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テーマ:ママの気持ち(578)
カテゴリ:罪状認否
気になるニュース。夕べ、14歳の母を耕平と観ながら、受け売りとは言わず?!妊娠試薬を万引きしたのに、特にお咎め無しなんて絶対おかしい、と言いつつ、時々、耕平が回すチャンネルで、水10が出て、極めて不愉快な思いをしたところだった。
シチュエーションはこうだ。二人の老人に扮したお笑い芸人が、面白いキャラを演じる。それに安田大サーカスのヒロ君が面白くもないツッコミを入れると、そこに何人もいた女の子(恐らくは小学生)の一人が、彼の頬をビンタする。 この前、鈴木沙里奈がプロデューサーの顔を踏んづけた、あれよりはましだが、子供がいい大人の頬を演技とは言え、お笑い番組でぶつ必要があるのか?それに、ペナルティのワッキーがやってたキャラ、あれは頂けない。頂けな過ぎる。無理やり笑いを取ろうとし過ぎ。面白くもおかしくもない。滑稽で空しいだけだ。彼も、あの世界で生き残るべく、頑張っているのは判る。でも、あのキャラはどぎつ過ぎ。勘弁! 子供がテレビに出るのは結構だが、どんな役割なのか、よく考えた方がいいと思う。演技とは言え、あるまじき行為を容認するのは如何なものか。日本の文化程度を笑われそうで悲しい。子供の一存であそこに出ているはずはなかろう。それを許可する親の顔が見たいものだ。 ところで、娘の高校の必修不履行問題の説明会へ行ってきた。やはり切実なのは3年生の保護者。問われたのは、履修方法の詳細。そして、この問題が起きてしまった土壌の問題。 必修を履修もれしてしまった原因として、カリキュラムを立てた学校の落ち度は大きいが、自底で学ぶ子供たちが、自分たちにとって何が必修で何が余計?なのかがよく判っていないという現実がある。だから、私は敢えて、必修のいかなるかを生徒たちに周知徹底しては如何かと提案した。 まぁ、自分があの年だった頃のことを思えば、大きなことは言えないが、子供たちは自分の人生を誰かが轢いてくれたレールの上を走っていけば、誰かがどうにかしてくれるさと言う甘い考えはあると思う。それを是正するためにも、自分がどうあるべきなのか。まずそれを知らしめる必要があると思うのだ。 高三の時、選択科目の授業時、友達と連れ立ってある教室に入って座っていたはいいが、実は自分の選択した授業ではなかった、と言う恐ろしい経験の持ち主である私は,選択授業反絶対対派なのだ。 この問題は、先頃の、耐震強度偽造事件にどこか似ている。書類上で認められておけば、現実はルール違反であっても黙っておけば大丈夫と言う感覚。こんな感覚で教育された子供たちが、全うな人生を送れるのかどうか、そこが不安だ。でも、起きてしまった事は仕方がない。吊るし上げて自殺者を出すという結末に至ってははならない。至らせてはならない。無理だと言うことは判っているが、今回の問題が発覚したことで、全てが何もなかったより良い結果に導かれたと言う気持ちにさえなれるように、一人ひとりの立場で、できる限りの取り組みをしていく必要がある。 前任の校長からの謝罪を求める声があった。それは組まれたカリキュラムを認め、実行するよう支持する立場の人間であり、不具合のあるカリキュラムに判を押した責任を謝罪するべきだとする思いからだった。出来れば、保護者からこのような発言が出る前、この問題が発覚した時点で、不備のあるカリキュラムを認めた事を詫びる姿勢を見せて頂ければ、せめて子供たちに言い訳の一つも立っただろうと残念に思う。 物事にはタイミングと言うものがある。こうなってしまってからではもう遅い。なんとも残念だ。平成13年に一度、勧告があり是正された経緯があるということだった。それなのに、再発。子供たちはこの現実を見、この現実から何を学ぶか。それらには、一人ひとりの個性や、それぞれの家庭の考え方がくっきりと反映されることだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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