おぼろ二次元日記

2020/01/24(金)17:18

​「舞台刀剣乱舞 維伝 朧の志士たち」(配信)を鑑賞しました。

イベント(164)

久しぶりに感想を書こうかなと記してみました。 ちょっと、ですけど。(^^) ​「舞台刀剣乱舞 維伝 朧の志士たち」の公式HPはこちら。 本作品以外の媒体(作品パンフレットや雑誌。)には全く触れていませんので 見たまま感想です。 ゲーム内イベントが元になっているので今までより分かりやすい内容だったと思います。 龍馬、以蔵と陸奥守や肥前の気持ち、行動の在り様がこれでもか、というくらい伝わって きました。 しかし・・・ 「俺たちは刀だ。」 「私たちは刀なんだよ。」 と彼ら自身が言っているように彼らは”刀”、そこに「感情」はあるのか? ふと思いました。 この作品を鑑賞し終わって一番最初に感じたのは 「曖昧さ」 です。 まさにタイトルの「朧」がフィットすると思いました。 改変され、閉ざされた文久土佐藩を調査し、時間遡行軍を処理するべく 向かう陸奥守吉行たち。 出会った龍馬、以蔵、武市たちがその時代の彼らではない事に次第に気づく一行。 明らかになったのは本人の思念と遡行軍の力が絡み合った刀剣男士とも 違う存在。 もしも龍馬たちが「この時にこうしていたら?」 無念を晴らそうとするだけの龍馬たちなのかと思ったら、自分の中に 確固として存在する「矜持」「意思」に気づいていくんですね。 ずっと自分の「人斬り」の剣の意味を探す以蔵。 世界を変えたかった武市。 意思半ばで倒れた龍馬。 彼はその人生をそこで終わってもなお笑い飛ばせる人だった。 そんな彼らに使われた刀剣=刀剣男士。 彼らの気持ちをこれでもか、というくらいに受け止めても彼らには一緒になって 歴史を改変することはできない。 刀としての本能で歴史を守るだけ。 敢えて審判者がかつての持ち主と対面させるのは「強くするため」だと 鶴丸と小烏丸が話していました。 そこに”愛”はあるのか?じゃないけど強さのためにだけ出陣させているの だったら審判者鬼。ニトロだからね。(笑) もし感情のままに動いてしまうようになってしまったら検非違使が来るよ、 案件になるのでしょうね。 「俺たちは刀」。 「物が語るから物語」。 逸話、伝説、人が付けた折り紙・書物によって存在している刀剣男士。 「もっと物語を。」 三日月がそうであるようにたくさんその身に歴史・逸話を持っていれば 持っているほど確固たる存在を彼ら自身が実感できるのでは。 だから「歴史を守る」。 最後に鶴丸たちが言っていた三日月のこと。 別方向から円環に閉じ込められた三日月を助けたいと思う”彼”と 「寂しい」という鶴丸。 もっと物語を集めたいと言う”彼”や感情を口にした鶴丸は彼自身が言っていたように 「危ない本丸」 になりつつあるのでしょうか。 彼らも「刀」と口にしていなければ「朧」のような”揺らぎ”の中にある 存在であるのだと感じました。 最後に出演者の皆さんの素晴らしい殺陣を堪能いたしました! 動くセット、細い足場での立ち回りで怪我無く公演を終えられて本当に 良かった!と思いました。 それぞれの個性を生かした殺陣の中で肥前くんの抜刀とアニメのように 一列に敵を斬っていく構図の場面にゾクゾクしました! もう一度見直してあれこれ妄想という朧げなものを脳内に発生させたいと 思いました。 ​舞台『刀剣乱舞』維伝 朧の志士たち【Blu-ray】 [ 蒼木陣 ]​

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