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暇人たかし

暇人たかし

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2023.08.16
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カテゴリ:つぶやき



はじめに

新宿のtohoシネマズで君たちはどう生きるかを見てきた。意味不明な最高のクソ映画だったので感想というか妄想を書き残して置きたいと思う。お盆だけど雨で暇だし、ただただ書き殴っただけなので、読みにくいことこの上ないけども、まぁいいか。

ぶっちゃけこの映画、結構楽しめた。というのも主人公が、自分で自分が意味分からんのに意識だけはバッキバキになってる思春期の男子だったからだ。宮崎駿が描く主人公にしては、どこか現代チックな悩み方をする性格の持ち主だ。

さて、この映画を見終わった第一の感想が「ストレンジャーシングスみたいだなぁ」だった。宮崎駿の作品は、何かというと死後の世界みたいな異世界論とかレイヤー構造とかを持ち出してしまうが、私は厳密にはそう思わない。千と千尋はタイムスリップものだし、崖の上のポニョは災害サバイバルものとしても読めるからだ。その点、君たちはどう生きるかについては、「上の世界/下の世界」とかセリフがあったような気がするが、ともかく異世界モノと読むしかないのではないか。否である。

君たちはどう生きるか、はコズミックホラーである。
言ってしまえばラヴクラフトの『狂気の山脈にて』といえる。あるいは『宇宙からの色』である。他にもこの映画に似たラブクラフトの小説を挙げられそうだ。

さて、観たままのストーリーを書こう。ネタバレになるかもしれないけど、というよりも結末を知ったところで面白さには何ら直結しない。さらにいえば、この手のものは個別のストーリーや場面を取り上げて、せこせこと考えるよりも、一旦こういうものだと全体を受け取ってみるほうが理解がはやい。とはいえ、一回しかみてないので私の印象補正が強いことだけ先に謝っておく。言ってしまえば見終わった私の頭の中で再構築したものだ。あと、大筋を思い出すキッカケにいくつかあらすじを書いてあるサイト、ぶっちゃけるとWikiだけども、参考にさせてもらっている。

