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大宮フレンド応援日記

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2011/01/21
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福島県南部、阿武隈高地にある山間の町、石川町。
RYUOYAJIの故郷だ。
現在は過疎化が進み人口1万8千人余。
こんな小さな町に甲子園出場、春3回、夏9回を誇る
学法石川高校、通称“学石(がくせき)”がある。

RYUOYAJIが小学生の頃、野球といえば学石野球部で
プロ野球よりもライブで観れる高校野球の方が好きだった。
週末には練習試合があるたびに
学石専用球場へ試合見学に行ったものだ。
甲子園出場は町民の悲願だったが、
この夢を果たしてくれたのが故柳沢監督だった。
遠く横浜の地から赴任し県内屈指の常勝校に育て上げた。

赴任当時は田舎町の慣習に馴染めず苦難の時代が続いたが
昭和51年に春夏連続出場を果たした。
甲子園出場が決まると名将と持ち上げられ
甲子園の初戦で敗退すると手の平を返すように
戦術が悪かったと罵声を浴びせられた。
勝てば選手の力、負ければ監督の責任とばかり叩かれた。
RYUOYAJIの家は近所だったので当時の様子はよく分かるが
野球の盛んな町だっただけに心無い野球ファンも多く、
当時は監督の家には石まで投げつけられ
雨戸を開けられない日々もあった。
それでも学石野球部を常勝チームにするため
粉骨砕身指導を続けた。

学石野球部にとって春夏通算12回目の出場となる
平成11年夏の甲子園。
総監督となった柳沢監督はスタンドから応援していたが
そのスタンドで倒れ帰らぬ人となった。

柳沢監督の野球訓は『苦の中に光あり』という言葉だった。
苦しい練習や困難を乗り越えてこそ光が射してくる。
今でも学石野球部の専用球場には
この『苦の中に光あり』という横断幕が掲げてある。
実家に帰る際、この専用球場の前を通る度にこの言葉を思い出す。

フレンジャーたちも、フレンジャーOBたちも。野球だけじゃない。
受験をはじめこれから様々な苦難が君達を待ち受けている。
この苦難から逃げるのではなく、立ち向かい乗り越えて欲しい。
乗り越えてこそ光が射し込んでくるから。









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Last updated  2011/01/21 07:17:52 PM
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