カテゴリ:新語探検
ちょいと気になった新語から。。。 《徐福学 (じょふくがく)(Yahoo!辞書 新語探検 2007年10月7日)》 久留米大学教授の森醇一朗が提唱している学問分野。「徐福」は紀元前3世紀ごろ秦の始皇帝の命令で不老不死の薬を求めて中国から日本に渡ってきたといわれる人物。日本の各地に徐福が来たという伝説が残っているが、それが本当かどうかについては多くの謎がある。徐福が日本に渡ってきたといわれる時期と、日本で稲作が普及し始めた時期とが重なることもあり、森は徐福とともに日本に渡って来た若者たちが稲作の技術をもたらしたのではないかという仮説をたてている。各地に残っている徐福の伝説は徐福に対する感謝を現在に伝えるものが多く、徐福を通して若者たちが日中の歴史を知ることが相互理解にも通じると森は「徐福学」の確立を願っている。 徐福伝説はかなり有名だが、当時の史書には日本に来たという明確な文言はないそうだ。・・・といっても、紀元前の秦の始皇帝の頃にはまだ倭という名称さえ中国の史書には出て来ないし、倭という国があったかどうかも分からない。ましてや「日本」という国名はなかった。だから、日本という言葉が文献に出て来ないからといって、徐福が日本には来ていないと断言するわけにはいかない。 逵志保『徐福伝説考』(一季出版.1991年.p.64-65)では、『史記』『漢書』『後漢書』『三国志』の徐福関連の記述を引用して、 徐福が日本へ渡ったという記述は、これらの歴史書にはないのである。『史記』には倭についての記事はないが、その後の歴史書には倭について述べたものがある。しかしこの徐福伝説と倭の記事に関連をもたせてはいない。と述べている。 徐福が日本へ来たかどうかの真相は闇の中という感じだ。伝説は伝説として興味深いものがあるが、この徐福学なるものは伝説と同程度に胡散臭い。というのは、稲作は縄文時代から存在したという説もあるくらいだから、徐福が稲作を中国から持ってきたという仮説が中華思想を植えつけるだけものになってしまう危険性があるのである。 《稲作(ウィキペディア)》 日本における歴史 いずれにせよ稲作は中国から伝わったことは確かだろうが、徐福に対する感謝→中国への感謝 となってくると思いっきり香ばしくなってくるわけだ。(^^; それに、5世紀以前の日本文化に焦点を当てるのは、天皇支配による日本国の成立以前を問題にしているのであり、そこに下手に思想が入り込むと日本国の統合性をなし崩しにしていく反日勢力に手を貸すことになる。歴史を研究して日本国そのものを問い直すのはいいだろう。しかし、少なくとも1500年の歴史的積み重ねを越えるだけのものを提示できなければ、それは日本国の歴史の破壊以外の何ものでもない。 私としては、徐福伝説とか神仙思想という半ばオカルト的なものと、偽装したマルクス主義とが裏で手を組みそうな気がしてならないのである。社会において下部構造のみが上部構造を一方的に規定することはありえず、むしろ逆の影響関係(上部構造が下部構造を規定する関係)が強くなる場合もある。また、下部構造ばかりに注目して上部構造を徹底否定するマルクス主義者は、結局は上部構造の統制力を無化してしまうために全体の統合性を失い、自己崩壊していく。そして、新たな支配者が上部構造を乗っ取るだけなのである。 まあ、そのうちこのブログでも日本のサブカルチャーの歴史を取り上げていかなければならないのかもしれないが、日本文化全体とのバランスを視野に入れながらやっていかないと危険だと思っている。分を越えたサブカルチャーの蔓延は、文化全体の破壊になるだけである。 人気blogランキング ↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。 「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping |
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