界を映し出します。
その行灯の明りを頼りに、今宵の華が現れます。
花魁が、ゴツッゴツッとまるで木靴のような音を立てます。
草履を25枚重ねて縫い上げた上草履で2階から降りてきて、定められた位置につきます。
松葉屋の看板太夫の高尾太夫を筆頭に、夕映格子、水谷格子、散茶、局、切見世・・と続きます。
色とりどりの華が、夜の始まりをその姿で知らせます。
見世の前で待っていた男どもから、ほう・・・と感嘆の声が漏れています。
客をひく遣手も満足げな表情。
何も話さなくてもひとを惹きつける花魁。
今宵の美しさも折り紙つき。
いよいよ花魁たちが一斉に並ぶ夜見世が始まるのです。



決めた花魁のいない振りの客は<細見>という案内を買います。
各町各楼の場所・お抱えの花魁の名・年・格・花魁つきの新造の名・禿の名はおろか揚げ代まで載っている案内板です。
これを見ながら客は見世にやってきます。
吉原が活気付く時間です。
男たちが遣手と交渉して客が決まります。
早い時間に来てくれた客を花魁は部屋に通します。
「お座りんす。」にっこり微笑む花魁に座るように言われます。
まるで異国の言葉に聞こえます。
ここは「ありんす国」とも呼ばれた花魁の国。
そんな雰囲気に酔いだすと、おや、花魁がいません。

一言二言・言い交わすと、花魁はまた見世にでてしまうのです。
次の客をとるのです。
こうして花魁は一夜に何人ものお客をとります。
待ちぼうけを食らうもの、独占できるもの、すべての思惑が乱れ飛ぶ。
この世の宴の始まりです。


  夜の宴が始まるのでありんす。

  7話へ続くのでありんす。



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