テーマ:ニュース(100224)
カテゴリ:短歌
ほとんどの人は、こういうニュースは見逃すかすぐに忘れてしまうのだろうが、陛下が現代の社会にどのような関心を寄せておられるのかが推測できる。これは、政治家はもちろん社会全体としても注目すべき事柄なのである。
「光に応答する分子」と言われても、???な私にはコメントのしようもないのだが、《こちら》をみると入江正浩・立教大教授は2007年に紫綬褒章を受けているそうだから、分子科学の最先端の動向を把握するという意味があったのだろう。 「日本企業の人本主義システム」に関しては、この不況の中で日本の産業のあり方について陛下が深く憂慮されているサインではあるまいか。どうやって儲けるかではなく、どういう経営システムがいいのかという観点からこの問題を把握したいという陛下のご意向を表われであると思われる。 「後漢、六朝時代における中国人の仏教受容」については、珍しい分野に興味を持たれるのだなあと思ったのだが、中国との付き合いを考えた場合、やはり仏教文化を一つの共通の話題とすることができるし、ひょっとしたらチベット問題にも関心がおありなのかもしれない。そこで今回はちょっとこれについて詳しく書いておく。 日本人になじみの深い僧侶というと、まずは一般に読誦されている「般若心経」を訳した唐代の《玄奘三蔵》(602-664年)がいる。年代的には聖徳太子とほぼ同じ頃の人物である。それ以前で日本人にも縁の深い著明な僧侶としては、《鳩摩羅什》(350-409年、一説に344-413年)がいる。彼は六朝時代に中国西域の亀茲(クチャ)国に生まれ、中国で『法華経』や『摩訶般若波羅蜜経』や『中論』などを訳した。後漢の時代では、安息国(パルティア)出身の安世高や、大月氏出身の支婁迦讖などがいる。 以上から大まかにいって、最初は中央アジアの人々が中国にやって来てたくさんの仏典を翻訳し、やがて玄奘三蔵あたりになって中国仏教として確立したと言えるだろう。おそらく講書始では、仏教が中国に導入されていった過程が語られたのだろう。日本では漢文の仏典をそのまま読誦しているので、仏教といえば中国というイメージが強いのかもしれないが、彼ら西域人の翻訳によって中国人も仏教の恩恵を受けられるようになったのである。 昔の日本の僧侶は漢訳仏典をそのまま学んできたが、現代ではインドの言葉であるサンスクリット語やパーリ語の原典からさまざまな仏典が現代語訳されている。また、チベットではインドの僧侶が招かれて仏典のチベット語訳がたくさん作られていったので、彼らは自国語で仏教を学んできたと言えるだろう。日本人は、“遅まきながら”自国語で仏教を学べる時代が来たと言っていいのかもしれない。 私は、チベット仏教は中国仏教とは微妙に違うものだと思っているので、たとえ中国人の目にはダライラマが独裁者のように見えているとしても、チベット仏教を弾圧すべきではないと思う。どこでも宗教施設は贅の限りを尽くしているように見えるし、それがまた信者の心の拠り所ともなり、自分の物欲をダライラマの安楽な暮らしに投影して代理満足する装置にもなっている。ちなみにダライラマは、豪華な宮殿で“間借り人をやっている”くらいの意識なのではあるまいか。敬虔な仏教徒ならば、この世は仮のものとしか思っていないし、“アラブの王さま”(←これも多分にイメージの産物である)のごとく贅沢な暮らしをしていると思われているわりには、ダライラマはいつも粗末な同じ服しか着ていない。(笑) だんだん話がズレてきてしまったが、「日本人なら自分が墓に入る前に仏教の歴史くらい簡単に勉強しておけ!」ってことかもしれない。(^^; 現代の中国では共産党が仏教の伝統をぶっ壊してしまったが、日本では、明治時代に廃仏毀釈運動があったものの、壊滅的な打撃までは受けていない。ただし、仏教哲学に無知な自称“知識人”によって仏教迷信論が喧伝されているので、本来の仏教的な生き方や仏教文化が、人々の忘却によって滅亡に瀕している。仏教文化は日本の伝統を支える大きな柱の一つであるから、これも忘れずに大切にしていきたい。 人気blogランキング ↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。 「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping |
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