祖先への感謝の気持ちを忘れずに
楽天ブログの皆様へのご紹介かたがた、以前に仕事上で住んでいたことのある長崎県対馬についてお話したいと思います。美しい自然に囲まれた素晴ら しい島で特有の文化等(石屋根(必見の価値アリ)やツシマヤマネコ(昼間は寝ていて残念)、対馬銀山(日本で初めての銀の産出地)等)で見所の多く、人情 味のある親切な方々(よく、お魚を分けてもらった)ばかりで素敵な島でした。その一方でお隣の韓国とかなり近い距離(北対馬地区の比田勝周辺)最短距離40km弱くらいで展望台から夜間、釜山の灯を確認することができます。)で過去にも大陸からの侵略をたびたび受けた悲運の島でもあります。元寇で対馬が侵略を受けた際に、当時の対 馬国の地頭(守護代)であった宗助国(そうすけくに)というお侍が船450艘、総勢3万人の蒙古軍勢の凄まじい攻撃に対してわずか80騎で立ち向かい、ご 自分の息子さんを含む全員が戦死(玉砕という美化された表現は好きではありません)されたそうです。※「御首塚」 蒙古襲来の折、戦死した宗資国の祀っているとされていうお墓があります。実は、お墓が2つあり、御胴塚は、離れた場所にあり、首と胴が別々にあるという悲惨な戦況であったことを物語る史跡です。 当時の蒙古軍大将は、「ツシマの兵士は命が惜しくないのか!数では負けると分かっているのになぜ勇敢に立ち向かってくるんだ!」と言って驚愕し、上陸しようとした浜近辺の村に火をかけて焼き払いましたが、内陸部の対馬武士団の反撃を恐れて博多に向かったそうです。※蒙古軍は、騎馬による戦術を得意としており、山岳地帯である対馬での戦いを不利と判断し、侵攻を断念したともいわれる。 後方支援の助国の部下が危険を顧みず、博多に急ぎの船をはしらせて太宰府に事の顛末を伝えたため、九州地区では十分に戦力の準備を整えて蒙古軍の襲来に万全の体制で敵を迎え撃ったと言われてます。対馬市厳原町小茂田にある神社では毎年11月12日の小茂田浜神社大祭において、当時の鎧冑姿で練り歩き、海に向かって弓を放ち、島の平和を祈願する「鳴弦 の儀」が行われています。宗助国は、今でも島民の英雄で有り、対馬の誇りであるとのことです。若い方達には、ご理解できないかと思います。「なんだ、犬死じゃないか」ってね。自分の身を投げ出して「侵略は絶対に許さない」という強固な思いを全員の戦死という形で示したことがどんな強力な戦力にも勝る島を護る「抑止力」となり得た...ということをご理解して貰えばいいのですが...大軍にもひるまず、祖国防衛に命をかけた先人の思いは本当に素晴らしいとおもいます。先人達の思いを引継ぎ、他国の侵略を決して許さない強固な気持ちをもってそれに立ち向かう姿勢(海に向かって弓を放ち、島の平和を祈願する「鳴弦の儀」に表れている)を保ち続けることは大事なことであり、その強固な思いを後世まで引き継いでいく責任があると思います。こんなに素晴らしいご先祖様がいたんだとご紹介させていただきました。我が国を身を挺して守られた祖先への感謝の気持ちを忘れずに日々を過ごしていきたいと思いま す。