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起業してから日々勉強して成長するオハラユウジの日記

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2024.03.04
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カテゴリ:起業


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本日のテーマは
​「幼少期の思い出」​について振り返りながら情報共有します。

※本内容は脚色無しのリアルです。人に言うことではないと思い
 今まで言いませんでした。しかし、この歳になって自分のルーツであり
 この経験が今の価値観を形成しているので過去に向き合うことにしました。

​幼少期(小学生時代)​
工場地帯に囲まれた場所で、小学校の通学では
工場から見かける顔色の悪そうな作業員の顔を今でもよく覚えています。

そんな私は、三人兄弟の長男で
家はバブル崩壊と共に不景気の煽りを受けて​ど貧乏​

電気、ガス代が払えなかった時もあったようで
ガスが止められた時は冬場はお風呂にも入れず
近所の知り合いのおっちゃんの毎朝の新聞配達と夏休みは
工場の手伝いをして​お駄賃​をもらい、そのお金で兄弟を銭湯に連れて行ってました。
※当時で考えても最低時給なんて余裕で下回っています。そこはお駄賃なのでw

今では弟と​「銭湯上がりの瓶のフルーツオレがおいしかったね」​と笑い話。

​私は「お金を稼ぐ大変さ」を幼いながらに学びました。​

小四で​いじめ​にも遭いました。
私自身、自覚はなかったのですが
知らない間に上着に靴跡がたくさんついていたりしたことに
親が気づいて発覚しました。
私自身、複数人から無視をされていることに気づかなかった鈍感さでした。
(後々、よく考えるとそうなのかな、と)

ここで私は
​「自分の日頃の言動や立ち振る舞いが周りからどのように見えているか意識する」​
事を学びました。

​青年期(中学以降)​
思春期は男子校。
男子校ならではの​青春​を経験することができました。
当時周りに流されることなく、なぜか​ブレない自分​の意見を持っている青年でした。

​社会人​
社会人になり
関西人の私が東京のメガベンチャーで人事部長として勤めていたことがあります。
その時のあだ名が​「苦労人」​

ポジティブにもネガティブにも捉えていませんが
自分の中で​「苦労」​​という自覚はなく
過去の思い出は​良い経験ができた​と思っています。

今、私が大切にしている価値観は​「体験、経験」​
それらを通して自分自身が​何を学べるのか​
これからも自分の人生を楽しみたいと思っています。

「予告」
明日から毎日投稿をnoteにする予定です。
また、皆さんの貴重な時間の合間に
見てやってください。





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最終更新日  2024.03.04 08:00:08
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