033169 ランダム
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晩秋に舞い落ちる雪の華の名・・・。

晩秋に舞い落ちる雪の華の名・・・。

第1章2部

友と呼べる存在。私が戦うために選んだ最初の理由。
彼との出会いが全てを変えたのだろう。
彼がラプソディアに来なければ、私は抜け殻のままだったはずだ。
愛する人も無く、心許せる友人も無く、ただ、戦場で人を殺すただの機械だっただろう。
私は思う。彼の力になれるなら命すら惜しくはないと。
私は愛する人たちを護る風の盾になる・・・・。



<フィル・フリークとアタランダムが出会う数時間前>

「アイリアさん。面白いことないですかね」
豪華なソファーに腰掛けながら暇を持て余した青年が言った。
その相手は真向かいに座って昼間からワインを口に運んでいる。
流れるようなプラチナブロンドが美しい女性だ。
3秒ほど考えて彼女は口を開いた。
「うぅん?面白いこと。面白い人ならいるけど」
頬がやや赤いのは目の前の青年が美形というだけの理由ではない。
すでに3本のボトルを一人で飲み干し酔いが回っているのだろう。
「面白い人でもいいや。
外交官なんてしてると形式を重んじる場所ばっかりで肩がこって仕方ないんですよね」
青年は気だるそうにあくびをしながら首を回す。
職務を離れたプライベートな時間。
せめて自由にゆっくりしたいのだろう。
「肩がこるような仕事嫌いじゃなかったっけ」
アイリアは青年に新品のワイングラスを差し出した。
「仕方ないですよ。アトラの中で一番各国に顔効くのが俺なんだから」
愚痴るように呟きながらグラスを受け取る。
彼の名前は翔。
今年20歳になる若きアトラの重鎮だ。
アトランティスの外交官として各国を周りようやく最後の国であるラプソディアに付いたところである。
この国でいくつかの仕事をこなせば自国に帰れる。
若くして彼が外交官になったのには勿論理由がある。
14歳から傭兵として各国の戦場を巡り、その人懐っこい性格で彼自身のネットワークをこの大陸に形成しているのである。
同盟を結んでいない仮想敵国の中にも彼の友人は何人もいる。
それはアトラにとっても重要な情報源となるのだ。
「友達一杯だもんね。女友達が大半みたいだけど」
流し目を送るようなアイリアの視線。
「あはははは。
世界には男と女しかいないんだから半分ぐらい女友達がいても不思議じゃないでしょ」
グラスに注がれたワインを口に運びながら翔はもっともらしく彼女に言う。
「刺されないように気をつけてね」
いい大人の付き合いなら男女の関係は微妙なものだ。
勿論、翔も健全な青年であるからその手のトラブルは数多く経験している。
ただそれが大事に至らないのは彼がフォローをマメに行うからだろう。
「それは常に気を使ってますよ。
ところでさっきの話ですけど、面白い人ってどんな人です?」
話題変換とばかり翔は話を修正した。
「噂ぐらい聞いたことあるでしょ。
フィアが拾った天才剣士」
「フィル・フリークさんでしたっけ」
翔は記憶の中から一人の剣士のデータを引き出した。
「そ。突然現れた身元不明のいい男♪」
「いい男って。それはアイリアさんが見ていて楽しいだけじゃ」
間違いなく美形で通るその容姿。
剣士としてその技も冴え、立ち振る舞いは基本的に紳士的だ。
すでに王宮の侍女たちの注目を一身に浴びていが、本人はそれに気がついていないというのが間の抜けた話だろうが。
もっとも翔と違いその手の噂はまったく無い。
彼の保護者であるフィアの存在が回りに手を出させないのだろう。
「目の保養は必要不可欠でしょ。
で、他国ではどういう評価なのかなぁ」
「そうですね。まずアトラとしては噂は噂でしかないって感じですね。
同じフィルならアトラのフィルの方が上だという自国自慢もありますし」
「あ~。天才軍師君ね。
確かにあっちのフィルさんのほうがネームとしては上だわ」
大陸に名を馳せる天才軍師フィル。
彼の戦略は常勝不敗。
いかに不利な状況であろうとそれを覆し自軍を勝利に導いている。
「パンドラあたりは要注意人物として身元の割り出しをしようとしてるみたい。
ゼノビアは大らかだから突如現れた剣士のサーガとか勝手に作ってますよ」