あらすじというか観たままの書き起こし

 主人公の眞人は12歳前後の少年である。時は戦時下、戦車が無限軌道を鳴らして街を進む。ある夜、空襲警報に飛び起きた眞人は、燃え盛る町を母のいる病院まで駆け抜ける。しかし、着いたころには病院が全焼してしまっていた。悲しむ間もなく、眞人は父の再婚相手であるナツコの家に疎開する。実は、ナツコは眞人の実母の妹で、しかも既に父正一の子を妊娠していたのだった。ただっぴろい部屋、長く迷路のような廊下。新しい住人の眞人を品定めするかのように横切るアオサギ。使用人なのか卑しそうな老人たち。慣れない家、知らない家族。母を思い夢の中、無意識に涙する眞人。なのに父とナツコはもう仲良くやっていて自分だけが蚊帳の外。
 そこにやってくるあのアオサギ。嘴の中から不気味な歯が見える。「お待ちしておりました」どうやら眞人のことを知っているらしい。アオサギを追いかけていくと怪しげな塔。入口は土で塞がれているが眞人ならなんとか入れそうだ。頭を中に入れて見上げるとアオサギの羽が落ちてくる。そこに老婆が眞人を心配する声。羽を持って外に出る。老婆によるとこの塔はなにやら危険らしい。握っていたはずの羽もいつの間にか消えていた。夜、ナツコからあの塔の話を聞く。どうやら大叔父が建てたらしい。頭の良かった大叔父は、本を読み耽り、仕舞いにはあの塔で行方不明になったとのこと。その後、大雨によって水が流れ込む地下を発見したが、危険だと判断して入口を塞いだ。もう行ってはいけませんと注意された眞人は、はいとこたえるのだった。寝床につき夢にみる燃えさかる炎の中で「助けて」と母の声が聞こえてきた。
 新しい学校に登校する日、父が車で送ってくれることになる。「車で乗り付けて、きっと皆んな驚くぞ」善意からなのだろうが眞人にとっては息子である自分のことじゃなく、父は赤の他人に父自身がどう映るかばかり考えているようにおもえる。案の定、悪目立ちしてしまった眞人は、同級生とケンカになってしまう。ボロボロになりながら、道すがらふと石を手に取り自分の頭を打つ。家に帰り、心配してくれるナツコと老婆たち。父は「誰にやられたんだ?」と犯人探しに躍起になっている。傷が深かったようで熱を出し医者が呼ばれる。
 寝込む眞人をニヤニヤ覗きにくるアオサギ。眞人は木刀を持ってアオサギを追い払おうと外に飛び出した。振り払われた木刀、嘴で受けるアオサギ。木刀は手元からボロボロに砕ける。「お母さんは生きてますぜ」アオサギは塔に誘う。「失礼ですが、あなたは母の遺体を確認していないはずだ」辺りがザワザワと騒がしい。淀んだ池(川?)から無数の鯉の口が「おいでくだされ」茂みから大量のヒキガエルが眞人の体に取り付いて「おいでくだされ」そこへ眞人を探しにきたナツコが、対峙するアオサギに向けて矢を放った。二股の鏃が空を切って甲高い音が鳴る。怯えたアオサギはすごすごと逃げ去っていった。
 起き上がれるまでに回復した眞人は木刀を確認する。折れてもいない。手に取ると途端に砕ける、あのアオサギがやったように。「この家では不思議なことが起こる」という老婆、それとナツコの具合が悪いから見舞ってほしいとのこと。そんなに体調が悪いのかと疑問に思う眞人。老婆は「ツワリです」という。そんな中、父の工場から何かが運ばれてくる。大勢の人間が広い部屋に一つ一つと並べて置くのは戦闘機のコクピットの部品、透明なキャノピーのようだ。父は自慢気に眞人にそれを見せる。「美しいですね」眞人は言った。それから、使用人の部屋でご飯を食べる。質素なものばかりで「不味い」老婆たちは、正直なことと笑う。「お母さんを見舞ってください」と再度言われて、ナツコの元へ向かう。たてかけられた弓を横目に、一言、挨拶する。ナツコは何か言いたげに、そっと頭の傷を撫でる。眞人は去り際にテーブルに置いてあった煙草の箱をくすねて出る。すると窓にあのアオサギが。咄嗟にボロボロのナイフを構える眞人。アオサギは「お待ちしておりますぞ」と飛び去った。
 煙草は老人への駄賃としてナイフの研ぎ方を教わるためだった。そのナイフで作るのは弓。ナツコがアオサギを追い払った弓。竹で作った粗雑な弓は思うように射ることができない。その様子を覗き見ていた老婆の一人キリコが、もっと良い弓がありますよ、と煙草を交渉材料に要求してきた。要らないと眞人は断り、弓を持って池へ向かう。そこにアオサギの姿はなく、しかし青い羽が落ちていた。それを矢羽にする最中、ナツコらしい人影が森の中に入って行くのを見かけるも、作業を続け、ついに出来上がった矢を試しに引いてみる。放たれた矢は真っ直ぐに飛んで勢いよく壁に突き刺さった。思いのほかの威力に壊れかけた鏃を直そうとすると、テーブルに積んでいた本が落ちる。その一冊が『君たちはどう生きるか』だった。そして「大きくなった眞人へ」母から息子へ書き残されていた。指は自然にページをめくる。一滴、もう一滴。紙に染みをつくる。
 もう陽も沈みかけるころだ、何やら老婆たちが騒がしい。表に出る。ナツコを探しているようだ。アオサギもいない、眞人はずいぶん前にナツコの姿を見かけたことを思い出して森の中に入ろうとする。それを止めるキリコだが、眞人は新しい足跡を見つけるとさらに奥にすすむ。
