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カテゴリ:ひとりごと
人間、ある程度図太くなくちゃ生きてけないと思っている私。言葉にすごく気を使う母親に、傷つけることの無い様、慎重に育ててもらった私は、夫と結婚し今の家庭に入って、結構ビシビシと厳しい言葉で鍛えられた。以来、苦節20年。逞しくなりました。そして、少々のことは、いや、身に染みるべきことまで、「はいはい」とあっさり聞き流す術を身につけてしまったのです。好くないなぁ・・・・・・。
でも、子供の頃、夏休みの終わり頃、山積みの宿題に自殺を真剣に考えた少女には、大いなる成長だと思うのです。人間、現実を何とか凌ぐ術を身につけなきゃ。 無神経な人は何処にでもいる。その人を排除するか自分が排除されるか、そんな選択は意味が無い。排除云々ではなく、ちょっと変わればいい。「それがどしたん?」と言う図太さ。でも、これは幼少期からの育てられ方にもよると思う。それは、一番身近な親が、我が子に自身を持たせるような育て方をしたかどうか。 レベルは色々あるだろう。テストで100点ばかり取ってくるとか、クラスで50m走のタイムが一番だとか、そう言うレベルの子に自信を持たせるのは簡単。でも、そう言う子は少ない。じゃぁ、どうやれば自信を持たせることが出来るか?それは、もう、無条件に愛すると言うことでしょう。誰がなんと言おうと、あなたは可愛い!あなたは男らしい。あなたは優しい。あなたは素晴らしい。一番身近にいる親が、心底我が子を愛し、崇拝?!することで、子供は自信を持ち、どんな苦境に立っても何とか踏ん張る力を身に付けて行くと思う。その力を身に付けさせてやることが親の大きな務めの一つだと、私は信じている。 ところで、夕べは、最高の夜だった。昼間、義母に言いつけられ、畑のコスモスを抜いた。その切り株を焼こうと、耕平と約束していた。夕食の片付けが終わり畑へ直行。人水を持たせれば、一日でも黙っていじくっていると言う恐ろしい親子だ。 夕方、夫と墓参りに行き、抜いてきたしきびも燃やした。耕平は、火の神様の僕となり、完全に目が衝き入っている。当りの田んぼから、藁を寄せ集めてきては火へ投げ込んでいる。必死で息を吹きかけ火が消えることを阻む。ぼっと燃え上がると完成を挙げる。一言一言が、完全に火の虜となった人のようで、おかしくておかしく笑い入ってしまう私。 そうこうしていると、晃子が薄明るい街灯に下に現れた。手に何か持っている。アルミ箔に包んだサツマイモだ。一言、「焼いて。」と言う。遅くなったので、そろそろ火を消して帰ろうと、耕平をなだめ、やっとその気になった矢先のこの状況にがっくり。耕平は「もう、消そうと思っとったんで。」と言いつつ、目が大いに笑って嬉しそう。またしばらく火と戯れることが出来ると、喜んでいる。 全く、子供は火遊びが好きだ。実は私も火遊びと言うか、焚き火が好きだ。ここだけの話だが、私も、火が景気よく燃え上がると何だか嬉しい。乗り物に乗って川沿いを走ると、河川敷に荒れた土地とか、葦原がある。あれを見ると、火をつけてみたくなる。勿論、実行したことはない。でも、時々放火のニュースを訊くと、自制心を失った人がいたのだな、と思う。ただ、私の場合は、住宅地とか車では決してなく、河川敷限定のキモチだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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