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2007年10月30日
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カテゴリ:新語探検
和

ちょいと気になった新語から。。。

  今回はマジメに論じる。だから内容が堅い。(^^ゞ


社会関係資本(Yahoo!辞書 新語探検 2007年10月29日)》
人間同士の社会的なつながりが地域の財産や基盤であると位置づける概念。社会の信頼関係、規範、ネットワークといった社会組織の重要性を説く概念。この概念自体は19世紀から存在するが、近年になってアメリカの政治学者ロバート・パットナムらが唱え、注目を集めている。この考え方によると、共通の規範や信頼関係があり、ネットワークで問題が解決できる社会は、安全・安心度が高いと見られる。この概念が注目される背景には、少子高齢化が進み、1人世帯が増加する状況にあって、信頼に基づいた助け合いの仕組みづくりが急務となっていることがある。マンションの隣の部屋にどのような人が住んでいるのかも知らないまま数年暮らすことも珍しくないが、そんなところに、たった1人でも世話好きな人がいると、その人が潤滑油となって地域の交流が進むようになる。それを「社会関係資本が豊富になる」というのである。


 最近は、よく社会道徳が低下したとか言われる。しかし、1970年代以降、日本の社会構造が根本的に変わってしまったのだから、昔のような道徳をそのまま復活させようというのには無理がある。

 昔は地縁や血縁、婚姻関係に基づいて顔見知りとだけ交流するというような社会だったから、そういう狭い社会で生きていくためにはそこに通用している“世間の規範”を受け容れることは不可欠だった。ところが、戦後にアメリカ産個人主義が導入されることによって、戦後の日本人は、自らを世間的な社会規範のしがらみから解放する思想的な力を得た。さらに、商売のやり方がお得意様との取引維持から新規顧客の開拓という方向に進んでいくことによって、既存の世間から経済的に離脱して新たな人間関係を構築する傾向が促進された。ところが、これは経済的な側面だけのことであって、社会的な側面では個人は単に関係の絆がゆるむだけでそのまま孤立していくだけだった。1970年代以降、金儲けシステムだけが先行して日本の社会構造を変えたが、それに対応すべき精神のほうは取り残されてしまったのである。

 おそらく現代人のほとんどは、“友達の新規開拓”方法を学んでいない。結局は学校の友達か会社関係者だけで自分の世間を決めてしまっている。いうならば、これが昔の地域共同体に代わるものなのだろう。とはいえ共同体を構成するのは人間なのだから、血縁や地縁と同じように新たな共同体の中にも不愉快なしがらみが生じていることもあろう。かくして一部の人々は、新たな共同体からもドロップアウトしていく。昨今の“自分探し”は、戦後のアメリカ個人主義教育の日本的展開なのかもしれない。

 昔の日本社会は、生まれたところにすでに社会共同体があり、人々はすでにそこに組み込まれていた。ところが現代はそういう社会共同体がすでに存在しない状況なのだから、現代人には“隣人の新規開拓”能力が必要なのかもしれない。共同体というのは、既成のものを押しつけられて役割を分担させられるものではなくて、自分から作っていくものだろう。自ら積極的に役割を担うこと――これは共同体に対して自らのエネルギーを投下することであり、それに応じて共同体から利益を供与される。いわば地域共同体は“投資するもの”である。地方自治体という社会共同体ならば、納税がいわば共同体への投資に相当するわけである。小さな共同体ならば労役が金の変わりになる。

 現代では投資というと株を売買することであり、しかも配当目当てではなくて株価の上昇をねらって投資活動をしている。勝ち馬に乗ることばかりを考えて、会社に資金を出す代わりに会社の利益の一部を享受するという本来の株式投資活動は忘れられている。いわば、人が集まりそうなところを探して、次から次へとあっちへふらふら、こっちへふらふら徘徊しているようなものである。まるで盛り場を渡り歩くヨッパライか、街をうろついて家に帰らない学生みたいなものだ。日本人の精神構造は、共同体への一方的依存からいまだに脱け出られていないのかもしれない。


 都会は大きすぎて、それ全体を共同体と考えることは感覚的には不可能である。いきおい観念的に市民共同体のイメージを作り上げなければならない。自分の社会的投資のリターンを期待することはほとんどできず、たいていは自らの投資が共同体寄生者に吸い取られるだけだったりする。「情けは人のためならず」が、自分がかけた情けが巡りめぐって自分に帰ってくる(のだから、情けをかけなさい)という意味にとられず、「情けをかけるのは他人のためにならない」という意味に曲解されてしまうのも、このような社会構造のなかでは仕方がないのかもしれない。

 自分の社会的貢献が具体的な形で帰ってくるわけではないのだから、多くの人が共同社会というものをイメージすることが重要なのではないかと思う。これは教育の問題である。まずは家庭教育のなかで、最小の共同体としての家庭の運営を感覚的に理解することが基本になるのだろうが、それだけで一挙に都市共同体を把握できるようにはならない。やはり学校教育のなかで、共同体運営のイメージを繰り返し繰り返し刷り込んでいくしかないのではなかろうか。昔の血縁的・地縁的共同体とちがって、感覚的な把握だけでは都市共同体を認識することはできないのだから。

 「大きな共同体がある」という前提でしか、その共同体を成立させることはできない。みんながその大きな共同体をイメージすることでしか、その共同体は機能しない。それは、共有されたイメージの力で観念的に成立しているものだからである。それをイメージできない人が、そこに寄生するだけの存在になるのではないかと思う。


 “社会関係資本”という概念は、“資本”および“資本主義”という考え方を根本から問い直すきっかけになるかもしれない。









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最終更新日  2007年11月30日 13時02分43秒
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