 古い石畳の道を辿ると、そこにはあの塔があった。しかも扉が開いている。ようこそ、と本に囲まれた怪しげな通路が続いている。「やめましょう」と眞人の裾を引っ張るキリコだが眞人は中に入ってしまう。すると本棚の扉がザッと閉まる。扉の彫刻からアオサギがするりと現れる。アオサギに導かれて、眞人は裾に捕まるキリコを引きずってさらに奥へ。長椅子に横たわる女性。「罠ですよ」というキリコの制止を無視して、眞人はそっと女性の顔を覗きこむ。「母さん!」眞人が女性に触れた、途端、ドロドロと液状に溶け出してしまった。なんてことを、と怒る眞人にアオサギは「触らなければもっと保ったのに」と呆れるようにいう。眞人はアオサギに弓を構える。「たった一本の矢だ心臓を狙え」と挑発するアオサギに放った矢は簡単に避けられて、と思いきや、反れた矢が再びアオサギ目掛けて飛んでくる。「しまった! 7番の風切羽だ!」アオサギは必死に逃げるも、自分の矢羽がついた矢に、とうとう嘴を射られてしまう。すると、力を失ったアオサギは飛べなくなり、醜い小男の姿があらわになる。すると、そこに一本のバラが落ちてくる。地面に当たってガラス細工のように砕ける。上には、人影が。ナツコを見つけたいなら、と眞人の気持ちを汲んだのかどうか、アオサギに向かって「案内しなさい」という。すると床が液状になり、眞人を下に飲み込んでいく。ごねるアオサギも、逃げようとするキリコも。
 落ちてきて目覚めたのは海岸だった。遠くに無数の帆船が見える。そこから陸の方に回ると、何かがある。黄金に輝く門。「ワレヲ学ブ者ハ死ス」とある。門に近づく眞人。すると、大量のペリカンが眞人を押し、考える間もなく中に入ってしまう。食え(入れ?)とペリカンに周りを囲まれる。その様子を海から見ていた者が1人。帆船を見事に操り、強い風を捉えて、一気に陸に乗り付ける。船から降りてきたのは精悍な顔つきの女性だ。どこかで見かけたような気もする。女性は腰巾着から鞭のようなものを取り出して、ピシッ。先端に火薬を仕込んでいるのか火花が飛び出す。ピシッピシッとペリカンを蹴散らして眞人を救うと、女性は、ここは墓で入ってはいけない場所だという。鞭の火花で地面に円を描いて、何やら呪文を呟くと、海岸まで振り返らずに後退する。これで墓の主を起こさずに済むらしい。海岸まで戻ると強い風に船は半ば乗り上げていた。船を押して海に戻す女性。それを手伝いに眞人も海へ。船を押している内に頭の傷を覆うガーゼが剥がれる。ほとんど全身が海に浸かると、眞人は女性に引き上げられて、そのまま風に乗って漁に出る。化け物じみた魚(??ガシラ)を釣り上げ、家に戻る。道すがら、女性は自分の頭にも同じように、主にやられたという傷があることを見せる。眞人は「ガーゼが剥がれた」と誤魔化しにもならないことをいった。
 家に近づくと、人の形をした透明な何かが船を漕いで並走してくる。あれは漁の成功を示す旗を合図に食べ物を分けてもらいにきたということ、さらには殺生ができないこと、しかもこの世界ではほとんどが死んでいるものだということを女性は説明する。透明人間は大きな皿を手に女性の帰りを待っていたようだ。彼らだけじゃない。白い丸い奇妙なワラワラという生物も集まってくる。手早く魚を解体する女性。そしてそれを手伝う眞人。ワラワラの餌はこの化け物じみた魚の腑らしい。力みすぎた眞人の刀は腹膜を破いてしまったのか熱さを纏うようにドロドロと黄色やピンク色の内蔵が飛び出してくる。血の気が引けたのか眞人は気を失ってしまった。
 でっかい壺でシチューか何かを作っている女性。二皿盛り付け、テーブルに置き、その下で眠っている眞人を起こす。目覚めた眞人を取り囲むように置かれた6体の人形。それはあの老婆たちにそっくりだった。倒さないように、それはお前を見守っている、と言われてテーブルからゆっくり這い出す眞人。キリコと女性を呼ぶ眞人。どうして名前を知っているのかと驚くキリコ。ともかくキリコに飯を食えと言われながら、眞人は水を飲み、また飯を食えと言われながら、トイレに外へ出る。すると白い奇妙な生物のワラワラがフワフワと浮いているのを目撃する。腑を食べてお腹がいっぱいになったから飛べたと言い「熟したワラワラは上の世界で人間になる」ともいう。ワラワラは集まり円を描いて、上空へ登っていく。と、そこにペリカンの群れが飛来する。あたかもイワシの群れを追い込み捕食するイルカのように、次々とワラワラを食べていく。そこに一筋の炎が上がる。炎に元は一艘の帆船から、そこに見えるのは少女らしき姿だ。彼女の手から放たれた炎はペリカンを焼き払うと同時にワラワラをも燃やしてしまう。たまらずに眞人は「やめろ!」と声をあげた。だがキリコは何を言っているんだと眞人を止めて、これでしばらくペリカンはこなくなる「ありがとう!ヒミさまー!」と少女に手を振る。彼女の名前はヒミというらしい。
