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久々の日記です。
私が最初にパニック障害になったのは28歳。 現在39歳。 精神科医による診察と臨床心理士によるカウンセリングはセットで、まだたまに『不調』なときに続けています。 また、カウンセリングは、最近は『学び』に利用させて頂いています。 残念ながら、アダルトチルドレンという部分が底辺にあっての約30年間の環境からのパニック障害なので、精神科医には、「これからも症状としては一生出ますが、パニック障害としての治療自体は卒業です」というお言葉を頂いております。 症状があるということは、服薬(軽い)は必要に応じて続けていますが、今、この日記の最初の頃の自分の文章を読み返すと、怖くなるほど力んでいて、感心するほど頑張っていて、何だか自分が自分ではないような気さえします。 つまり、それだけもう『普通』なわけで、ただ、何かトラブルが起きたり、ショックや緊張があると、小さく発作に似た状態が起きるわけです。 でも、当初と一番の違いは「必ず明確な原因が存在する」というところにあります。 誰でも、緊張したり、嫌なことがあると、気分が落ち込むことでしょう。 それが、私の場合ちょっとオーバーになってしまうということです。 先日、ずっと担当して下さっている精神科医が、何となく、まだ服薬を必要としなければならない自分自身に薄っすらとした劣等感や自信を無くしたときに良いことを言ってくれました。 「近眼の人はメガネが必要ですよね。何か補助する道具が必要です。それが薬なだけです(根本治療のため、カウンセリングを通し、必要最低限しか出さないお医者様なので)」 なるほど!! 「それを偏見する人は、そこまでしか理解が出来ない人なんですよ」と。 私がブログを書き始めた頃は、まだこんなに『癒し』という言葉は世の中にありませんでした。 でも、今や『癒しブーム』。 通勤自体がが難しいと見切りを付けた約3年前。。。 今思えば、それでもまだまだ力んでいました。 でも、その力みを利用して、プリザーブドフラワーの講師資格を取得し、今、なかなかビジネスには結びついてはいませんが、お教室を初めて2年となりました。 初めての人に会うことも怖い中の見切り発車でした。 でも、最近やっとそれにも慣れ、「楽しかった!」と帰られる生徒さんの姿を見ると、『あのとき死ななくて良かった・・・』『私でも誰かを癒すことが出来るんだ』と感じます。それが最大の心の栄養です。 また、あの時にはそうなると予想もしていなかった『医療関係従事者』の方が、なぜか全体(と言っても小規模ですが)の中で、気に入ってリピートしてくれる率が一番高いです。 特に看護婦さん等。 人に対し、あれほど心身共にお世話をし、最大の癒しを与える職業の方を、私自身が多少なりとも『癒し』てあげることになるとは、思ってもいなかった。 都内一、ユルいお教室であることが自慢です。 それは・・・ 自分自身が心の病の経験をしたからかもしれません。 なぜか、フレッシュフラワー(生花)は色んなタイプの先生がいる中、プリザーブドフラワーは『セレブ先生』が多い! 特にウチの周辺はことごとくそうです。 でもね・・・ その雰囲気は病気を経験した私の中では何かが違うんです。 「花」はそれだけでも癒される存在。 それをインナーチャイルド(子供のような心)で、自由に、ただただ、楽しんで触れて触って、『楽しい時間』を共有させて頂ければ、それでいいのだと思います。 勿論、ガッツリと基礎から習いたい方にはコースの設定もありますが、「気分が向いたときに、何の縛りも無く、作りたいものを作ってくれたら」というのは、病気の経験から思いついたことです。 ただ、なかなか「ビジネス」にはならないのは痛く、いつもまだまだ貧乏状態ですが、生徒さんはノビノビと、時には、BGMに合わせてノリノリに動きながら作品制作をされたり、仕事帰りに泣きながらいらして、グチを聞いたり、共感したり、ちょっぴり生意気にもアドバイスさせて頂いたり、そんなことをしながらやっています。 気付くとお喋りの時間の方が多かったなんていうこともあります。 「独りで泣くくらいなら、レッスンしなくても遊びにおいで」と言っています。 支え合い、私が最初に医者に言われたように『本当の孤独は人を殺します。よく生きていましたね』という言葉を思い出しながら、せめていらしたときだけでも、何か『楽しい』と感じて下されば嬉しいなと。 それが、最大の心の病の予防かなと考えました。 また、生徒さんは会社の方や、家族や友人には言いにくいこと等、ある意味全く関係ない私に話すことで、ちょっぴりホッとしてくれるようです。 テーブルがあるのに、床で作る人もいます。 「先生、今、この韓国の歌手にハマってるの~!」と言われれば、YouTubeを一緒に観ながらレッスンします。 そんなことをやっているお教室はそんなに無いことでしょう。 でも、なかなかビジネスにならなくても、そんな風に人と関わり、尚且つ、お金を頂いてやらせていただいていることは、このブログの当初の私には想像がつかないことでした。 心の病は、『螺旋階段のように同じ風景を何度も見ながら、ゆっくりと治って行く』という医者の言葉を思い出します。 ピーク時には焦りましたし、このまま本当に壊れてしまったり、もう死にたい。。。くらいに思っていた私です。 約10年はかかりましたが、何とかここまで来ました。 だから、決して諦めないで下さい。 私には、もしかしたら、こういう自分に変化するために、必要な試練だったのかもしれません。 服薬はあるので、完治できないんだと思われ、ガッカリするかもしれません。 でも、明らかにあの時の自分自身は今の自分自身と比べ、明らかに違います。 ゆっくり、ゆっくり治ることに時には焦りすぎて疲れることもありました。 でも、その経験は・・・ 最終的には何かを教えてくれることになるかもしれません。 人に傷つき、経験したことも、結局人が心に栄養を与えてくれます。人に救われるという不思議なもんです。 たまに症状が出た時には、病気を恨むし、不便を感じることもあります。 でも、生徒さんの笑顔を見たときに・・・全て一旦吹っ飛びます。ただの先生じゃ、きっとそこまでは喜びを感じることは出来なかったでしょう。 だから、ちょっぴり不便になっても・・・ 私はその不便さの経験を、少しはわかるから、ちょっぴり優しくなれた気がしています。 そして、強くなった気がしています。 辛かったことは、病気以外でもたくさんの人へ『共感』できるようにもなった気がしています。 先生なんて呼んで頂くには、まだまだきっと未熟かもしれないけど、『私流』を貫いて行こうと・・・ちょっぴり不安はありますが・・・そんな風に今は思っています。 たまにまだ自分が嫌いになるし、劣等感や、症状もあるけど、人生で大切な何かを「見極める力」は病気にならなければ、まだきっと持てずにいたかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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