たてつづけに、戦争に巻きこまれた子どもが過酷な日日を生き抜く姿——西アフリカが舞台のものと、ハンガリーが舞台のものと。前者はドキュメンタリー、後者は小説——を、本で読んだせいだろう。ある日とつぜん、運命が激変するという有り様(よう)が胸に貼りついた。
過酷な日日のなか、子どもたちは強くなっていかざるを得ない。本のページをめくるたび、子どもたちは強くなる。強くならなければ生きていかれないことを思い知り、まず「冷静さ」を身につけ、それを「冷徹」へ、ついには「冷酷」へと育てていく。痛みも、悲しみも、恐怖も、失望も、もう恐れたりはしない、と覚悟を決めるのだ。
過酷な状況のはじまりというのがすごい。
わたしが読んだ本は2冊とも、主人公の子どもたちは、最初の数ページあたりまでは愛する親きょうだいと、比較的平穏な暮らしをしている。そこへ戦争が襲いかかり、いきなり、ほんとうにいきなり、愛する者と別れ別れになってしまうのだ。さよならを云う暇(いとま)もなければ、励ましのことばをかけ合う機会もないまま、家から引き離されて、自分であたらしい居場所をさがさなければならなくなる。
このような読書のあとは、わが身に置き換え、現在の暮らしがいったいいつまでつづくだろうか、という儚(はかな)いこころになる。爆撃もない、略奪もない、欠乏もないいまの状態を思って、あわてて感謝の念をかき集める。
しかし、この時代のこの国にあっても、何が起こるかはわからない。どんな運命が降りかかるか、先のことは一切知らされていない。気がつくと、「別れって、経験したことある?」と、わたしは声にだし、誰ともなしに問うていた。
——あるある。ときどきお箸が1本なくなったりするもんね。
と云う者。
——お母さんが、掃除の途中で、おもちゃを壊したことあったでしょ。あのときはとつぜんの別れという感じだったよ。
と云う者。
こちらは、戦争という概念で話しはじめていたから、ずっこける。ずっこけながらも、ああ、ここには、過酷な別れを経験した者はいないのだ、としみじみする。
箸の話は、ほんとうだ。
箸は2本を1対として1膳というわけだけれど、その1本が、ほんとうにときどきなくなる。そのたび、わたしは、うちに暮らしている小人さんが箸を持っていってしまったんだなあと考える。これじゃなくて、あれを持っていってほしかったと思うことはあっても、「必要なら、しかたないなあ」とあきらめる。1本残ってもどうしようもないから、小人さんに「こっちも使って」という気持ちで、夜中にそっと残った1本を台所に出しておくが、それが持っていかれることはない。
——いえいえ、1本でじゅうぶんですから。
と、いつまでもそこにある1本が語る。それにしても、小人さんは、箸を何に使うのだろう。柱か。寝台か。細かく切って、いろんなモノにしているのかもしれないな。
もうひとりが恨みがましくつぶやいた、掃除の途中でわたしが壊したおもちゃのこともおぼえている。はたきをかけていて、本棚からはたき落とし、それだけならいいが、落ちてきた「それ」を踏みつけ粉砕してしまった。数日ののち、その顛末(てんまつ)を打ち明けあやまったけれど、追いつかないものが残った。なんだか、やけに大事なおもちゃだったらしい。
……いったい何の話をしているのだろう、わたしは。
そう。戦争での別れは過酷で、家のなかでの別れは過酷でない、ということだとしても、別れはやっぱり別れなのだと思う。
別れは何かを残す。いまだ過酷な別れを経験したことのないわたしも、あらゆる別れに注意深く向き合うなら、そこから得るもののあることだけは、知っているつもりだ。
別れが、生きる力を生み、そして生きることへの愛おしさを育てる、と。
2月のある日。
食器洗い乾燥機「けんちゃん」が、故障しました。
すぐ修理を頼みました。
やってきてくれたおじさんは、「工場で見てみます、
もう寿命かもしれないなあ」と云いながら、
けんちゃんを連れて行ってしまいました。
ことばをかけることもできないまま……。
胸にぽっかり穴があきました。
けんちゃんがうちに来てくれる以前の食器洗い、
食器拭きを、みんなでせっせとしました。
「けんちゃん」
10日後、けんちゃんは帰ってきました。
(ノズルとセンサーをとりかえたそうです)。
うれしかったです、それはもう……。
「お帰りなさい」のたれ幕をつくりましたよ。
このたび、「別れ」を考えるよう促してくれたのは、
けんちゃんでした。