-熱砂の霧- 23.時代遅れ
啓太が、薄暗い部屋のカーテンを開けると真夏の日差しが一気に部屋へ刺しこんだ。高い雲の下に、ゆっくりと動く飛行機が小さく見える。急に、人々が歓談し、賑わう音声が聞こえてきた。啓太は振り返ってリモコンを取ると、TVのボリュームを下げた。木谷から預かったDVDは、先月ニューヨークからやって来た人気ポップアーティストのリハーサルからコンサート本番、そしてバックステージの様子が撮影されたものだった。まさか、こんなものを木谷が持っているとは思わなかった。人づてに聞いて木谷に確かめたところ、このアーティストのポスター撮影をしたとかで巡りめぐって、入手していたものらしい。啓太とよくコンビを組む舞台監督が、どうしても本番前に見たいと散々吟味し、また啓太に戻された。しばらく忙しくて忘れていたが、今日は、夕方まで時間が空いたので、返却する前に、せっかくだからと、観賞していた。画面にバッグステージの様子が流れ始めたので、DVDプレーヤーの停止ボタンを押すと”信号がありません”という青い画像に変わった。「驚いたな」そのステージは、最近ニューヨークで引っ張りだこの、有名ディレクター演出による最新のライティング技術が駆使されていて、日本では見たことのない不思議な世界観を創り上げていた。啓太は、もう一度眩しそうに空を見上げ、手にしたライターで、煙草に火を点けた。自分の探している世界に、まだ近づけないでいる自分が歯痒い。この映像は、確かにもの凄い。だが、自分が求めている世界とは何か違う。でもある意味、ここでもし、自分の求めている世界が、繰り広げられたとしたら、それは、失望を意味することになる。自分にしか表現できない世界だからこそ、意味がある。また、満足出来る自分の世界観など、本当はないのかもしれいない。一生こうやって、あがき続けることこそ、クリエーターとしての使命かもしれない。啓太はベッドに寝転がると携帯電話に手を伸ばし、今や一番下になってしまった保護されている一通のメールを表示した。 この絵が完成したら、啓太がコンサートで表現していね!涼子から届いたものだ。日付は今から6年半程前のものになっている。携帯電話を換えるたびに、迷いながらもそのまま残し続けていた。……涼子が描いた世界を、俺が表現する。そう、あの頃はふたりの夢を語り合い、そんなことをよく言っていたものだ。二人で触発しあって、夢を実現させる。当初、風景画や肖像絵を描いていた涼子の絵は、その背景となる抽象画の方により魅力が現れた。学校の先生や絵を評価する種類の人間に、涼子の構図の斬新さ、大胆なタッチ、繊細な色使いがどう写ったか知らないが、啓太は唯一認めていた…というか賞賛していた。自分の求めるライティングのヒントが、そこに隠されている気がした。何が啓太にそう思わせるのか、啓太自身にも理解できなかったが、直感的にそう感じたのは確かだった。交際相手を尊敬できること自体、啓太には驚異でもあった。理想的とも言えた。だからこそ、涼子であれば、人生においても、仕事においても最高のパートナーになれそうだと思っていた。煙草の灰が、落ちそうになるのに気付いて、慌てて灰皿に灰を落とす。いつの頃からか、涼子は絵を描かなくなっていた。そして、啓太との将来ばかり気にするような普通の25、6歳の女となっていた。啓太は遠い過去に思いを馳せながら、先日会った涼子を思い浮かべた。……デザフィナードか。先日会った涼子の、容姿はほとんど変わりがなかった。むしろ以前より美しく魅力的になっていたようにさえ思う。ただ、何か自分が幻想に、振り回されているような気もする。……俺は、きっとあの頃の涼子を忘れられないでいるだけだ。本当に楽しかったのだ。あの頃は。……涼子があの頃のままで、いてくれたなら……。軽くため息をつくと、煙草と共にその先の自分の思いも一緒にもみ消した。それにしても、以前何度か同じプロジェクトで仕事を共にし、意気投合した木谷と、涼子の友達が繋がっているとは思いがけないことだった。あの場に佳奈が現れたことも、その後涼子と再会することになったことも、予想もしなかった。啓太は身支度を整え、サングラスを掛けながら、ふと笑う。……サングラスと髭があって、助かった。さすがの啓太もその実、動揺していたのだ。愛車のゴルフに乗り込み、エンジンを噴かす。珍しく打ち合わせに知らない場所を指定されたので、ナビゲーションシステムを設定した。すると、自宅付近のいつも通る近道からではなく、遠回りとなる正規のルートが表示された。……面倒くせえな。啓太が迷わずナビゲーションを無視して、いつもの近道をしばらく走っていると先に工事中の看板が見えてきた。どこにも抜け道がないため、仕方なくそこまでたどり着くと、工事現場の警備員から迂回するよう指示され、啓太は舌打ちをしてUターンすることになった。ナビゲーションシステムはとても便利なものだが、自分の認識との融合が難しい。そればかりに頼るのは、つまらない気がするし、自分を信じると、こんなことになったりする。時に、人間は利便性を追及するあまり、使う側である自分たち人間の許容量を超えたものを生み出す。生み出した人間が特別な才能を持つ故に、凡人の才能まで考慮する余地がないということなのか。ナビゲーションシステムに限らず、何かを生み出したパイオニア達は、恐らくそのものが、よかれと思い創り上げたに過ぎない。それを使用する側の愚かさが、悲劇を生むのだ。あるいは、生み出した人間に配慮が足りないのであろうか。迂回した道を走りながら、啓太は思いを巡らした。……時代が進化しすぎて、人間がついて行けていないんだ。「急がば回れってことか……」啓太は嘲笑しながら呟くと、自分のこだわりが、いやこだわりを追求する姿勢がひどく時代遅れに感じられた。……俺が、理想を追いすぎるのか。でも、妥協したら、自分じゃ無くなるじゃないか。……こんな生き方があったって、いいじゃないか。涼子からのメールを未だ、消去できない自分に半ば呆れながら、自問自答する啓太には、夢の実現とそれまでの道のりが、やけに遠く思えた。 ...... See you next time! ...... 登場人物紹介 人物相関図