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ヒロガルセカイ。

ヒロガルセカイ。

8.

8.

「風雅の兄貴に逆らうとは大した子だ」
 背中越しに賑やかな声が聞える。

「それに何といってもあの容姿。ルリさんの良いところを全部引き継いだようだ」
「ほほほ。ルリさんの息子は度胸がありますでしょう、親分さん」
 
は? 親分さん? 今、ママさんが普段の生活では耳にしない言葉を発した。

「やがては功成り名を遂げるだろうな」
 今頷いているオヤジサンが親分さん?


「どうした。大人しくなったな」
「風雅さん、あなた達はもしかして、その筋の方ですか?」
「……見ての通りだ。今頃気付くか、この鈍感。世間知らずにも程があるな」
 罵られて癪に障る。

「身近にいないし、日中はお見かけしませんからわかりませんよ!」
口を尖らせたら、また軽々と抱き上げられてしまった。

「いー! 嫌だ、怖い、離してください!」
「今更暴れるな」
ろうけつ染めの暖簾をくぐり「早く着替えろ」と、床に下ろされた。

「着替えたら家まで送ってやる」
「え、本当に?」
 このクラブから自宅までは地下鉄で十分の距離だ。
別に送って貰わなくてもいいのだが。

「そんな不可解な顔をするな。私達にとってオヤジサンの言いつけは絶対なのだよ」
 話しながら風雅さんは携帯を取り出した。

「姐さん、風雅です。オヤジサンから急ぎの手配がありまして、今宵の博打は代理の鉄に行かせます。みかじめ料は明日、私と手の者で回収します。ええ、失礼いたします」
 
聞きなれない言葉がいくつも出てきたぞ。
仁侠映画を観たことがあるので『姐さん』ならわかるが『博打』? 
思わず畳の和室で、体に刺青を彫った男達が蝋燭を立て、賭けで金を奪い合う姿を想像してしまった。生々しくて凄く怖い。

「何だ。呆けていないで着替えろ」
 風雅さんは壁に寄りかかりながら俺を見下ろしていた。突き放すような言い方だし俺を見下すその態度が腹立たしい。

「風雅さん」
「ああ、何だ」
 襟元を外しながら目線だけ風雅さんに投げかけた。

「風雅さんの体にも刺青があるのですか?」
「おまえは前置きも無く、妙なことを聞くのだな。あれは皮膚に傷をつけて酸化鉄や墨汁を入れるから内臓を壊す。自虐的な事は嫌いでね、私は彫っていない。確かめたいか?」
 また、からかっているな。

「いいえ。……それから」
「まだ何かあるのか。よく喋るな」
「向こうを見てもらえませんか」
「……男同士なのに恥かしいのか?」
「いけませんか?」
 風雅さんは溜息をついて腕を組み、顔を背けた。

「強気だなあ、子供の特権か」
 背中越しに聞える声にも張りがある。
「見世物じゃあるまいし人前で着替えるのは抵抗があります。風雅さんは違うんですか」
「女の前なら平気で脱ぐが」
「それは意味が違うでしょう」
 
さっさと黒服のシャツを脱ぎ、ロッカーに入れた。 
私服のシャツを頭から被り、袖を通すと安堵した。
かすかな自分の匂いに、ようやく解放された実感が湧いたのだ。
丈の足りなかったスラックスを脱ぐと、畳んでおいたジーンズに足を突っ込んだ。

「やけに小さい下着だなあ。全部入るのか」
「はあ?」
 顔を背けていたはずの風雅さんが堂々と俺の着替えを観察していた。
それどころか何かを計るように親指と人差し指で三センチ程の幅を作って見せた。
「何ですか、それは」
「クレハの下着の幅はこれくらいしか無いな。前はきちんと隠れているのか?」
「……収まっていますから、大丈夫です」
 立体的でローウエストの下着は俺の好みだ。因縁をつけられる覚えは無い。これなら腰でボトムを履いても下着が見えないからクールなんだ。

「おい。尻の割れ目が見えるぞ、クレハ」
「だーかーら! 見ないで下さい!」
 俺が怒ると風雅さんが吹き出した。

「見世物は嫌だと言うが、おまえの言動の全てが注目に値する」
 楽しそうに笑うので、俺はこの人が本当に極道なのかなと疑った。
自然な笑顔に親しみが感じられたのだ。

「きつそうなジーンズだなあ。具合の良いものを買ってやろうか」
「これは元々タイトなのです! 大人は感覚が違うのですね」
「失敬だな。私はクレハと年があまり離れていないのだぞ?」
「え!」
 どう見積もっても二十代半ば。下手したら三十代に見える風雅さんが、俺と年が離れていない? 

「俺は十七才ですよ? 勘違いをしていませんか」
「私は二十五だ。変わらないだろう?」
「うわ。八才も違うじゃないですか! 義務教育分の差がありますよ」
 八年の経過は、生まれた赤ちゃんが育ってランドセルを背負う程だぞ。
それにその八年の間に何回オリンピックが開催されるのだ。
大人だと威張る割に、大雑把過ぎる。

「そう言われると、そうだな。しかし生意気な子だ」
 何故か風雅さんが上着を脱いで俺の肩にかけた。
「なん……ですか? 寒くないですよ」
「この店をその成りで出て平気なのか? 
この辺りは未来あるおまえ達の為に小煩いお母様方がピンクチラシを根絶させた一帯から近い裏通りだぞ? そんなところから子供が出て来たら大騒ぎだ。これ以上、私達の仕事を邪魔されたくないのでね」
「はあ」
 
風雅さんの上着に袖を通すと指が隠れた。
俺よりも腕が長いのだ。
背丈の差は十センチ以上もあると踏んだけど、こうして体格が直にわかると、気恥かしい。

「頬が赤いぞ。まさか酒を飲んだか?」
「違います。……あなたの匂いがするから」
「私の? ふうん。憎めないな」
 風雅さんが微笑むと、俺は鼓動が激しくなるのを感じた。

父も生きていたら、こんな風に俺をからかうのだろうか)
 
俺の父は早くに他界した。
俺は父の面影を忘れ、思い出は名づけの話しか無い。
生まれたばかりの紅色の体の俺を見て『背中に紅の羽がある』から紅羽と命名したそうだ。
その父を失ってから年上の男性に父の姿を重ねようとした時期があったが、恋愛感情は無かった。
それなのに、このこみ上げる熱情は何だろう。
「あまり私を見つめるな。惚れてしまったら面倒だろう、お互いに」


9話に続きます。

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