吟遊詩人がサーガを作るほどなら彼の評価はかなり上だろう。
それよりアイリアとすればパンドラの暗躍が多少気になる。
「身元の割り出しなんて不可能よ。
もし出来たとしてもそれは絶対に存在しない人になるはずなんだから」
「面白いことを言いますね。
フィル・フリークはいないはずの人間なんですか?」
「さぁね。いくら翔ちゃんでも教えてあげられることと教えてあげられないことがあるのよ」
ワインを口にはぐらかす。
アイリアとて確信の持てる情報ではない。
もしかしたらと思うぐらいの不確定情報。
それをフィルに言ったところで何が変わるというものでもないだろうが、如何せんまだ白に近い記憶なのだ。
余計なことで迷わせることがあれば彼女の命は某所から狙われかねない。
某所というのは間違いなく・・・彼の保護者。
「本人から聞くって手もあるけど」
「無理よ。何も覚えてないんだから」
フィルは毎日のように自分のことを思い出そうとしているが、相変わらず名前以外何も思い出さない。
逆に出会う人すべてに自分のことを知らないか聞いて回るくらいである。
「興味が出てきたな。借りて行っていいですか?」
正体不明。それが翔の好奇心をくすぐっている。
会ってみないと分からないことも多いだろうが、なんとなくうまくやっていけそうな気がした。
「高いわよ。代金は私じゃなくってフィアに払うことになるけど」
現在フィアが不在のため臨時にアイリアが彼の身柄を預かっているが、他国派遣となればフィアの許可は必要不可欠だ。
ましてフィアの気に入りようからすれば、フィルの貸し出しなど現実不可能だと思えてならない。
「有能なんでしょ?なら絶対欲しいな」
「それは私が保証するわ。
下手な頭の固い騎士団長よりよっぽど役に立つし腕も立つもの」
頭の回転は速いし機転も利く。
まして正規技だけでなく反則技も多数使う。
アイリアとてフィルを敵に回して無事ですむ自身は無い。
「マジで借りていこうかな」
「本気ならフィアに連絡してあげるわよ。
彼はフィアの超お気に入りだからそうそうOK出ないだろうけど」
私もお気に入りなんだけどね。
これは口には出さずに心の中で呟く。
「駄目もとだしお願いするよ」
翔は何も知らなかった。
彼がいかなる存在であるか。
彼に関わる事で自分の中に棲むある存在の力が増すことを。
それが幸福なのか不幸なのか。
決めるのは今の翔ではなく未来の翔。
運命の出会いは間近に迫っていた。



空を切って街中を突っ切る。
めまぐるしく駆け抜けていく風景。
街外れの丘から歩けば、王城までゆうに3時間はかかる。
しかし、風の聖霊の力を行使すればその時間を僅か5分にまで縮められた。
「凄い!空を飛ぶってこんなに気持ちが良いものだったんですね」
「ええ、私も初めて空を舞ったときには同じ思いでしたよ」
やや興奮気味に言うアトランダムにフィルはにっこり笑いながら答えた。
二人は王城の正面に降り立った。
目前には巨大な王宮の正門がある。
たとえ風の力を行使してもこの門を飛び越える事は出来ない。
強力な防御結界が王城外壁に張り巡らされている為だ。
「あれ?フィー君。風を使って来るなんて珍しいね♪」
正門にいた女の子が声をかけた。
年齢はアトランダムと同じくらいだろうか。
鎧というよりは動きやすい厚めの服に身を包み腰には短剣。
剣士に見えないことも無いが、正面をきって敵と闘うにはその装備はあまりに貧弱だ。
「どうも、マイさん。私だってたまには風に乗りますよ。
それに今日は緊急の呼び出しですから」
ラプソディア、飛天の翼所属、風の聖霊使いマイ。
フィルとは同じ部隊の一員であり、フィルに風の聖霊の使い方を教えた人物である。
彼女は武器を使うよりも風の聖霊を行使しての攻撃を得意とする。
「ふぅん、緊急か。誰に呼び出されたの?
何か悪いことでもしたのかなぁ♪」
くすくすと笑いながら彼女は言葉を紡ぐ。
「アイリア様ですよ。それと私が何か問題を起こすと思いますか?」
「全然♪まぁ、アイリア様の呼び出しなら気を付けた方がいいよ。
多分ろくでもない事しか言わないだろうから」
「せいぜい無理難題言われないように気を付けますよ」
フィルはそう言うとマイに一礼してその横を通り過ぎようとした。
その時マイの視界に今までフィルの後ろに隠れていた人影が映った。
「フィー君。そういえば隣にいるのはだれ?
