「ね、松坂大輔投手の球の早さを体験してみない?」
3年くらい前、友だち夫妻と、バッティングセンターに行ったときのこと。
友だち「夫」が、かるい調子で言ったのだ。
だから、わたしもかるく答える。
「してみる、してみる」
飛んでくるボールの早さを目一杯早い目盛りに合わせると、それが、松坂投手の投げる球の早さ(時速150km)になるのだそうだ。
これが、速い。
目にもとまらぬ、ということばがあるが、あんまり速くて、ボールなんかなかったことになるほどだった。
へぼ打者のわたしは、空振りに次ぐ空振りである
「もう一歩前に出て振ってごらんよ」
友だち「夫」は元高校球児で、強豪早稲田実業高校を破って、あと1勝すれば甲子園、というところまで勝ち進んだ、「時のキャプテン」。言うこと、聞いてみようじゃないの。
それで、1歩前進。
ボールが飛んできた。
グキッ。
にぶい音。
バットを握る右手親指にボールが当たったのだ。痛い、というより、親指の芯がじぃぃぃぃぃぃぃぃぃんとする。
素人のおばちゃん打者が、松坂投手の豪速球に手を出そうとすることが、まちがいだったみたいだ。
それから10日あまりは、親指が腫れて、右手がつかいものにならなかった。まわりの誰もが、まったく同情してくれなかったことは、言うまでもない。
以来、ボールやバットから、ちと遠ざかることになったが、さきごろ、ボールとの再会をはたす。
「久しぶりだね」
「無沙汰は、互い」
このボールは、深夜、夫とわたしの寝室に投げこまれる。
「寝ているところにボールが投げこまれるなんて話、聞いたことないぞ」
と夫は、ぐずぐず言っている。
「聞いたことのない話でもなんでも、うちには投げ込まれるのよ」
どういうことかって?
よくぞ聞いてくだされた。
社会人になった長女は週日のほとんど、また、アルバイトに励む次女も、週のうち2回は、うんと帰宅がおそくなる。終電になることも少なくない。自分で決めた仕事なのだし、そこはそれ、「がんばりなさいよ」という話だが、心配なことにはかわりない。
帰ってくるまでは、まんじりともできない。
というのはうそで、早いときは九時、おそくも十時にはふとんに入って、ちょっと本を読んだかと思うと、たちまち眠ってしまうというのが、わたしだ。心配でもなんでも眠ってしまい、夜半過ぎ、はっと目がさめる。
「あの子たち、帰ってきてるかしら」
そうして、眠い目をこすり、半分寝ているからだをひきずって、子どもらの部屋のある3階まで行き、そっとそれぞれの部屋をうかがう。すでに寝息をたてているのをたしかめて、やっと安心するというわけなのだ。
3階までのぼっていくあいだに、心身ともに目覚めてしまう。ここで起きてしまうのは、いかにも早すぎるし、ふたたび眠るのには手間がかかる。なんとも中途半端なことである。夜半過ぎの困惑……だ。
そこで思いついたのが、ボールだった。
帰りが深夜になるときには、寝室——猫の「いちご」が出入りするので、扉は軽くしめてあるだけ——の、アタシが寝ているあたりに、ボールを投げてちょうだい。そうすれば、ふとめざめたとき、起き上がらずにアナタたちの帰宅をたしかめられるからね。ボールにイニシャルを書いておいたからね、ちゃんと投げてね。
投げる力がつよ過ぎて、ボールの勢いに目覚めさせられたり。顔に当たって「ぎょっ」としたり。
しかし、いまでは、投げるほうも投げられるほうも慣れて、具合がいい。夜中、自分がかけている茶色の掛け布団カヴァの上に、黄色いのと黄緑のと、2つのボールがころがっているのを見ると、心からほっとする。
サインは、「豪速球はやめてね」である。
このボールが、わたしの安心のしるし。
こうして、やすむ前に、寝室の扉のノブにかけておきます。