 外で物音が聞こえた。眞人は手近なスコップを手に出る。トイレの横で生き物が苦しんでいる。それはワラワラを食べヒミに追い払われて傷ついたペリカンだった。「羽が折れている。もう飛べない。殺せ」と半ば懇願するようにいう。眞人は構えたまま動かない。ペリカンは話し出す。ここに無理矢理連れてこられたこと、ここには食べ物がないこと、だから仕方なくワラワラを食べていること。「ここは呪われた海だ。この地獄から抜け出すことはできない。高く飛んでもまた同じところに辿り着く。次に生まれてきたものは飛び方も忘れてしまった」そういうとペリカンは息を引き取った。そこにアオサギがあらわれる。当初は、死んだペリカンを揶揄うような態度をとっていたが、当然のようにペリカンを埋葬してあげている眞人を見て、手伝うようになる、と思いきや、ちょっとしたケンカになり、眞人は持っていた風切り羽を引き裂いてしまうというアクシデントも。ともかく、二人は凸凹コンビになる。キリコの「アオサギは嘘つきである」という問答に眞人は「嘘」アオサギは「本当」とこたえるくらいに。しかも、どうやらアオサギはナツコの居場所を知っているらしい。ついに眞人はアオサギとともにナツコを探しに行く。出発のときキリコからお守りとしてキリコ人形を貰う。
 一方で、ナツコと眞人が行方不明になった屋敷では周辺の池や山を探しているころだった。部屋に一時的に置いていたキャノピーを運び出すさい、父正一の部下が捜索の手伝いを申し出すが、正一はこれを断る。とはいえ打つ手ももうないというときに、一人の老婆が何やら伝説めいたことを話し出す。あの塔は本当は塔ではない、それはそれは維新(前?)のころ突然空から降ってきたのだ、大きな音は雷かとも思ったが、池だったところに大きな石があったのだ、それが貴重なものだと知った大叔父は守るために塔を建てたのだった。建設には多大な犠牲を払った、大叔父もそこで消えた、危険だと思い入り口を埋めたのだが。そういえば、ヒミが行方不明になったときは一年後に何事もなかったかのようにあらわれたという。まるで神隠しのように。それを聞いた正一は刀をベルトにさし、明治チョコレートを胸に塔へ。老婆を引き連れてむかう。
 眞人は道中、アオサギの嘴の穴を木片で塞いであげる。アオサギを倒す武器を作ったナイフで、今度は開けてしまった穴を埋めることになる。アオサギはアオサギの姿を取り戻した。一行は難所に辿り着く、そこはインコたちが住まう建物(鍛冶場?)だった。大きな体をして人間のように振る舞う奇妙なインコたち。彼らの目をかいくぐらないとナツコのもとまで辿り着けないようだ。アオサギは一計を案じる。自分が弱ったフリをして囮になるからその間に進め、という。アオサギはフラフラとワザとインコの気を引いて建物から誘い出してから、断崖を一気に飛び出していった。その間に眞人は建物に入る。が、そこにはまだまだインコがギッシリ詰まっていた。囲まれて奥に奥に詰められる。解体台がある。「ここでナツコを食べたのか」と眞人がたずねると、「赤子は食べない」とこたえるインコ。インコが持つ包丁が振るわれようとしたとき、台から炎が上がる。驚いて逃げるインコ。炎からあらわれた手が、どうしてここにいるのか、と眞人にたずねる。眞人はナツコを探していると答えると、炎から少女の顔が出てきて「ナツコは私の妹よ」と。ヒミはナツコの姉だとすると……。おいで、とヒミの手に連れられて炎の中に入る眞人。熾火のともる暖炉から出てきたのはヒミの部屋だった。そこからは、あの塔と同じ塔が見えた。塔はどの世界にも存在していること、そこにナツコがいることを眞人は知る。何はともあれと遠くに行くなら腹ごしらえ、とたっぷりのバターとジャムを塗ったトーストを眞人に差し出す。それを頬張る眞人。食事らしい食事。二人は塔を探索する。そこには眞人を捕らえようとしたインコの仲間がいた。どうやら塔を守っているらしい。狭い通路、石に触れると、電流のような光が体に流れる。どうやら、この塔は眞人を歓迎していないようだ。ヒミの案内で扉がずらりと並ぶ通路に出た。ここから元の場所に戻れるらしい。二人の存在に気づいた大量のインコに追い詰められた二人は、扉を開ける。
 老婆を引き連れて塔にたどり着く正一。そこに、塔の埋めたはずの入口に二人の姿が。ヒミは、このまま扉の取っ手を離せば元の場所に戻れる、という。しかし、まだ塔の中にはナツコがいる、「戻ろう」再び扉を開ける。インコが扉から溢れてくる。外に出たインコたちは普通の小鳥サイズに戻り、バサバサと飛び去った。「眞人がインコに化けた!」正一はただ声を上げるばかりだった。
 塔に戻った二人。インコに追われながらも、ヒミに連れられて、ナツコの元に。扉の前で立ち止まるヒミ。ここは産屋(?)で「私は中に入れない」と眞人に伝える。眞人は一人でその中に入る。扉を開けると、ナツコは寝台の上に寝かされている。その上には、いくつもの紙(お守り?式神?護符?)が結われた二つの輪がまわっている。「ナツコ母さん!」呼びかける眞人。結わえられていた紙が一斉に、眞人を拒絶するかのように襲いかかる。抵抗する眞人。ぼんやりと目を開けるナツコ。「帰ろう!」だが、「ここにいる」とナツコは頷かない。「父さんも待っている」それを聞いたナツコの口から飛び出したのは「お前が嫌いだ」という言葉。本心から出たのではなかったのかもしれない、だけど言ってしまえば後悔する言葉だ。ハッとしたナツコは眞人に手を伸ばす。だが、眞人はついに部屋から押し出され気絶してしまった。今度は、ヒミが優しくナツコに語りかける「良い子ね、帰りましょう」ナツコがゆっくりと台からおりようとする。だが、眞人を襲った紙にヒミも気絶させらてしまう。
