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カテゴリ:仏教、神話、哲学
実際のところ龍樹の論はヤージャナヴァルキヤの説を補完しているようにも思えてくる。
「見」「認識」から起こる間違った分別(名前)を排除し、「それ自体」を観るという哲学だからである。 あらゆるものが「それ自体」なのである。 そして「それ自体」が指す対象は「空」しかあり得ない。ヤージャナヴァルキヤはそれを「アートマン(我)」と表現したに過ぎないのだ。 「空=アートマン=それ自体」なのである。 「認識の世界。空間が実在すると思うな」ということで良いのだろう。全ては仮説であり、純粋な仮説のみが唯一存在するものである。故に心を用いた認識は、誤った認識となる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年06月07日 00時23分00秒
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