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新宿歌舞伎町は有力暴力団の草刈り場である。
山口組が東京にドンドコ進出した当時、 歌舞伎町でまず勢いを見せたのは一心会西條興業だった。 西條興業の組長は2代目一心会で若頭をやっていた。 切れ者で瞬くうちに歌舞伎町で自宅兼用の事務所ビルを持つ程になった。 この時期、歌舞伎町には山健組系、弘道会系が相次いで進出し、 橋頭堡を築いた。 この頃、新宿で羽振りのよかった東京ヤクザは住吉会幸平一家の加藤連合だった。 ヤクザ御用達のクラブ蘭丸で山健組系と加藤連合系の組長がいざこざになり、 すぐに仲裁が入ったが、小抗争になったこともあった。 菱系が新宿を普通に闊歩し始めた頃、 弘道会系以外は警察関係者と道ですれ違っても、 無視するか、目で挨拶を交わす程度だった。 しかし、弘道会系は会の方針だったのか、必ず食ってかかった。 口汚く食ってかかられた捜査員の中には、 「奴らだけは許せねえ」 、と唇を噛みしめた者もいた。 一心会西條興業は西條組長が50代の働き盛りでガン死し、 急速に勢力を衰えさせたが、 山健組系と弘道会系は大健在である。 山健組系は住吉会系と友誼関係を築いている。 東京進出を遂げた山口系もその主戦場は新宿である。 分裂組の新団体が正式に旗上げすれば、 まず抗争の火の手は新宿で上がる。 弘道会と山健組のどっちが新宿で勝つか、 それが山口組と分裂した新団体側の興亡に大きく関わってくる。 またヤクザが熱い時期が2,3年は続きそうである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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