 夢の中だろうか、眞人は大叔父に再び出会う。大叔父は何をしているのか、塔のような積み木をふっと揺らす。何をしているのか、とたずねる眞人を制止して、また揺らす。積み木は微妙な均衡を保って倒れない。安堵のため息をもらし、大叔父は語りはじめる。「この世界はもってあと一日だ」たったそれだけしか残されていない。そこで、この世界を眞人に引き継いで欲しいと提案する。なぜ眞人なのか、それは大叔父と血の繋がりがあるものしか継げないから、と。
 目が覚める眞人。どうやらインコたちに捕らえられ、ヒミとはすぐに引きはがされてしまったようだ。目覚めた眞人は壁に吊されている。インコの料理人が眞人を美味しそうにみやる。そのとき、アオサギが物陰から出てきてインコの頭をぶっ太い骨でぶつ。バタンキューと倒れるインコ。そのまま眞人を吊っていた手錠を壊して、二人は脱出をはかる。ここは塔の地下だろうか。そこでインコは社会生活を営んでいるようだ。楽しそうですらある。なんだか美味しそうな料理もある。何かパーティでもあるのだろうか。アオサギがいうには、ヒミがインコに捕らわれてしまっているらしい。彼女を救うべくその元へ。何やらインコたちが騒がしい。隙間から覗きみると、一羽(一人?)のインコが塔の上を目指すという。何か将軍か王かの格好をしたインコがいう。「この世界を救うために」そこには担架に載せられたヒミが眠っている。「これを材料に交渉する」インコの王は、大叔父に会うためにヒミを使い、さらにこの壊れかけた世界を統治する許しをもらために、担架を持つインコ二羽を引き連れて、塔の上を目指す。眞人とアオサギはインコの王を追いかける。しかし、インコの王は上へ至る橋を落として、二人の追跡を阻む。再び下へ落ちる眞人とアオサギ。インコの王はついに塔の上へとたどりついた。南国めいた草木が繁茂する景色に担架をもつインコは、ここは楽園かと涙する。そんな二羽のインコに王は、黙れと身を引き締めるようにうながす。そうこうしていると、ついにインコの王は大叔父に接見する。「よくつれて来てくれた」と感謝する大叔父にインコの王は「この者は禁忌を犯しました」と告げる。二人は話し合う。しかし、インコの王の望みはどうしても叶わないのだと大叔父に説得される。
 瓦礫の中から眞人は目覚める。アオサギと共に抜け出し、再び大叔父の元へ向かう。塔の上にたどり着く二人。その後をインコの王がこっそりと追う。二人の前に扉があらわれる。罠かもしれない。しかし、眞人は扉を開く。インコの王もついていく。大きな回廊だろうか、ヒミと合い、大叔父のもとへ。庭園というには広すぎる池。その飛び石を渡って浮島にたどり着く。そこには大叔父の姿が、そして中空に浮く巨大な石。楕円形というよりも塔の形といったほうがいいだろうか、何やら不思議な色が明滅している。大叔父は、眞人を見やり「この十三個の穢れない積み木を、三日に一個積むことができる」この世界を継いでほしいと頼む。しかし、眞人は「この石には悪意がある」と拒む。大叔父は、この積み木を正しく積んで悪意のない世界を作ることができる、眞人の塔をつくれるのだと再度提案する。だが、眞人は「この傷は自分でつけた僕の悪意の印です」という。そして、ナツコとともに現実に戻り、キリコやアオサギ、ヒミのような友達をつくる、と。納得するかのような大叔父。そこにインコの王が飛び出して、積み木をバタバタと積み上げていく。誰も継がないなら自分が、という怒りと焦りからか、最後の一個がなかなか置けない。そして無理矢理に積まれた積み木がガラガラと崩れようとしたとき、インコの王は自ら積んだ塔を叩ききってしまった。グニャリと崩壊をはじめる世界。元の世界に逃げるよう、大叔父はいう。眞人は、足元に光る石を見つける。「拾わないほうがいい」とヒミは忠告するが、眞人はこっそりポケットに忍ばせていた。
 扉が並ぶ廊下、再びキリコと再会する。キリコはナツコを連れてきてくれたようだ。取っ手に手をかける「132」の扉を開ければ、眞人のナツコのそしてヒミの家に戻れる。眞人はヒミに一緒に戻ろうと提案する。だが、ヒミはそれを断る。「あなたのお母さんになりたい」それはとても素敵なことだから、と。眞人とヒミは抱き合い、そして別れを告げる。二人はそれぞれ別の扉を開けて元の場所へ戻っていった。
 元に場所に戻る。塔が崩壊しかけている。中から、眞人に続いて大量のインコが外に出てくる。ペリカンも外に出ることができたようだ。正一とナツコは再会に抱き合う。アオサギが眞人に話しかける、まだ覚えてるんですかい?」眞人が拾ってきた石の欠片による影響らしい。それも「じきに忘れる」とアオサギの姿は消えた。ポケットの中にはもう一つ。キリコからもらったお守りが、それがニュッと大きくなってキリコ老婆の姿になった。
2年後(戦後?)、今日これから東京に戻るらしい。部屋の中で荷物の確認をする眞人。階下で眞人を呼ぶ声が、ナツコは無事に出産し眞人に弟ができたらしい。

