たしか、この「家事手帖」のブログをはじめたころだったと思う。ゼラニウムにあこがれている話を書いたのは。
——ついに、うちにゼラニウムの白花が、やってきました。
花がやってくる、それも、住み込みにきてくれるなど、ちょっとやそっとの縁ではない、という気がする。
植え込みながら、思わずと声をかける。
「よく来てくれたねー」
早速、水(米のとぎ汁)をそっと与える。
そのときだ。
なつかしい感じに包まれた。
ああ、どこかで嗅いだにおいだ、と思う。
この、青臭くて、かすかに金属的な葉のにおい……。目をとじて、記憶をたどっていくと、小学生のわたしがあらわれた。そこは、大好きな祖父母の、庭。あそこに、ゼラニウムがあったのだ。
家の南北にあるふたつの庭をつなぐ、東側の通路——そこは、隣りのお寺の墓地に面していた——には、塀に添って台が設(しつら)えてあり、たしかに植木鉢がならんでいた。そこで始終遊んでいた幼いころの匂いの記憶が、そこに植えられていたのが、ゼラニウムだったことを伝えた。およそ40年の歳月を経て。
ふり返れば、菊の手入れをする祖父と、洗濯ものをとりこむ祖母に、会えるかもしれない。
目をとじたまま、ふり返る。
匂いの記憶というのは、な、なんて……。
過去、名も名乗りあわず、ふれあっていたものの正体を、いまに伝える。
きょう。
自分がなぜ、これほどゼラニウムにあこがれ、なつかしんでいたか、ということに気づいた日。
ちょっとだけ、幼い自分に戻らせてもらう……。
おじいちゃん。
おばあちゃん。
2階のベランダ、西のはずれです。
まだ若いゼラニウムを2本、植えました。
1本、158円也。安過ぎやしないかなあ。
そうそう。
先に書いた「からからに干した茶がら」を
たっぷり混ぜこんだ土に植えました。
下の道から写してみました。
こんなふうに、見えます。