一緒に風に乗ってきたみたいだけど。もしかして彼女?」
マイの問いにフィルの顔が引き攣る。
なぜ女性と一緒にいるだけでその女性が自分の彼女扱いされるのか解らないが、とにかくフィルはマイにこの手の言葉をよくかけられる。
「アトランティスから来たアトランダムさんですよ。
アイリア様に言われて私を呼びに来てくれたんです」
出来るだけ平静を保ちながらフィルはマイに説明した。
「アトランダムです。よろしくお願いします」
アトランダムはマイにぺこりと頭を下げた。
「アトラから来たの?じゃあエグゼルって知ってる?」
「はい、エグゼルさんは私が所属する部隊の副隊長ですから」
『エグゼル』アトランティス所属パラダイス部隊副隊長。
バランスの取れた魔法剣士で剣と魔法をそつなく使いこなす。
特にエグゼルが得意としているのは、各種属性魔法を剣に付与していかなる敵をも斬り捨てるエンチャント魔法だ。
「そっか。副隊長やってるのか。だいぶ苦労してるんだろうなぁ♪」
「まぁ、苦労してますね。隊長が無茶ばっかりしますから」
アトランダムの額に汗が浮かぶ。
隊長の無茶に付き合わされるエルゼルの姿が思い出されたからかもしれない。
「またマイが遊びに行くって伝えといてくれる?」
「はい。エグゼルさんにちゃんと伝えますね」
にっこり微笑みながらアトランダムはマイに言った。
「アトランダムさん、そろそろ行きませんか?」
タイミングを見計らったようにフィルが声をかけた。
「そうですね。大分時間も経ってますし……」
アトランダムがアイリアに伝言を頼まれてからゆうに4時間は経っている。
ゆっくりでいいと言われていてもさすがにこれ以上は待たせすぎだろう。
「じゃあね、フィー君にアトランダムさん」
二人はマイと別れると足早に城内に入った。
「さぁて、久々にエルル様に会いにいこうかな♪
フィー君の事もあるし報告しておかないと」
マイは二人を見送りつつ、一人小さく呟いた。

城門をくぐると大きな中庭にでる。
四季折々の花を咲かせる庭園や、兵士たちの訓練場、神官たちが務める礼拝堂、魔術師が魔術の研究をする塔などもそこにはあった。
その広さはかなりのもので、一直線に中庭を突っ切ったとしても本城に入るにはゆうに20分はかかる。
フィルはランを先導するように中庭を歩き出した。
途中、何人かの知り合いに出会うが、軽く会釈するぐらいで先を急ぐ。
「そういえばアトランダムさんはどうしてラプソディアに?」
「私は隊長の付き添いで。各国を周るもの勉強になりますから」
「外交官の付き添いですか。大変でしょう」
「まあ、色々とありましたよ。
でも、友人もたくさん出来ましたし、無理言って同行させてもらってよかったです」
中庭を通り抜けながらフィルはアトランタイムとちょっとした話をした。
仲間や今の生活のこと。自分たちの国のことなど。
そうしているうちに二人はアイリア率いる騎士団の詰め所の前までやってきた。

フィルはドアを3度ノックし・・・ドアのノブを握ると同時に扉の奥に何かを感じた。
アイリアの気配とはまた違う力。
かなり大きくそして僅かに懐かしさを感じる。
アトランダムのいう隊長なる人物だろうか。
今日はやけに知覚が過敏に反応するな。
そう思いながらフィルはドアを開けた。
「フィル・フリーク、入ります」
真紅の絨毯を敷き詰めた部屋。
正面に大きな机がありそこにはフィルと同じ年くらいの女性が正面を向いて座っている。
騎士団長アイリア。
プラチナブロンドに蒼の瞳。かなりの美人といえる。
さらに戦闘能力でいえばその力はフィルの上司であるフィアを遥かに凌ぐ。
左手に視線を逸らせると、応接用のソファーには一人の青年が腰掛けていた。
年齢は10代後半か、20代前半にみえる。
「思ったより遅かったね。二人でデートでもしてた?」
フィルとアトランダムの姿を見るや、アイリアは楽しそうにそう尋ねた。
その頬が赤いのは間違いなく体内のアルコールのせいだろう。
「いきなり呼び出しておいて何を言ってるんですか」
フィルは即座に言い返す。
そして、先程正門であったマイの事を思い出さずにはいられない。
二人の性格は基本的に同じだった。
「うんうん。若いっていいわね」