さて、このストーリーは面白いのだろうか。正直、行き当たりばっかり感がはなはだしい。これをエンターテイメントというか娯楽映画としては観られない。ところが、この映画は不思議なことに面白いのだ。上の書き起こしも、自分なりに詳しく描写したつもりだけども、記憶から落ちてしまったエピソードやセリフ、場面の展開と構図、建築物、アイテムがかなりあったように思える。むしろ、そういう細々したところにも、ある意味丁寧に仕込んである、という嫌らしさが感じられる。隅々にまで釣り針が仕掛けられている。興味をひきつけられた鑑賞者は、まんまと釣り上げられて、聞いてもいないのに自分の感想をベラベラと話してしまう。私もまさにその一人といえる。

さて、解説とか批評とかは、民俗学とか神話とか、社会科学とかそういうのに詳しい人に任せておいて、ここでは単に気になったことから「どういうことだろう?」という解釈をしていきたいと思う。言ってしまえば妄想である。最も気になったことは、「なんでアオサギ?」というところだ。ある意味、これさえ納得できれば、後に残されたものは些事といってもいいかもしれない。

結論からいうと、アオサギとは眞人の分身である。根拠はない。

アオサギは物語序盤、眞人が家に到着したところで登場する。眞人をからかうように横切ったアオサギ。眞人の目には、どう映ったのだろうか。ここで眞人の境遇・環境を整理してみよう。父は仕事ばかりで俺の息子としてしか眞人をみない、継母は家族の理想を勝手に夢見ていて、使用人は食べ物とタバコばかり、クラスメイトには裕福な坊ちゃんとして邪見にされる。誰一人として眞人を眞人としてみてはいない。そんななか、屋敷に住み着いているアオサギだけが自分に興味を示していた。
このアオサギは覗き屋である。覗き屋とは、当事者でもなく関係者でもないものが、好奇心から他人の事情を覗くこと、とここではしておこう。気づかずうちに自分のことを知られているというのはハッキリ言って気持ちが悪い。逆に眞人は、屋敷の当事者でもあり関係者でもあるのだが、そこから疎外されている。あるいは、あえて自分からそういう立場にたっているのだとも思える。周りからすると、何を言っても「はい」としか素直な返答をしない眞人は、一体何を考えているのか、どこか気味が悪い。二人ははじめから似ているのだ。
アオサギの嘴から歯が生えて眞人に語りかける。そして、眞人が気になっていること気がかりなことを的確に突く。不思議な塔のこと、燃えて消えてしまった母親のこと。どうして、そんなに眞人の考えていることを、このアオサギは知っているのだろうか。誰にも言っていない本音を見透かすのは何処の誰でもない。
とくに面白いのは「アオサギはウソをつく」という自己言及のパラドックスのシーンである。自己言及のパラドックスとは「クレタ人は嘘つであるとクレタ人がいった」というものである。ここでちょっと気にかかるのは、このセリフにおけるアオサギとは、アオサギという種全体のことを言うのか、それもこの小男アオサギのことをいうのか。不思議なことに、この映画において生物的なものは多数として出てくる。コイもカエルもペリカンもインコも。しかし、アオサギはただ一人なのだ。したがって、ウソをつくアオサギとは、この小男のことを指すものと思われる。ここでちょっと小賢しい人は、パラドックスを回避するいくつかの手段を持ち出して、ストーリー上の重要な伏線なのではないかと考察してしまうだろう。「いくつかのアオサギはウソをつくと一羽のアオサギが言った」というように、解釈の幅を恣意的に生み出すことになる。例えば、ウソとマコトという対立、悪意と善意という対立、現実世界と異世界という対立。しかし、重要なのは、このアオサギは一人で、眞人のいうように嘘も吐くし、アオサギ自身がいうように本当のこともいうののだ。私たちは普通に生きていく日常のなかで、憎い人が正しいことをいうことも、愛しい人が嘘を吐くことも知っている。人間とは矛盾した生き物で、矛盾していることが真に正しい人間である。
そして、アオサギは最後の最後、塔の崩壊とともに眞人の前で姿が消える。インコやペリカンは、塔の外に出ると段々、普通の姿に戻るのに、アオサギだけは消える。これは現実に帰還したから消えたのではない。もしそうならばインコとペリカンも消えるはずである。眞人が現実を見ようとしたから、直視することができるようになったから消えたのである。

