テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:Books
前日の日記のように「戦争反対!」って唱えると、それに対して様々な意見を持った人々の、様々な反応が返ってくる。私は、たとえ(タカ派的、極右的な)反対意見であっても、その意見を感情論で、暴力的に反論するつもりは毛頭無い。
こういうときに、単純明快な論理で、万人にわかりやすく説明することがどんなに難しいかを実感している。そういう意味では、ジョージ・W・ブッシュの言うことも、小泉純一郎の言うことも(事実を自分の目で見ようともせず、思考を停止し、判断を放棄した人間にとっては)単純でわかりやすく、すべてがワイドショー化されたマスメディアにのっかって、万人受けしやすいといえる。ソフトで危険なファッショだ。 私は、例えば加藤周一のように「反戦。反ナショナリズム」 というスタンスで、そういう立場に足場をしっかりと固めて思考し、ものを言いたい。 国際政治学者の藤原帰一は、『「正しい戦争」は本当にあるのか~論理としての平和主義』(ロッキング・オン)の中で、 「平和を唱えるのが理想主義で、戦争が現実なんだっていう二分法は必ずしも正確じゃないんですよ。現実に向かうと戦争を肯定する、現実から離れるとハト派になるって、そんなバカなことじゃない。現実の分析っていうのは、目の前の現象をていねいに見て、どんな手が打てるのか考えることです」 と、言っている。 “ラヴ&ピース”とだけ唱えて、現実に目の前に横たわる個別の問題に対しては思考停止している非戦・反戦論者も、レベルから言えば、タカ派の全体主義者と何ら変わらない。 大切なことは、「祈る平和」ではなく「作る平和」。「打算に満ちた、老人の知恵みたいな」、狡猾でリアリスティックな平和主義の論理だ。 一連の日本政府とマスコミの対応で、日本は国際社会での評価を下げてしまったのではないだろうか。今日も参院本会議での質疑の中で、福田康夫は一国の官房長官という立場でありながら 「本人たちの配慮が足りなかったことは否定できない。自己責任とは自分の行動が社会や周囲の人にどのような影響があるかをおもんぱかることで、NGOや戦争報道の役割、意義という議論以前の常識にあたることだ。自ら危険な場所へ行って信ずることをやりたいという人を政府が強制的に止めることはできない。しかし、多くの人に迷惑をかけるのに、十分な注意も払わずに自分の主義や信念を通そうとする人に、それを勧めたり称賛すべきだろうか」 という発言をしている。(Yahoo!ニュースより) 小泉純一郎にしろ福田康夫にしろ川口順子にしろ、それぞれ総理大臣、官房長官、外務大臣という日本のトップの立場にある公人がこういうコメントをしていることで、「国際協力に無理解な民度が低い国」という印象を与えているにちがいない。 米パウエル国務長官のみならず、仏ルモンド紙も、そういった日本政府の対応と日本国民の反応を批判している。 現実的な側面から見ても、政府が心ない強硬な対応をこれ以上し続け、日本に対する国際評価が低くなっていけば、NGO活動だけでなく企業の海外活動、ひいては日本全体の経済活動における損失は莫大なモノとなっていくだろう。 正義っていったいなんだろう? 今まで私は自分が100%正しいだなんて思ったことはない。ゆえに「正義」ということばは信用していない。いや、はっきり言えば正義という言葉が大嫌いだ。絶対的な正義は存在せず、価値観が違えば「何が正義か」は変わってくるものだ。 乱暴な言い方だと承知で書くと、右も左もタカもハトも、それが行き過ぎてしまった場合、自分の価値観のみを信じ、相手の意見を聴こうとせず、自分の正義を貫き通そうとしている点では同じではないだろうか。 現在の我々に必要なことは、デマゴギーではないできるだけ正確な事実を識ること。そして、自分以外の他者の意見に耳を傾けること。既成概念や多数意見にも常に疑問をもつこと。変化し続ける周りの状況に対応して最良の判断をし、果断に意思決定するために、思考すること。すばやい意思決定のあとは行動するのみなのだ。 もちろん、私自身が常に全てこれを実践できるか、独りで世界を救えるかといわれれば否。しかし、一人一人の小さな意思決定と行動の積み重ねが、現実の世界に平和を作るのだ。 何度でも繰り返す。誰が何といおうと、戦争反対。ただし、国際社会では軍事力で対抗するほかに方法のない状況が存在することも確かであり、そういういわゆる自衛のための軍事力の行使と自衛権をすべて否定するものではない。「非戦・反戦」のきれいごとを唱えるだけでは、現実に起こっている個別の国際紛争は片づかない。しかしその場合でも、どこからが自衛で、他国に対し軍事力を行使する際にはどこまでが許されるかをよく議論しなきゃならない。その議論を徹底的にせずに、専守防衛の名目で他国を攻撃したり、他国の紛争に介入することが最良の解決策とは思えない。 現実に起こっている国際紛争の個々の問題をしっかり捉えた上でのしたたかな「反戦」は、決して時代遅れの思想ではない。ものごとの本質を見極めずに、扇情的なマスメディアと感情論に流され、時代の雰囲気で本流を見失ってはいけない。スタンスこそ違えども「反戦」はいつの時代にも普遍的な思想である。 平和のために、最初はたとえ身近な、ほんのちっちゃなことでも、思考し行動するのみだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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