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![]() (セ・リーグ、中日3-9巨人、23回戦、巨人13勝10敗、23日、バンテリンD) 元近鉄監督で、中日のコーチとして福留を指導した 打撃の師・佐々木恭介氏(72)=大和高田クラブ監督=は、 大阪府内の自宅で引退セレモニーを見守った。 「球場へ行っても涙で見られないから…」。 画面の向こうの愛弟子へのメッセージは「ありがとう」だった。 テレビ画面が涙で見えなかったよ。 実は孝介からも、孝介の奥さんからも、 「23日は(バンテリン)ドームに来てくださいよ」と招待されていた。 「考えておく」と返事をしたけれど、現場に行ったら絶対に泣くと思ったんや。 涙で孝介の姿をまともに見ることができないと…。 行かない方がいいと判断して、丁重にお断りした。 結局、家にいても泣いてしまったなぁ。 一番聞きたくない言葉だった引退報告。あれから何日経ったのか。 孝介とのいろんなシーンが、今でも蘇ってくる。 もちろん、最初は近鉄監督時代のドラフト。 今の孝介を見ると、反対するスカウトの意見を押し切って 強行指名した自分の目は正しかったんだと思ったりもしている。 中日監督に就任した山田久志さんに 「福留を指導してくれ」と頼まれてコーチに就任したときのことも思い出す。 ドラフトで断られた選手との、まさかの〝再会〟だった。 一緒に打撃スタイルを確立していった日々は忘れられない。 メジャーへ行ったときの思い出も尽きない。 孝介が信頼する指導者ということで、伝統球団カブスの長い歴史で初めて 「臨時コーチ」なのに背番号をもらい、一緒に転戦したこともあった。 いちずに教えることしかできなかった私に、よくついてきてくれた。 指導者として、彼から教えられたことは数知れない。 すべてが今も、生かされている気がする。 きっと素晴らしい指導者になるだろう。私と違って引き出しが多い。 指導者・福留の誕生を楽しみにしている。 本当に引退してしまった今、「ありがとう」の言葉しか思い浮かばない。心の底から「ありがとう」-。孝介と出会えたことが、私の野球人生の最大の財産だ。 ■佐々木 恭介(ささき・きょうすけ) 1949(昭和24)年12月28日生まれ、72歳。兵庫県出身。柏原高から新日鉄広畑を経て、72年ドラフト1位で近鉄に入団。78年には打率・354で首位打者を獲得した。82年に現役引退。通算1036試合出場、打率・283、105本塁打、412打点。引退後は近鉄、阪神、西武、中日でコーチ。中日では若手時代の福留を指導した。96年から4年間は近鉄監督。2011年から2年間は女子プロ野球監督を務め、16年から大和高田クラブ監督。176センチ、78キロ。右投げ右打ち。 記事全文 ヨッシャーの愛が深過ぎて泣けてくる ★★★ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.09.24 08:10:42
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