そう、映画『君たちはどう生きるか』は眞人の意志が生んだ物語である。

現実を直視しない、というよりも出来ない状況に眞人があったことは、まさに冒頭で示されている。観客にとって母の死は紛れもない事実だ。しかし、眞人にとってはどうか。母は本当に死んでいるのか、いや生きているのではないか。自分には見えない透明な存在になって、どこかに……。この映画は、死や悲しみに溢れているように感じる。しかし、根源的には人間存在を透明なものと錯覚した眞人の狂気こそが、この映画に通底して流れている感情だ。あるいは、意志によって世界を歪ませることこそを、そう言ってもいいだろう。
眞人が意志の力を試そうとした場面がある。クラスメイトとケンカした帰り道、自らの頭を石でぶった。眞人は眞人を取り巻く世界を変えようとした。クラスメイトからしたら、ぶっきらぼうで何を考えているか分からないのに、先生からはよいしょされる。もしかしたら女子からも注目されていたのかもしれない。目障りな存在だ。ちょっとからかってやろう。ちょっとした嫉妬、嫉みは人間としてごく自然な感情だ。クラスメイトの心情も多少は汲めるはずだ。男の子にとってケンカはありふれた出会い方なのではないか。暴力は確かに悪い。しかし、このケンカは果たして、とことん非難されるべきものだろうか。眞人の行動がそれを決める。自らの頭を打つことで、ただのケンカが暴力事件に変わる。もちろん父正一は誰が俺の息子をこんな目にあわせたのか、と怒る。学校に乗り込み、きっと犯人である生徒を見つけ出し制裁するように教師に言ったのだろう。こうして眞人の意志は未完に終わる。世界は眞人を中心に変わったのではない、他人の手によって変えられてしまった。そして、結局は眞人自身もそれを取り巻く環境も本質的には何も変わらなかった。
クライマックス、眞人が大叔父の提案を断る。この場面をみている私たちには、眞人の選択がやや理解しがたい。もし、眞人の思い通りに世界を作れるなら、積み木を継いでいいのではないか。あるいは、この積み木が穢れないもので、眞人は悪意があるから触れないというのに、この積み木には悪意がある、ならば眞人が積み木を触っていいのではないか、といった疑問がある。面白いことに、穢れがないこと清らかであることと、悪意があることは対立しない。つまり穢れているから悪ではないのである。逆に清らかであることが善でもないということになる。清濁あわせのむのが人間であることは先に説明してきた。では、この映画における悪意とは善意とは何か。やはり重要なことは眞人の頭の傷が悪意の印であるという点だ。この印は、クラスメイトを陥れるために作った。悪意とは他人の意志、その尊厳を無視して自分の意のままにするということである。そのため、眞人は自分のために世界を作るという選択をとらない。ならば、他人のため、キリコのナツコのヒミのアオサギのための世界を作ればいいではないか。それは善意から世界を創造することといってもいいだろう。しかし、これも眞人は否定する。なぜなら、他人の意志のみを尊重するということは、自らの意志を完全に否定することでしか成り立たないからだ。こうして、眞人はクライマックスで、真の意志を表明する。与えられた意志を継ぐのでもなく、自らの意志のみで自己内世界で平和に暮らすのでもない。眞人の意志で世界を変えること、それは現実に友達をつくることだった。
眞人の意志という軸でみるとき、この映画が少しは理解できるようになる。所謂ファンタジー世界の出来事は意志の変容過程ともいえるだろう。このことは特に眞人の他人に対する態度にあらわれてくる。(ここでいう他人とは、本当に他人なのか疑わしいのであるが。眞人の狂気が作り出した幻想なのではないか。)ともかく、面白いのは、ナツコから「大嫌いだ」と言われても、それでも引き下がらなかった眞人の態度だ。その一方で、ヒミには一緒に戻ろうと提案しながら、結局はヒミの選択を尊重するところもそうだ。果たして、自分の頭を石でぶつような基地外が、こうした真っ当な選択と行動をとることができるのだろうか。これ以上の説明は、映画をみればわかることなので、もはや必要はないだろう。