しかし、フィルの言葉は聞き流されたようだ。
「アイリア様。人の話、聞いてますか?」
ちょっと怒気を込めてフィルはもう一度アイリアに尋ねた。
「きいてるって。で、どこで楽しんできたの?」
「……きいてない。まったくきいてない」
全身の力が抜ける。
わざとやっているならタチが悪いが、天然ならばもっとタチが悪い。
「冗談よ。ホントフィル君はマジメなんだから」
どうやらわざとやっているようだ。
「……疲れる。どうしてこんな人が騎士団長やってるんだろう」
ふとした疑問を呟く。
「人望よね。やっぱり」
にっこりと微笑みつつアイリアは断言した。
「あの、そろそろ本題に入ってはどうかと」
このままでは話が進まないと思ったか、フィルの横からアトランダムがアイリアに声をかけた。
アイリアはその声にうなずくと、ほんの少し真面目な顔でフィルに尋ねた。
「ん?そっか。まだ話してなかったね。
フィル君。あなた、アトラに行くつもり無い?」
「いきなりどういう事ですか?」
突然の問いにフィルはありきたりな返答しか出来なかった。
「アトラが優秀な人材を貸して欲しいって言ってきたのよ。
でね、3秒ぐらい考えて出てきた名前がフィル君だったわけ」
微妙に話が違うが事項としては間違いではない。
アイリアは楽しそうに言葉を紡いだ。
フィルは眩暈すら感じてきた。
「優秀さなら私のほかにも沢山いるでしょう。
・・・・・大体人の一生を3秒で決めないでください」
「ただ優秀な人だったらそれは他に一杯いるわよ。
でも、面白そうなって注釈付きだったから。
それならフィル君以外に思い付かなかったのよね♪」
彼女の声に悪気は無い。そう思いたい。
「アトランダムさん。私って面白いですか?」
思わず知り合ったばかりのアトランダムにフィルは尋ねずにはいられなかった。
「面白いというよりも、ただ不幸なだけという感じがしないでもないですね。
記憶はありませんし、いきなり面白そうだからって他国に派遣されたり・・・・」
アトランダムは考えるでもなくフィルに答えた。フィルの眉間に皺がよる。
「フィアにはさっき魔法で連絡とって許可貰ったから心置きなく行ってらっしゃい」
畳み掛けるようにアイリアが言った。
「思い立ったら即実行ですか。私の意志はどうなります?」
無駄だと思いつつフィルはアイリアに言う。
「いろんな事を経験すれば記憶戻るかもしれないでしょ」
発想は間違っていない。
が、方法が間違っているかもしれない。
「まあ、たしかに」
「じゃあ決まりね。明日から行ってらっしゃい」
あっさりとフィルに言うアイリア。
「言いくるめられた……不幸」
アトランダムはフィルの横で小さく呟いた。
「あの、アイリアさん。ちょっといいですか?」
今まで事の成り行きを見守っていた青年がアイリアに声をかけた。
人懐っこい微笑みが印象的だ。
「ん?なにかなぁ。翔ちゃん」
アイリアは青年の座るソファーにもたれながら声をかけ返す。
「冗談で人貸して欲しいって言っただけなのにホントに許可が出たんですか?」
ニコニコとそれでも少し困惑したように青年はアイリアに言った。
それを聴いたアトランダムの顔がにわかに引き攣る。
「隊長、また冗談でそんな事言ったんですか」
行く先々で青年はただ思い付いたようにとんでもないことを口にしている。
このラプソディアではフィルがその思い付きの儀性になったようだ。
「不思議とあっさり出ちゃってね。
フィル君記憶ないから色々教えてあげてね」
思い付きでもなんでもアイリアにはお構いなしらしい。
「冗談で人の運命決めないでもらえますか」
当然のごとくフィルは抗議した。
いいかげん気力も尽きかけているが。
「フィル君生真面目すぎ。そんなんじゃあ彼女できないよ」
やはりあっさりと撃退される。この手のタイプとは相性がどうも悪いらしい。
「私に彼女ができるできないの話じゃなくって……」
声に力が入らなくなってくる。
「充分に面白い人材にみえるなぁ。アイリアさんもだけど」
苦笑しながら青年は呟いた。
「私は面白おかしく生きてるもん」
言いながらアイリアは翔の首に抱き付いた。
「人生一度限りだ。面白おかしく生きなきゃ損だよ。フィル・フリークさん」
「あの、貴方は?」
