風景だったのだ、と思った。
友人のことなのだが、ひとに「風景」をあてはめるのがふさわしいかどうかと迷いながら、それを伝えてみたのだった。
わたしにとって、アナタとコウタクンは、大事な風景でした。風景なん
て、と思わないでくださいね。
それは……、
そこにあるのがあたりまえで、
ときどきどうしても眺めたくなり、
好き、ということなわけですから。
大事な風景が、なくなるわけではないけれど遠くなってしまうことは、
かなり困ることです。目の前に、ぽっかり穴があいて。
*
この春に転勤で群馬県に越していったひととわたしは、子ども同士が保育園、小学校と同級だったというつながり。保育園と学校で顔を合わすというだけのお互いだったが、そのことが「かけがえない」と思えるお互いでもあった。
息子のコウタクンがまた、じつにおもしろく——わたしはこっそり「ハカセ」と呼んでいた——学校での発言や行動の端端(はしばし)を娘から、いつもたのしく聞いた。ハカセは読書家だったが、そういうところにも感心していたのだった。
そんなとき、用事ができた。
それは、ことし3月に卒業した小学校の残務で、その連絡をひき受けたわたしは、卒業のあと転居したひとたち4人のあたらしい住所に郵便をだすことになった。4人のなかにはハカセの名前もあって、ああ、手紙が書ける、とはずんだ。
先方からは、すぐと「連絡受けとりました」という返事が届き、そこには、数行の近況——ハカセが、ジャージにヘルメットという出で立ちで自転車通学しているとあった——が添えられていた。ファクスだった。「送信テストのため、ファクスで送らせていただきます」と記されている。
わたしは再度はずんで、「受信もテストしてください」と、こちらの近況——娘はぶかぶかの制服姿で、てくてく通学と——をファクスで送信。
翌日、こんどはパソコンにメールが届く。このメールに対する、わたしの返信が、掲出の「風景」の一文だ。
この春、もっともさびしかった事柄が静かにすくすく変化していくことに、驚く。わたしは、思わず「なんだ、こりゃ」と呟いた。この、思いがけなくもやさしい展開に、しみじみすることすら忘れ、はずんだこころで「なんだ、こりゃ」だったわけである。
コートをクリーニングに出そうと思って
ポケットのなかを確かめたら、
こんなものが出てきました。
「なんだ、こりゃ」です、まったくのところ。
広げてアイロンをかけたら、こうなりました。
末の子どもが、小学校の科学遊びクラブで、
玉ねぎの皮でしぼり染めをした、ということです。
コートのポケットから出てきた思いがけないモノは、
わたしを驚かせ、いろんなことをおしえてくれました。
さて、このしぼり染め、何にしましょう……。