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カテゴリ:仏教、神話、哲学
お大師様(弘法大師)はどこにいらっしゃるのか。いろいろ候補があげられます。 Ⓐ高野山(&同行二人) Ⓑ兜率天(望遠鏡で下界を覗いていらっしゃる) Ⓑ輪廻転生(恵果和尚とともに師となり弟子となり密教を伝えてゆく) 私が高野山の道場で説明されたのがⒷです。 お大師様がなくなる直前に述べられた言葉が真実ならそうなるでしょう。 高野山での生身伝説は後世の創作だと思います。 かといってⒸも捨てがたい。 この議論は真実の追求ではなく真言宗として、密教として正しい解釈はどれかということです。 弘法大師は空海様とイコールではあるのですが、民間伝承や伝説を反映した信仰対象としての弘法大師は無しということでお願いします。 密教の阿闍梨は既に成仏している。即身成仏している。ならば輪廻転生するのか。これは輪廻転生するはずです。お大師様は不空三蔵の生まれ変わりということになっているからです。 ではこれは「伝説」ではないのか。教学ではないですね。 しかし生まれ変わりを密教は認めるのか。それは「認めます」。 チベット仏教でもダライ・ラマの転生が前提になっています。しかし法王の立場は仏教の位なのか。そうではなく世俗としての仏教指導者の位です。ダライ・ラマの宮殿はプトラ宮。プトラ=補陀落ですから観音菩薩の浄土の宮殿です。ダライ・ラマは観音菩薩の化身なんですね。観音菩薩は大菩薩ですから、成仏できる実力はあるけれどもそうせず、現世に留まって人々を救済する者です。成仏してないなら転生OKです。 では真言密教において阿闍梨は成仏しているのか。 ①そもそも我々は仏である。あらゆるものは大日如来の化身である。 ②三密瑜伽している最中は仏である。それ以外の時はただの人間である。 これらの解釈が考えられます。 しかし政治家で公人・私人の区別がないように、阿闍梨に仏・俗人の区別はないとも謂えます。 ①②ともに正解なのかなと。 そして密教に於ける涅槃についてなのですが、ある真言僧の方は「無住処涅槃 」だとおっしゃられておりました。住むところを定めず自在なのだと。どこにでも住んでいるし、どこにでも生まれ変わっている。「業に縛られて」転生するのではなく、「自由」なのです。 そうなるとⒶⒷ©どれも正解なのかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年06月18日 23時06分20秒
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