何と呼べばいいのか解らない。
アイリアの言葉からすると「翔」というのが名前らしいが、それが本名か親しい人が使うあだ名であるかは現状では判断しかねる。
「おっと、自己紹介が遅れたね。
アトランティスのパラダイス部隊隊長『翔』。よろしく。
知ってはいると思うけどそこのランちゃんの直属上官」
翔はあいもかわらず微笑みながらフィルに右手を差し出した。
フィルは力無くその手を握りかえし……。
その瞬間、翔の顔に浮かぶ微笑みの奥に眠る何かを感じた。
深い悲しみと強烈なまでの憎悪。
彼の微笑みはそれを隠す為の仮面でしかない。
フィルの知覚能力は翔の感情を過敏なまでに読み取る。
過去に何かがあったのだろう。
自分で微笑みを続けなければいけないほどに、自分の心が壊れそうになった事が。
それともう一つの大きな力。
それはフィルの胸を締め付けられるような懐かしさと愛しさを秘めている。
一瞬脳裏をよぎったのは黒髪の少女。
しかしその顔はぼやけてはっきりとしない。
ただ言える事はその少女が泣いていると言うことだけだろう。
それも自分のために。
失われた記憶の断片。
フィルは翔の中にそれを垣間見た。
握手で握られた手を放し緊張気味に口を開こうとしたとき、それより速くアトランダムが翔に声をかけた。
「あの……隊長、ランちゃんって私のことですか?」
「うん。だってアトランダムちゃんだと言いにくくてさ。
縮めてかわいくランちゃんで。問題あるかな?」
にっこりと笑いながら言うしょう。彼は常に微笑みを抱いている。
「いえ。問題らしい問題はないです。
今のフィルさんに比べれば」
ランの言葉がフィルに突き刺さる。
「それは・・・私に比べればたいがいのことは問題無しですよ」
記憶喪失の上にいきなり思い付きで他国派遣ともなれは、問題どころか不幸の代名詞という気もする。
「フィル君もあだ名つけてもらったら?
アトラには天才軍師のフィルさんっているでしょ?
むこう行ってから間違ったら大変だよ」
ふとアイリアが思い出したように言う。
その言葉に翔とランは目を合わせた。
アトランティスにはこの世界で最高ともいえる天才軍師のフィルという青年が存在している。
常勝不敗のその戦略は敵国にすれば最大の壁となる。
その名はフィル・フリークも知ってはいた。
戦場で会えば敵として斬る。
ただそう思っていたのだが、まさか同じ陣営に入るとは。
「そういやそうか。
たしかにフィル・フリークさんって言いにくいしなぁ」
言いながら翔はフィルのあだ名を考えはじめる。
「あの、アトラに行くって決めたわけでは……」
「決定したの。もう書類もできてるし。
あとはフィル君の署名だけ」
アイリアは机上の一枚の書類を手に取った。
フィークの目の前でひらひらと揺らせてみせる。
用意周到。
アイリアの中ではフィークの派遣は決定事項であり、変更不能の事柄だろう。
「フィークってどうです?言いやすいし」
ふと思い付いたかランはフィルのあだ名を口にした。
フィル・フリークを単純に縮めただけではあるが、言いやすいし響きもいい。
「おお。それいい。
じゃあ決まりだ。フィル・フリークさん。
今から貴方のことはフィークさんと呼びます」
翔の一声でフィルのあだ名はフィークに決定した。
「………もう、好きにしてください」
フィークの好きにしてくださいには二つの意味合いがある。
一つはあだ名がフィークになったこと。
もう一つはアトランティスに派遣されるのを了承したこと。
諦めがフィークの心の中を支配していた。
「なし崩し的に決まったね。
じゃあここに署名して」
アイリアはフィークに手にしていた書類を渡した。
それは国王の刻印が刻まれた正式な派遣書類である。
フィークがそれにサインをしようとしたとき、思わないところから待ったがかかった。
「っとその前に。フィークさん、ちょっと付き合ってもらえますか?」
あくまでにこやかに言う翔。
「何か?」
「冗談で人を貸して欲しいと言ったにせよ、俺は本当に優秀な人材を求めています」
なるほど。
フィークとアイリアは翔のいわんとしていることを理解した。
「試したいということですか?」
「ラプソディアに突如現れた天才剣士。
その噂が本当かということにも興味があるし」
