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カテゴリ:仏教、神話、哲学
仏教も構造主義も共時的な構造を扱う。 一方、社会学での構造‐機能分析は通時的だ。 共時的=時代・過程に興味はない。関係性のみ関心がある。それは結局何なのかに関心がある。 通時的=時代・過程に関心がある。その中で不変なものを見つける。すると未来予測ができるようになる。 ということなら、社会的生き物は新聞を発行しますよね。 共時的な生き物は新聞に興味はない。時代の変化に興味はない。普遍的なまなざしを世に向けている。 だから新聞ではなく、教科書に関心があるタイプである。 キリスト教やイスラム教は人類の歴史に関心がある。通時的宗教であり、現代でもキリスト教会は「正しい〇〇」を世に発信しているイメージがある。 仏教の場合は時間に関して「無始無終」のイメージである。王が誰だったとか、など固有名詞に関心はない。唯一歴史的人物である釈迦にのみ現世に関心がある。それでも釈迦の誕生日や年などはっきりしたことは分からない。本来的には釈迦を信仰しているのではなく、釈迦の教えを信仰しているというのもあるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年08月02日 11時21分30秒
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