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カテゴリ:音を紡ぐ
機織をなりわいとしていた里に
住まいしているわけですが 人の気配がなくなると、思いもよらぬところから、桑の木が生えていることが・・・ こちら、駐車場(だった)ところに突如伸びだした桑の木さんです で、そんな場所で右往左往しているから・・・・でもないでしょうが 自分のピアノへのかかわり方って「音楽を紡ぐ」という表現がもっとも近いんじゃ? と自分で思うのです。で、題名にしたわけですが・・・・。 いつもいつも感じていることなのですが、今回の曲は特に・・・なのです。 夢見るように「ゆぅらり」と始まるEDur(ホ長調)のアルペジオ。 その影に隠れてひそやかに歌いだしたのに、たった4小説の間に一気に上昇するメロディー それはまるで、恋の始まりのごとく~♪ ♪ まるで ワイ~ン 甘く強~く、心に歌~、あふれてくる~ (おっとっと、・・・こほん・・・話が「初めての恋」byコールポーターになっている) で、その後の和声のゆらぎときたら・・・・まるで「どこでもドア」??? メロディーのしっぽのへんのrit(リタルダンド:ゆるめて) は、もうあたりまえ いろんな言葉を使って、つまり「自由に」という表記の多発・・・うわ~~(アタマかかえ) で・・・・あるとき、ふと・・・気が付いたのですよね。 実はこのお方、歌曲の中に「日本の子守唄」ってのがあるくらい、日本びいきでして (日本人にもお弟子さんあり・・・・ちょいと有名人です) アジア的な「間」の感覚で考えてみたら、どうよ・・・・ちょっと、どうなのよ!! と、唐突に思いまして~~~(うっふっふっふっふ~♪) わいわいと、がしがしと、でれでれと、ちまちまと、にやにやと、取り組んでおりまする。 音楽のなりゆきも「どこでもドア」のようですが、様式的にも「どこでもドア」のよう。 作曲者さまのプロフィールによると、ドイツでもフランスでもロシアでも学ばれている。 まさにグローバルな見識・・・さすが教授どの! そして、なによりも「音が、ただひっそりとそこにある」という感覚。 まるで「わび茶の心」のような音楽なのですよね。 だから、これを弾いていると時が止まったよう。 そして弾き終わるとまた、冒頭から弾きたくなる。(中毒患者~~~♪♪♪) 今は、自分がこの曲を味わいつくさねばならない・・・と思います。 まずは、隅から隅まで心ゆくまで、美味しくいただこうと。すべてはそれから。 そうして初めて、皆様に「ここが、こうでこうなっているので、美味なのです~♪」と ちゃんとご紹介できる演奏になるのかな?と思っております。 美味しいと思った味を「いつでも、ちゃんと再現できる」。まるで上等なシェフのごとく? 再現芸術の演奏家って、そういった役割なのかな?とふと思ったり・・・・。 ところで、先日の日記での1882年に・・・の件。少々早とちりでした(汗) 通常、楽譜の作曲者名の下の年号ってその曲の作曲年なので、つい「そうなのかな?」と。 この楽譜の場合は、作曲者さまの生誕年でした~(滝汗) 没年が書いてないってことは、ご存命中に発行された楽譜なのでしょう。 で、この曲の作曲年は1916年と判明・・・やっぱりね~♪ そこで、昨日の1919年夏期講座との共通点がいっぱい~なわけですわ~(喜) で、調べたら、ここからなら、シェーンベルクにもマーラーにもドビュッシーにもいける。 シューマンにもブラームスにも、シューベルトにも戻れる。 一方で、後のブロードウェイサウンド・ハリウッドサウンドの響きすら感じる、という。 なんて便利な「どこでもドア音楽」なのでせう~~~♪♪♪ (にゃ~~~~~はっはっはっはっは←音楽で酔っ払っているらしい人) さてさて、そんな時間、やっぱりM氏は聴講席・・・なのですが!びっくり! 育ち盛りのM氏、お座布団からはみ出すの図 明日にでも、もうちょっと大きなお布団を用意しなければ・・・・(育ちすぎ? 汗) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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