Whether you like it or not is a matter of taste...

2022/08/27(土)23:51

マトリックス レザレクションズのネタバレというか考察というか解説というか感想

音楽とか本とか色々(46)

新宿tohoでマトリックスを見てきた。 一言で感想を言うと、味濃いで、という感じ。 とにかく、ぎゅっと纏めているので、どこから紐解くのが良いかというと、今作の主人公はトリニティである、というところ。いや、ネオとトリニティの二人がそう、といったほうが正しいのか。 とにかく、「二つ」ということが、本作のキモである。 これさえ押さえておけば、何となくお話全体の構造は理解できる。というか、ほぼ全てみたいなところはある。メタとか多重構造とか、何かとムツカシイことを考えてしまいがちだが、要するに、赤か青かという二者択一は「もう必要がない」。 さて、私が面白いな、と思ったのはどこかというと、 新しいキャラ(といっていいのだろうか)の立ち位置である。 精神衰弱のネオが通う精神科医、トリニティを現実に連れ戻すために同化するバッグス、という二人は、敵・味方というキャラ的な役割を持つ。 ネオの幻覚(というかグチ)を聞いていた精神科医は、全三部作を見て、ああだこうだ、と解釈するオタクや批評家みたいなところがある。そいつらは、解釈の違いで派閥を作り敵味方に分けて争いあう。どんなにメディアが発達しても分かりあうことはない。それに関わるネオ(というか制作者)はウンザリしてしまう。 敵味方が分かりあうにはどうすればいいのか。 答えみたいなものはバッグスの役割が示唆している。仮想に囚われているトリニティが現実に戻るために、一旦、バックスの脳をバイパスする必要がある、という、ちょっと強引な流れがある。このときバックスは、トリニティの現実の肉体と仮想の精神を繋げる媒体となる。 なるほど、メディアが発達しても分かり合えないのは、それを使う側の問題であって、メディア(媒体、テクノロジーそのもの)には善悪も敵味方もない。 例えとして、ちょっと文脈からズレるけれども、 0か1かの電子的世界観から、0も1も成り立つ量子的世界観への移行、というところだろうか。 あるいはプログラムの仕組みからも、似たようなことが言えるかも知れない。 ただ、ちょっとだけ悲しくなるのは、こういう文章を書いている私というのは精神科医の立ち位置で、映画制作者から言わせると、「もう古いよ」と言われているような気がするところだ。 でも私は、「昔は良かった本当のカンバセーションがあった」とは言えないし、言おうとも思えない。 制作者のアイロニー(映画)に対して、懐かしいなぁと思う(日記を書く)しかない。 こんな同窓会気分に浸るだけなら、「マトリックス」という映画シリーズは「もう必要がない」。 要るいらない、というまたしても二分法が出てくるが、これを突破するのは、私自身が媒体になるしかない。要するに、小難しいことは考えずに映画にドライブしろよ、ということだ。 「それが出来るから楽しいだろ。映画ってもともとそういうもんだよな」。 「そんなこと言って、俺をポッドに入れるつもりか? お前らの餌(電気)になる気は、さらさらねぇよ」

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