鴨川のドライブイン ~お店やメニューにこだわるルーツ~
自分が小学6年を迎えようとする春休み、親類十数人で房州旅行をした。子供なので詳しい事情はわからないが、とにかく財布の出処は祖父らしかった。車3台に分乗し、私は当然父の運転する車に乗る。祖父も同乗していた。養老渓谷に泊まった。翌日は外房に抜け、小湊から鴨川にむかった。昼どきになり、どこかで食べようということになる。海沿いのドライブインに寄ると、あとの車も続いた。大きなガラス張りのむこうに太平洋の高い波が次々やってくるのが見える。当時のレストラン事情に少し触れると。その頃外食というと、要は食堂だけだった。そば屋とかラーメン屋とかレストランはあったが。そば屋は日本そば中心の食堂であり、ラーメン屋はラーメン・餃子中心の食堂であり、レストランといっても、ナポリタンとオムライスが出せるというだけの食堂の一傍流だった。カテゴリー名称は変わっていても、カツ丼はどの店でも食べられた。クロスオーバーする部分が多く、要はみな「食堂」なのだった。自家用車の普及率も低く、10軒に2、3軒の家しか持っていなかった。食堂に駐車場は備わっていなかった。道端が使えるので、その必要がなかった。といっても、陸送でのトラックの数は右肩上がりに増加する一方だったので、幹線では、その必要が出てきていた。そこで「ドライブイン」がちらほら目につくようになっていた。(そういえば、深夜のドライバー向けの「走れ歌謡曲」とか。内緒でよく聴いていたが)外房では、珍しいドライブインだった。安っぽいテーブルが細長く何列も並ぶ。何組かの客が、そっちこっちとかたまっていた。十数人くらいどうってことない余裕がある。セルフサービスでポットと樹脂の茶碗がおかれ、女性陣が中心となって、お茶を配っている。刺身定食があり、ラーメンがあり、丼ものもある。要するに何でもある食堂だった。壁面に手書きで「うな丼」の文字が目にとまった。何も考えずに祖父に「ぼく、鰻丼」とそこを指さした。それぞれ自分の好きなものを注文すればいいと思うのだが、皆も口々に「じゃそれで」と続いている。結局全員がうな丼を注文することになった。この店で一番高い品物である。「たまに外に出たんだもんね」とかいう浮きたった声があがる。少しは期待するものがある。しばらくしてやってきた。最年少の私の前にいちばん先に置かれた。丼なので鰻は1切れのみだ。蒲焼の脂分がうなぎのくぼみに浮いていた。普通、たれの焼けた色が均一に広がっているのがうなぎの蒲焼だと思うのだが。それがまだらで、よく焼けてない部分と焼けすぎた部分のコントラストがみごとだった。食べてみると、これは鰻とはとても呼べない硬い焼き物だった。魚の感じがしない。噛み切るのに力がいる。皮の側を見ると、あちこちにイヤな形の焦げ膨れができている。青白い部分が残っていた。一瞬「蛇」を連想する。塩辛いだけのたれは、本体とまるでなじんでいなかった。変な匂いの油が口の中いっぱいにひろがった。ご飯は23日たったような団子状で、そのまずいタレをうまく全体に回してやれば、ごまかしで均一風になって、何とか食べられるレベルだった。会話がストップしていた。目の前の一品に、だれ一人としてコメントしなかった。食べ残す者が何人もいた。私もその1人だった。情けなかった。物悲しかった。車にもどる途中、祖父は私の父にぶつぶつ文句をいっていた。皆で真似するほうが悪いんだと思っても、居心地が悪いことには変わりなかった。二人とも機嫌がわるかった。旅行の浮きたつような気分の風船は、そこで割れてしまったようだった。(たまに鴨川に行くが、それらしき店はもう見当たらない)外食というのは、いつもいつもする訳ではない。「ハレ」の日に、または何らかの特別な日に、特別ではなくても何らかの事情のときにするものだろう。どの店で食べるか、その店の何を食べるかは、とても大事な事柄だと思う。下手に選べば、せっかくの時間が壊れてしまう。事情そのものが他所へ飛んでいってしまう。人と人の関係を崩してしまう。おいしい店、おいしい物は、人々を自然と「和」や「なごみ」の方向に持っていってくれる。まずい店、まずい物は、人々を必然と「滅」や「険悪」の方向に持っていく。もし大事な人をもてなさねばならないとしたら、私は自分の舌で確かめた自信のある店に招待する。よく知らない場所であれば、事前に何ヵ所かたずね、実際に食べまわる。ちゃんと当たりをつけておく。旅行先なら、地元の人たちに教わる。おいしい店にこだわり、おいしい物にこだわるのも、結局は人が大切だからだ。私は大切な人を大切に遇したい。大事な人の心地よい笑顔をみたい。自分も相手も豊かに満たされ、互いが相手の笑顔を感じながら快適なやりとりを増幅しあい、やがて気持ちの上での至高のハウリングにまで高められたら、どんなに素晴らしいだろうか。各人バラバラの品物を注文するのが、我が家の恒例である。相手が自分と同じものを指名してきたら、こちらはそれ以外のものにする。いろいろなものを味わいたいという積極的な意味もあるが、もし外れメニューを引いたとしても被害が少なくてすむというフェイルセーフ(安全装置)で消極的な意味もある。その根源は、あのときの最高最悪のうな丼にあると、今は冷静に考えている。