翔とて一介の剣士である。
血が騒ぐのだろう。
それはフィークとて同じ事。
「かまいませんよ。中庭でやりますか」
中庭には戦闘訓練用の舞台がある。
模擬戦をするにはそこはもってこいの場所である。
「ランちゃん、どっちが勝つと思う?」
面白い展開になってきたなとアイリアは思う。
ただし、それは危険な展開であろうことも彼女は知ってはいたが。
「隊長、すごく強いですよ。
アトラでも10本の指には入るはずです」
アトランティスは軍事力からいえば世界最強クラスの国家だ。
その中でも10指に入るのであればその実力は確かなものだろう。
「フィル君も強いよ。
ラプソディアに現存する騎士団は8つ。
その騎士団長と闘ってフィル君は5人に勝つ事が出来る。
実力は私が保証するわ」
ほんの少しアイリアは誇らしげに言った。
彼女もフィークには一目おいているのだ。
「それだけの力を持っているならどうして部隊を任せられないんですか?」
たしかに、ランの疑問はもっともだろう。
アイリアは苦笑しながらランに説明をはじめた。
「一言で言うと経験不足。
実戦経験が皆無の人間に部隊長は務められないのよね。
それがたとえ、私やフィアのお気に入りでも」
フィークがここに来て3ヶ月。
確かにフィアのもと剣技をマスターし、マイの指導で風の聖霊を操ることも出来るようにはなったが、フィークは戦場らしい戦場には一度たりとも立ったことがない。
妖魔や魔獣などの討伐隊に参加したことは数度あるが、それでも実戦不足だろう。
「その経験不足をアトラで補える。
ここだけの話、現在アトラは危険な状況でね。
ラプソディアとは不可侵条約を結んでいるけど、パンドラ、ダンボールとは臨戦態勢だ。
フリーズムーン、ゼノビアの動きにも注意が必要だし」
「常に危険と隣り合わせ、実戦は嫌でも向こうからやって来ると?」
確かに実戦は経験するだろう。
そして幾多の人の命を奪うことになる。
自分が生き残る為に。
果たして今のフィークにそれが正しいことだといえるのだろうか。
戦いは悲しみしか生み出しはしない。
フィークは理屈ではなくその意識の底でその事実を知っている。
しかし、戦わなければ自分の大切なものを護ることが出来ないことも事実。
ならば、フィークは何の為に戦うのだろうか?
「さっきも言ったけど、フィル君。
環境変われば失った記憶戻るかもしれないよ。
それに無事戻ってきたら間違いなく騎士団長」
「私に地位は必要ありませんよ。
それに、記憶も今はさして興味が無い」
フィークはあっさりとアイリアに言った。
「あれ、どうして?あんなに気にしてたのに」
「失った記憶よりもこれから創る思い出を大事にしようと思うようになりました」
フィークは言いながら視線をランに走らせた。
「ランちゃん、フィークさんに何か吹き込んだ?」
思い出したのは丘の上での出来事。
ランの言葉で涙を流したフィークの名誉の為に彼女はあえて言葉を濁した。
それがいかなる誤解を生むかも知らずに。
「えっと……秘密」
「なんだ、うまくやってたんじゃない」
やっぱりねぇっと言わんばかりのアイリアの言葉。
「うまくなんかやっていません」
フィークは誤解を解くべく即時に言葉を返す。
「フィル君、往生際が悪いぞ。
お手つきしたならちゃんと責任取りなさい」
「お手つきって………なにもありませんでしたぁぁぁ」
火が吹き出しそうになるほど顔を真っ赤にしてのランの絶叫。
同時にフィークの精神が崩壊しそうになる。
「はいはい。信じてるって」
翔はランの肩をぽんぽんと叩きながら言う。
その眼は本当に楽しそうだ。
「翔さん、本当に信じてますか?」
力無く尋ねるフィーク。
「本当は微妙」
微笑みを浮かべる翔。
口元に邪悪なものが見えるのは気のせいではあるまい。
「責任取ろうね。フィル君」
「………アイリア様、楽しそうに言わない」
「ま、それは当人同士の問題だから俺達は何も口出ししないで。
とりあえずフィークさん。やるべきことをやりますか」
翔とアイリアは疲れきった表情をした二人をずるずると中庭に引っ張っていくことにした。


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