■ 真夏の記憶
8月になると、戦争を考える。
自分が戦中戦後の渦中になかったという意味で、また、身近に戦争で命を落としたひとがいなかったという理由からも、太平洋戦争はわたしには遠い。
原爆投下、敗戦、米軍進駐の記録番組。慰霊祭や平和を考える集会——そういうことを通してはじめて、戦争を思おうとし、考えようとしている。
学校に長い夏休みがあり、職場や商店にお盆の休暇があり、その影響でいろいろな場面が変則的になる8月の裾は、やはり戦争がにぎっているのだと思う。
8月になると、読んでおきたくなる本が、書架から身をのりだしてくる。トルストイの『戦争と平和』もそのなかのひとつで、ことしはどうしても、また読みたいとつよく思わされている。
いろいろな事情を考えあわせると、読みはじめは8月の後半になりそうだが、それでも必ず、と、本とゆびきりをする。
■ 風
数年前、扇風機を買いに走ったことがある。
それまで使っていたものを、家人たちにひとことの相談もなく、中国人の留学生にあげてしまったので、あわてて買いに出たのだった。
おおっ、頑丈な上、姿もいい。
この扇風機に、決めた。
「これ、ください」というわたしの言い方が切羽詰まっていたのだろうか、「お持ち帰りですか?」と、たたみかけて問われる。
持って帰れるんだな、とひとり合点し、「持ち帰ります!」と勇んで答えたまではよかったが、持ってみればかなりの重量だ。
店のひとは、近くに駐車してある自家用車までの距離を測ってそう言ったのかもしれないと、あとから気づく。
まいったな……。
駅前までかつぎ、バスにひきずり上げ、乗客になってからも嵩張る箱に引け目を感じ、最寄りのバス停に降り立ったときには、いろんな意味で玉の汗をかいていた。
という二人三脚の記憶のせいでもないだろうが、この扇風機とは、いいつきあいがつづいている。
扇風機がつくる風には、格別なものがある。
■赤茄子やズッキーニのこと
子どものころ、祖母から、初めてトマトを見たときの話を聞いた。
祖母とトマトの出合いは、昭和のはじめの頃らしかった(北海道函館市)。
当時のひとは、トマトを「赤茄子」と呼んだ。
「赤いけど青くさくて、おいしいなんて、最初は全然思えなかった。
それをいまは、夏にトマトがないなんて、考えられないでしょ? 不思議よね」
トマトはこの国に馴染んだが、その後も、品種改良はつづいている。
わたしが子どものころ食べたトマトは、いまより酸味がつよかった。そうそう、冷やしたトマトに砂糖をかけて、食べたこともある。
トマトに、水菓子として珍重される部分があったということだ。なつかしいな、あれ。
大人になってから初めて食べた野菜として、ズッキーニ、アーティチョーク、アボカドなどがある。そういえば、ゴーヤも初めて食べたのは、20歳代のおわり、沖縄本島でのことだった。
それぞれとの、出合い——果たしてこれを自分は好きなのだろうかと、しばらく思いめぐらすようなこともあったのだ。出合いから、自分で扱うようになるまでには、また、それ相応の隔たりがある。
とくにズッキーニには、なかなか手が出なかった。
相手を、はかりかねていた。ふれあってみれば、飾り気のない、さっぱりした気質の持ち主だと、すぐ心づくのだけれども。
ズッキーニの塩づけ
ズッキーニ…………………………………………長めのもの2本
塩…………………………………………………………小さじ1弱
レモン………………………………………………………… 適宜
① ズッキーニは、厚さ5mmの輪切りにする。
② これをボウルに入れ、塩をふる。
③ あがってきた水もそのままに、冷蔵庫で冷やす。
④ レモンを添え、食べる間際にしぼる。
※2日のあいだに食べきるのを、目安に。
これが、扇風機です。
身長は、142cm(123cmまで、下げることができます)。
扇風機は、偉大だなあと、思わされています。
フウセンカズラの「風船」が、茶色くなりました。
ほら、窓に、夏の雲がうつりこみました。
「風船」のなかの、種。
このハートの模様に、思わず顔が……、
ほころびます。