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テーマ:塾の先生のページ(7833)
カテゴリ:塾のこと
今朝も中3は中間試験&受験勉強のための「勉強会」だ。皆黙々と勉強を進めている。教室に響くのはページをめくる音と、鉛筆を走らせる音だけだ。 塾を作ったときに、『勉強する気迫に満ちた場所作り』に、私は何よりも気遣った。 「教材」や「カリキュラム」というのは、とても生徒の学力を伸ばすのに必要な要素であるが、私は「勉強しようという気持ちを高める場所」を作ることを最重要視した。これは私の塾作りの「方針」である。 物事には様々なアプローチがある。どれが正解というのはない。しかし「方針」がないのはまずい。たとえ、間違った「方針」でも、「方針」がないということよりは100倍いい。 私は自塾の方針を「勉強しようという気持ちを高める場所作り」に置いたので、その達成には全力を注ぎ込まなければならない。軸をぶらすことは許されない。もちろんこれは私が「教材」を軽視していることを意味しない。 私は最初に「神聖な道場」をイメージした。イメージしたことを実現するするためにイメージを具体化する。私達が教室をピカピカにしておくのも「神聖な」の具現化なのだ。敬意が払われ、古くともいつもピカピカに磨き上げられた道場がイメージだ。 もちろん、そういう道場の掃除をするのは門弟であるが、塾では生徒に掃除をさせているわけではない。その代わり自分の消しゴムのカスを床に落とさず、自分で集めて捨てさせるということにしている。それが「道場」に対する敬意だ。 私はきれいでない教室が悪いと思っているわけではまったくない。私がもし「野武士の集団」をイメージしていたら、「きれいな教室」は作らなかったかもしれない。猫ギター先生の塾なんてそんなイメージだ。そんな迫力が先生の塾にはあった。 一方、私は塾の先生というのは「野武士の集団」であるべきだと思っているので、職員室が奇麗でなければならないとはこれっぽっちも思っていない。机の上に参考書や種々の本が山積みになって雑然としているくらいがいいと思っている。『銀行のように整然とした職員室』なんて私の価値観にはまったくない。そんなのは作っちゃいけないと思っているくらいである。 今のところ、イメージの具現化は、私のイメージ内の範囲では成功していると言える。今後はそれをさらに研ぎ澄ませていきたい。 「建物」のことを「道場」と呼ぶのではないと私は思っているのだ。
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Last updated
October 22, 2006 12:17:24 PM
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