|
カテゴリ:一人称フィクション小説:お寺生活
今は高野山で暮らしています。詳しいことは申し上げられませんが、まあ住み込みでございます。
数ヶ月過ごしてきましたが、運がよかったと思います。願い事は叶うものなんですね。しかし油断は禁物です。試用期間を終えられたのも薄氷の上を行くような感じでギリギリセーフでした。つまり実力がともわなければいろんなひとに迷惑をかけてしまいます。だから運だけにしちゃいけないんですね。温情あって置いてもらってるのが現状ですから。 頑張ります。 とにかく私は普通の人が普通に当たり前の能力を出して生きているのをうらやましく感じています。私は要領の悪い方の人間ですからね。「こいつ何やってんだ?」みたいな目でみられるわけです。当たり前のところで失敗すると、そうなりますよね。 でもへこたれずに前向きに頑張っていきます! 前のお寺では百年経っても覚りは得られないだろうと感じたので辞めました。今度の寺は流石に仕事も一流を目指しているのを感じますし、町全体に学びの雰囲気がある。人にも品がありますし、知識をひけらかさずともそのオーラが感じられる。 自分次第でかなり成長できそうです。 前の寺では自分より少し前に入った優秀な先輩が残っていましたが、なにがしかの責任を取らされる形で辞めさせられたそうです。本人は続けたかったそうですがそれも叶わず。新人全滅ですよ。恐ろしか~。そして可哀想。入って数ヶ月の新人に責任取らせるって育てる気がなかったとしか思えない。 自分は早く辞めて正解でした。というのも、自分の目指す僧侶の姿がある程度イメージできていたからだとおもいます。このまま続けていたら年取ってから後悔するなと思ったから。あのときああしていればよかったと思わないように。あのとき行動できた。転進しつつ目的地を目指したから今こうしてより良い環境と夢を抱いてここにいる。これはとても幸せなことだとおもいます。 ちなみに私は専修学院には行けないかもしれません。行きたいですけどね。もうひとつの方になるかも。年齢や能力、業務が関係してくるとおもいますからね。そこは寺との相談。指示されたところにゆくことになるでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[一人称フィクション小説:お寺生活] カテゴリの最新記事
|