コズミックホラーとしての映画『君たちはどう生きるか』

最後に筆者が一番面白いと感じたことを書いておこうと思う。これまでは『君たちはどう生きるか』という映画作品を「眞人が生み出した物語」として考えてきたが、ここからは筆者である私の「単なる妄想」である。
この記事のはじめに示した通り、私は、ジブリ作品でよく言われる「異世界」だの「死後の世界」だのという理解が大っ嫌いだ。なぜなら、これらの言説のなかには「別」という雰囲気があるからだ。私たちとは全く関係のないお話という、どこか冷めた視点が入り込んでいるように思われる。「フィクションとしての物語」に着地することで、物語構造上に架空の「異世界」を勝手に構築していく。果たしてそれのどこが面白いのだろうか。もし、そうやってジブリ映画をみることが唯一の読み方ならば、子供のころラピュタが実在すると本気で信じて夏の終わりの積乱雲に竜の巣をみた、あのドキドキは嘘になるのだろうか。仮に「異世界」や「死語の世界」と表現するならば、現実とかけ離れた場所にそれがあるのではなく、あくまでも現実にこそそれがあると考えるべきだ。もし、そう思えないというなら、ちょっとは外に出て遊べ。
だけれども、「異世界」という言葉は説明ための説明には便利なので、ここでもあえて使わせてもらおう。
この映画において「異世界」は塔として出現している。いわく、その塔は塔の外見をしているが実は宇宙から降ってきたものだという。塔に入る、ということは実は宇宙からの飛来者の中に入るということだった。
この飛来者は何か、と考えてみるのが、私の妄想である。
明治~戦中にかけてある、ということは、およそ80年も経たないくらいと考えていいと思う。もし、これが作中で語られているように本当に「石」であるならば、あり得ないくらい耐用年数が低い。ともかく、この石は無機質というよりも、有機生命体のように何かを変換することで自身のエネルギーにしているのではないか、と推測する。
ここで再び悪意という言葉に着目する。積み木・石の悪意とは何か。それは変換である。人間の思考を具体的な存在に変換する。あるいは創造力を吸い取るといってもいいかもしれない。大叔父らしき人物は、まさに塔なる世界を創造することで、この地球外生命体を生かしていたのだ。塔の中では基本的には頭の良い人つまるところ創造力の豊かな人しか生き残れない。ほとんどの人間は、吸い取られつくして透明な存在になる。もしかしたらワラワラというのは、その抜け殻であって、塔にとっての排泄物に近いのかもしれない。キリコは実は頭が良いというか……哲学者はタバコをのむものだ。そして、大叔父は塔のお気に入りで、死して尚、塔にとらわれている。むしろ本人もそれを望んだのではなかろうか。その創造力が尽きようとしているとき、眞人が塔の中に入ってくる。
さて、塔である「異世界」ではインコやペリカン、ワラワラとかいう何処か可愛らしい姿の生物が生きているのであるが、何もそれが本当にその姿であるのかは分からない。キリコやヒミ、ナツコ、アオサギのように代わりのないものには、その姿である必然性があると思われるが、インコやペリカンは別にバケモノであってかまわない。むしろ、バケモノであった方がスッキリするまである。例えば、ペリカンは地球外生命体の肛門付近を這い回るウジ虫のようなものでもいいし、インコは生命体内部機構を保全する機械奴隷でもいい。眞人の冒険は、地球外生命体を内側から破壊する細菌やウイルスのようなものである。あるいは、癌細胞のようなものである。

おわりに(書くの飽きてきた)

ここでまで書いておいて、オワリが見えなくなったので、とりあえず記事を投稿しておこうと思う。言いたいこと思ったこと、考えられること考えたいことは、もっとたくさんあったはずだけど。だけど、見終わって数日経って、熱量も下がってきた。
最後に、「クソ」について。
この映画、眞人がクソだなと思うものに、鳥のクソが落ちていると思われる。
クソなものを、素直にクソだと思っていいなら、僕もそれにしたがって映画『君たちはどう生きるか』はクソ映画と認定しておこう。娯楽映画として全然面白くないのに、とても興味深く魅力的な映画だ。できたら、映画館で見て欲しいと思う。





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最終更新日  2023.08.25 01:01:00



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